第35話 神か悪魔か、新井竜太郎の野心

 3月23日の日曜日。よい天気で 気温も18度ほどで、

吹き渡る風は まだ肌寒いが、早春のドライブ日和(びより)である。


 川口信也と大沢詩織のふたりは、朝の9時から、買ったばかりの

新車に乗って、東京スカイツリー へ遊びに行くところである。


 大沢詩織は、父の営(いとな)む 大沢工務店(こうむてん)の

駐車場で、信也のクルマを待っている。工務店の隣(となり)は

大沢家の洋風の住まいがある。小田急線の 代々木上原

(よよぎうえはら)駅南口から、歩いて5分であった。


 代々木上原駅は、下北沢駅から新宿方面へ向かって、

東北沢(ひがしきたざわ)駅を経(へ)た、次の駅である。


 信也のマンションは、下北沢駅からは、歩いて8分ほどだから、

信也と詩織の家までは、電車では、最短で20分ほどだった。


 詩織は、裏地がヒョウ柄のハーフコート、ゆるめのニットセーター、

ブルーのデニムパンツ、小さいショルダーバッグというファッションだ。


 この4月から消費税が 5%から8%に上がることもあって、

信也は、大学1年のときにバイトをして買った中古の軽(けい)の

スズキ・ワゴンRを手放すことにした。そして、トヨタの人気車、

スポーツタイプの、新型ハリアーに乗り換えた。


 グレードは、ハイブリッド・エレガンスで、値引きしてもらって400万円

ほどである。4月前に買うから、12万円ほど安くすんだことになる。


 昨年の10月21日に リリース(発売)された クラッシュ・ビートの

アルバムやシングルが、どちらも15万枚ほど売れた。

その印税として、クラッシュ・ビートのメンバーに 1人当(あ)たり、

約2000万円の現金が、口座に振り込まれたのだった。


 同じ時期に、大沢詩織たち、グレイスガールズのメンバーにも、

印税による収入が 口座に振り込まれていた。


 グレイスガールズの場合、アルバムやシングル、どちらも

17万枚ほど売れていて、メンバーの5人とパーカッションの

岡昇(おかのぼる)の6人で、その印税を分配したのだった。

9100万円の6等分、1人当たり約1500万円の収入である。


 みんな、若くして、驚くほどの、思わぬ大金を手にしたわけだ。


 「お金は大切に使おうね!」と、笑顔満面に、みんなは、

よく同じことをいった。


 信也が買ったトヨタのハリアーは、ボディカラーが ホワイトパールの

2.5リットルのエンジンで、燃費は、リッター、14キロほど走る。

4WD、4輪駆動で、雪道に強そうだ。前輪駆動状態と

4輪駆動状態を、自動的に電子制御するシステムである。


 駐車場に、信也の乗るハリアーが静かに入ってきて、止まった。


「わあ、信(しん)ちゃん、すてきなクルマだわ!かっこいい!

しんちゃんに、ぴったしって感じ!」


 そういって、詩織は、きょう初めて乗せてもらう トヨタのハリアーに、

胸を躍(おど)らせて、大歓(おおよろこ)びである。


「高いクルマだけのことはあるよ。このクルマなら、大切すれば、

20年くらいはつきあえそうな気がするよ。あっはは」


 信也はクルマから降りて、そういうと、まるで可愛(かわい)いペットを

撫(な)でるように、エンジンを収容されている白いボンネットをさする。


「信ちゃんは、クルマを大切にするからね。前のスズキ・ワゴンRも、

すっごく、大切にしていたじゃない。わたし、そんな、信(しん)ちゃんを

見ていて、すごっく思いやりのある人!って思ったんだから!」


「あっはは。そうだったんだ。よく、おれを、観察していたんだね」


「まあ、そうね。だって、わたしの大切な人のことだもの」


「さあ、きょうは天気もいいし。東京スカイツリー見たり、おいしい

もの食べたりして、ドライブを楽しもうね、詩織ちゃん」


「うん」

 

 身長175センチの信也と163センチの詩織は、軽く抱きしめあうと、

楽しそうに 微笑(ほほえ)みながら、クルマに乗(の)った。


「わあ、飛行機のコックピットみたいなのね、運転席が。

シートも快適そう。いい匂(にお)いもするわ!

これって、新車特有の匂いよね!」


「オプションで、シートは本革(ほんがわ)にしたんだ。

その皮の匂いがいいんだよ」


「ああ。皮の匂いよね、これって」


 クルマは、市街地を走り抜け、高速道路へと向かう。


「この前さあ、テレビで スマップ・スマップ(SMAP×SMAP)の

録画を見てたんだけど。それに、レディー・ガガが出ててさ」


「ああ、あれね、美女だらけ スペシャルっていうのでしょう。

わたしも見てた」


「ガガって、素顔って、すごく チャーミングだよね、それに、

美人だよね。知性が顔に現れている、まるで少女のように

美しい女性だよね。つくづくそう思いながら見てたんだ」


「そうよね。笑顔がとてもかわいいのよね。天使みたい。

わたしも、テレビ見て、ガガのこと、大好きになったわ」


「木村拓哉(きむらたくや)が、ガガに質問してたじゃない。

ほんとうに、何にもない無人島へ、CD、レコード、

1枚だけ 持って行っていいっていわれたら、

誰の持っていきますか?って」


「それで、ビートルズのアビィ・ロードをかけてるんだ、信ちゃん」


「うん」


 ふたりはわらった。


「ガガは、無人島には、ビートルズの アビィ・ロードとか、

レッド・ツェッペリンのレッド・ツェッペリン?とかが

いいって、答えたのよね。わたしもあれ見ていて、

なんか信ちゃんの好きなのと、そっくり同じって思ったもの」


「ガガはいっていたじゃない。 クラシック・ロックがきっかけで、

音楽に夢中になったんですって。それ聞いていて、そうなんだ、

おれと同だと思って、ガガに親しみ感じたもんね。あっはは」


「素顔のガガを知った感じの番組だったわね。わたしたちも、

まだまだ、がんばれるって気持ちになれる番組だったわ。

ガガったら、無人島に、スマップのCDも持って行くっていって、

やさしく気を使ったりして、やっぱり、一流の気配りもあったりね」


 クルマのハンドルを握(にぎ)りながら、信也は、ガガの大ファンだと

いっていた、エタナールの副社長の新井竜太郎を思い出している。


 新井竜太郎は、1982年11月5日生まれ、身長、178センチ。

31歳の独身で、エタナールの、IT システム 構築や、

IT プロジェクト 戦略の指揮(しき)をとる、IT の屈指のプロだった。


「ガガといえば、エタナールの竜太郎さんのことを、詩織ちゃんは

どんなふうに思っているのかな」


「どんなふうにっていわれてもね。ITに詳(くわ)しいだけあって、

どことなく、アップルの創業者のスティーブ・ジョブスに

なんとなく似ているじゃん!なんて思ったこともあったわ」


「あっはは。スティーブ・ジョブスかぁ。なるほどね。

そういわれると、どことなく似ている気もするけどね。

スティーブ・ジョブスは神か悪魔かなんていわれたくらいに、

仕事には厳(きび)しい男だったらしいけど。竜太郎さんも、

そんなタイプなのかなぁ」


「どうしたの信ちゃん。竜太郎さんが気になるみたいじゃない」


「まあね。竜太郎さんは、モリカワの買収の提案者だったしね」


「うん、そうよね。今回のM&Aっていうんだっけ、

モリカワの買収の騒動では、真央ちゃんに竜太郎さんは

ふられたり、真央ちゃんの兄の蒼希(あおき) さんが、

エタナールに入社しちゃったりって、いろいろあったわよね」


「ははは。そうだよね。モリカワが買収されなかったのは

良かったけどね。でも、竜太郎さんは、モリカワの経営手法を

参考にして、エタナールをもっと大きくするらしいからね。

モリカワミュージックのマネをして、芸能プロダクションも

立ち上げたからね。これから先は、モリカワの競合他社と

なっていきそうな感じなんだよ。そうはいっても、この社会じゃ、

誰が競争相手でも同じようなもので、それを避(さ)けては、

やっていけないんだけどね」


「この世の中、競争ばかりが先行していて、チャップリンの

モダンタイムズみたいに、人間なんか歯車みたいな扱(あつか)いに

なっているって感じることあるもん。チャップリンて、100年近くも前に、

人間の尊厳が失われて、機械のいち部分のようになっている世の中を、

喜劇映画にしたんだから、その先見性って、やっぱりすごいわ」


「まったくだよね。まあ、竜太郎さんは、この前、バーのカウンターで、

いっしょにカクテルとか飲みながら、おれに話してくれたんだけどね。

会社を大きくして、その力で、世の中をいい方向に変えたいんだってさ」


「そうなんだ。志が高くって、すてきじゃないの。竜太郎さんって」


「そうなんだけどね。でも、彼の場合、いっていることと、やっていることに

矛盾があると思うんだ。エタナールをブラック企業と噂(うわさ)される会社

にしたのも、竜太郎さんたちなわけだからね。

おれって、黙っておけないタイプだから、竜太郎さんにその点について

聞いてみたんだ。そしたら、まずは、会社を大きくして、高収益を上げる

企業にしなければ、そして社会的に優位に立つ強者にならなければ、

世の中をよい方向に動かす力を持つこともできないっていたけどね」


「それも、正論かも。ブラック企業って、どんな企業のことをいうのかしら」


「サービス残業とかをさせたり、社員に過度な心身の負担をさせたり、

極端な長時間の労働をさせたりするなどで、劣悪(れつあく)な

労働環境で勤務をさせる会社のことだよね。そして、それを

改善しない会社のことだよね」


「そうなんだ。エタナールって、会社はモリカワの10倍も大きいのにね。

でも、モリカワをモデルに、ホワイト企業を目指して、改善しているんでしょう」


「まあね、竜太郎さんもそんなことを、おれに話してくれていたけどね。


「それならば、よかったじゃない」


「まあね。でも竜太郎さんは、野心が大きいからか、よくわからない人だよ」


「そこが、スティーブ・ジョブスみたいに、神か悪魔かなんていわれるのね」


「いい意味でも、悪い意味でも、天才肌なのだろうね、竜太郎さんは。

彼がいたから、エタナールもあんなに大きくなったのは確かだしね」


「弟さんの幸平さんは、いい人よね」


「そうだね。幸平くんは、おれの1つ歳下(としした)で、

おれを慕(した)ってくれるし、性格もわかりやすくって、

気持ちのいいヤツだよ」


「幸平さんも、美樹ちゃんのお姉さんの美咲さんのことが、

大好きなのよね」


「兄弟が、ふたりして、片思をしていたってことかぁ」


「わたしたちは、両想いで、よかったわよね」


「まったくだよ」


 そういって、信也と詩織はわらった。


 カー・オーディオからは、ビートルズの アビィ・ロードが終わると、

ジミーペイジのリフが軽快で始まる、レッド・ツェッペリン?が流れる。


 ロックのリズムとともに、ホワイトパールのトヨタのハリアーは、

安定した運転で、東京スカイツリーに向かう 。バイクのときも、

クルマのときも、信也の運転は、巧(たく)みなアクセルやブレーキの

操作で、安全運転のマナーを守る、的確さであった。詩織は、そんな

信也の日常の仕草(しぐさ)に、男らしさを感じている。


 運転に集中する信也の横顔に、うっとりと見とれる、詩織であった。


≪つづく≫ ーーー 35話 おわり ーーー

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