第36話 竜太郎、竹下通りで、デートとスカウト

 2014年4月6日。空は晴れている。風が少し冷たい日曜日である。

商店街の竹下通(たけしたどお)りには、週末の春休みということで、

多くの人たちで賑(にぎ)わっている。


 新井竜太郎と、モデルのようにスタイルのいい長身の若い女性、

秋川麻由美(まゆみ)の二人が、ショッピングがてら、仲も良さそうに

竹下通りをぶらついている。


 竜太郎の腕に 甘(あま)えるように しっかりと抱きつく 麻由美の姿は、

ボブ・ディランの1960年代の傑作アルバム、フリーホイーリンのジャケット

の、若きディランと可愛い彼女を連想させる。


 竜太郎は身長178センチの31歳、秋川麻由美は身長167センチの21歳。


「竜さん、アモスタイル(amos-style)に連れてって!」


「アモスタイルって、天使のブラの店だろ?」


「うん、かわいいブラやショーツのお店よ。テレビのCMで、

篠原涼子さんが、トリンプのかわいい下着をつけてたのよ。

わたしも、そんなかわいいを下着をつけて、竜太郎さんに

脱がしてもらおうかなって……」


「あっはは。天使のブラ、極上の谷間っていう キャッチコピーの

CMね、はいはい、おれも見たことある。彼女って、色っぽいよね、

あっはは」


「そうなの、わたしも篠原さんみたいに、いつまでも、色っぽい

女性でいたいのよ」


「篠原涼子って、何歳になるんだっけ?旦那(だんな)さんが俳優の

市村正親(いちむらまさちか)だよね。子どもも2人くらい

いるんだろうけど、そんな生活感を感じさせないよね、

さすが芸能界の第一線で活躍するプロだと思うよ」


「わたしも、芸能界に入ったばかりだけど、篠原を大先輩として

見習いながら、がんばろうと思って……」


「それで、まずは、天使のブラからってことだね」


「うん、まあね」といって、麻由美は竜太郎を眩(まぶ)しそうに見る。


 二人は声を出してわらう。


 今年の1月から、竜太郎が副社長を務める 外食産業大手の

エターナルでは、総力を挙げて、芸能事務所を立ち上げている。


 秋川麻由美は、商業高校卒業後、この竹下通りの衣料品店、

Gapフラッグシップ原宿に勤めていたのが、今年の1月に、

この店に買い物に来た竜太郎にスカウトされたのであった。


 現在、麻由美は エターナルの芸能事務所のクリエーションで、

バラエティ番組などに出演するタレントとして 活動を始めている。


 1月に事業を開始したばかりのクリエーションであるが、すでに

所属するタレントやアティーストやモデルは30名以上である。


 竜太郎が先頭に立って立ち上げた芸能事務所のビジョン

(未来像)は、壮大なものである。世界に通用するアーティストや

エンターテイメント(娯楽)を創造していくこと、そして、

そんな芸能活動を志す仲間を、経済的にも支援する、

国際的な企業に、クリエーションを育て上げることであった。


 竜太郎は15歳のころに読んだ北村透谷(きたむらとうこく)の言葉に

強烈な衝撃を受けている。


その言葉とは、「恋愛は人生の秘鑰(ひやく)なり、

恋愛ありて後(のち)人世(じんせい)あり、

恋愛を抽(ぬ)き去りたらむには人世何の色味(いろみ)かあらむ」

という書き出しで始まる『厭世詩家(えんせいしか)と女性』という評論の

書き出しの言葉であった。

 

 秘鑰(ひやく)とは、貴重な錠前(じょうまえ)の意味である。

つまり、人生の扉を開け閉めする錠前が恋愛ならば、

恋愛を通(とお)らなければ、人生には入れないということであり、

恋愛があって、初めて、その後(のち)に本当の人生があるという

ことを、透谷はいっている。恋愛を引き去ったときは、

つまり恋愛のない人生には何の色味(いろみ)、色合いもない、

そんなことが、この透谷に短い文章には記(しる)されている。


 15歳の感受性ゆたかな竜太郎には、衝撃的な言葉であった。


……これこそ、人生と戦う文学者、詩人の言葉だよな!

北村透谷こそは、世界に誇れる日本の文学者さ!……

竜太郎は思って、透谷に心酔したのだが、当時の高校の

国語の女性の教師は、鼻で笑いながら、「竜太郎くんも、

若いんだから、恋愛しないとね」といって、透谷のその言葉に

共感もせずに、微笑(ほほえ)むだけであった。


 竜太郎は、それ以来、オトナと、オトナ社会に、深い不信感を

持つようになった。こんなオトナばかりだから、世の中は

悪い方向へ進むばかりなんだ……と。


 そんなわけで、竜太郎の仕事へ向ける情熱や、何か現状を変革して

いこうという気持ちの原動力は、人には話さないが、この北村透谷の

言葉であった。


 『厭世詩家(えんせいしか)と女性』という評論が発表されたのは、

明治25年、1892年であるが、当時においても、現代においても、

衝撃的なものであろう。「電気にでもふれるような身震い、大砲を

ぶちこまれたよう、」などと、島崎藤村たちも書き記(しる)している。


 竜太郎は、結婚はまったく興味がなかった。結婚すれば、

恋愛は不可能になるだろうという、単純な理由からであった。


……透谷が詩的に語るように、恋愛によってしか、本当の人生は

わからないのだろう。それならば、生涯(しょうがい)をかけて、

すてきな恋愛をして、楽しくいきたいものだ……。


 しかし、そんな考え方が、反社会的でもあって、とてつもなく

淫(みだ)らな気もするのであったが、とにかく今は、

透谷に触発される、恋愛を人生において最高のものとする考え方が、

つまり恋愛至上主義が、竜太郎の哲学であり、確信であった。


 竜太郎と麻由美は、竹下通りの商店街の中ほどにある

ランジェリー専門店のアモスタイルで、『谷間くっきり』という

キャッチコピーのブラとショーツのセットを買って、店を出る。


「竜さんって、あんな、ブラやショーツのいっぱいのお店に

入っても、全然平気なのね。恥ずかしがる男のひとって多いのに!」


「あはは。おれは、女性の下着ってみるの好きだもの。全然、平気」


「わたし、そんな竜さんが、また好きなんだなあ」


「おれって、エッチなこと大好きな、好色なんだよな」


「それでいいんじゃない。エッチや好色って、健康な証拠よ。

健康な体と心でないとできないことだから」


「あぁそうだね、麻由美ちゃんのいうとおりだね。エッチや好色って、

異性に対して、セックスしたいなんていう気持ちを抱くことだよね。

でもね、昔は、好色って、いい意味で使われていた言葉なんだよね。

好色って、男と女が情を通わす、美しいこと考えられていたんだよ。

西暦900年頃に始まった平安時代のころの話だけどね。

そのころは、女性の顔かたちの美しさや美女のことも

好色といっていたんだってさ」


「じゃあ、美男美女の、竜さんとわたしは好色ね!」


「ああ、そうだな」


 二人はわらった。


「まあ、昔の人は、大(おお)らかでいいよな。それに比べて、

現代人は、エッチなことがほんとうは大好きなのに、

それをひた隠しにして、表向きには、エッチな人間のことを、

卑下(ひげ)したり、劣(おと)った人間のように見るんだから」


「そうよね。なぜかしら、本音と建て前って、なぜあるなのかしら」


「最近わかったことだけど。完璧(かんぺき)を求めようとするから、

本音と建て前というか、理想と現実が違ってきて、矛盾(むじゅん)

することをやってしまっていることがあるんだよね。

おれもこれまで、仕事にも、ついつい完全を求めちゃって、

それをできない人間に、無理な要求をしてきた気がするよ」


「すごいわ。竜さんって。竜さんのお仕事や完璧を求めるところ、

わたしから見ると尊敬しちゃうんだけど。そうやって、素直に

反省しているところなんて、わたし、大好きな竜さんのことを、

きのうよりも、きょう、きょうよりも明日っていう感じに、

もっと、もっと、好きになっていくそうだわ!」


「いやいや、褒(ほ)めてくれて、ありがとう、麻由美ちゃん。

おっと、あそこを歩いている女の子、すごくいい感じだよね。

ねえ、麻由美ちゃん、どう思う?」


「そうね。すらっとして、歩く姿やかわいい笑顔(えがお)に

いっぱいオーラが出ている感じがする」


「そうだよね。よし、ちょっと、スカウトしてみるよ。

麻由美ちゃんも、一緒に来てくれる」


「うん」


 店のショーウインドーの前で、ガラス張りの中の、トレンドな

ファッションを眺めながら、楽しそうに会話をしている、

高校生のような 3人の女の子たちのいるところに向かって、

竜太郎と麻由美は、手をつなぎながら、ゆっくりと歩いた。


≪つづく≫--- 36話 おわり ---

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