愚者奇行

雨水かいと

誰でもいいから

 テレビに映る教育評論家が語った。


「いじめはあってはならないことです」


 果たしてそうであろうか?


「あいつ、ウザいよね」

「あ~わかる」


 今日、俺は教室の後ろで立ち話をしているチャラい男子達の話し声を聞いた。なんたって、俺は彼らのいる位置に近い一番後ろの席だったから。


「ま、今日も奢ってもらうからいいわ」

「最近はマジで食費が節約できてありがたいな」

「ば~か、お前この間はカラオケも奢らせたくせに」


 俺のいるクラスには虐められている奴が1人いる。主体となって虐めている奴は7人いる。残りの俺を含めたクラスメイトは認知しているだけだ。誰も何も言わない。主体となっている連中に言っても無駄なことくらい…理解しているからだ。むしろ、自分に飛び火しないか恐れているほどだ。


「おい、ちょっと来いよ。デブちん」


 虐められているのはデブちんと呼ばれている男子だった。あだ名の通り、彼は太っていて…少し根暗な部分もあるが、それ以外は何にもないどこにでもいそうな高校生だった。きっと、それが彼の虐められている理由なのかもしれない。


「聞こえてんだろ?急げよデブちん。とうとうデブから豚になったか?」

「やっさん、それ同義語じゃないっすか?」

「人間をやめたんじゃないかってことだよ」

「おぉ~、上手いこと言いますね」


 どこが上手いんだか。このクラスは茶髪のやっさんを頂点とする縦社会を形成しているため、その取り巻き達も彼を担ぎたいのだろう。生徒達によって自然と形成される校内階級制度スクールカーストの闇は深いらしい。


 そんなわけで、俺が座っている列の1番前にいたデブちんの丸い背中がのそりと動き出す。周囲にいたクラスメイト達は野次馬となり、何気なく彼らの方向に視線が集まる。正直、俺の後ろが虐めの現場になるのは勘弁なのだが…俺も、やっさんには文句が言えない。


「おっせぇ~ぞ」


 デブちんが俺の横を通り抜けた時、偶然彼と目が合う。


『僕に任せておけ』


 彼の無気力な目と合った瞬間、不意に小学校の頃の彼を思い出した。

 あの頃の彼は誰とでも仲が良く、その体型と持ち合わせていたリーダーシップから「大将」と呼ばれていた。先生からの信頼も厚くて…今よりずっと輝いていたはずだ。少なくとも、目は輝いていた。気力に溢れていた。俺は彼を幼稚園の頃から知っているので、正直なところ…虐められている彼を見ると心が痛い…ような気がする。


「今日さぁ、ゲーセン行かね?」


 彼の母親を俺は知っている。温厚で明るく、彼の家に遊びに行くと、いつも美味しいケーキを用意してくれた。そういう意味でも…俺はクラスの中で最も彼を知っていたはず。親しかったはず。

 だから彼と目が合った時…彼がこう言ったように思えた。


ーーーなぜ、助けてくれなかったのか…と。


「なぁ、聞いてんのか?」


 背後から平手打ちの音が響く。デブちんと呼ばれる大将の頬は殴りやすいんだそうな。しかし、やっさんも派手な暴力沙汰にはせず、あくまでも「じゃれ合い」の一環に限度を留めている。彼も意外と狡猾な男だ。


「…わかった」


 元大将と付き合いの長い者は誰もが「大将ならやっさんの虐めに屈しない」と、彼の強さを信じていた。だから火中の栗となった彼の手助けを行わなかったのだ。「大将は強いもんね」などと付き合いの長い者同士で笑っていたのも懐かしい。しかし彼は…俺らが思っているほど強くなかったらしい。


「声が小さ~い」


 やっさんがデブちんの横腹を蹴ると、デブちんはよろめき、俺の机に手をついた。昔は喧嘩も人一倍強かった彼も…今ではただのいじめられっ子だ。


「…ごめん」


 元大将は自分が弱者であることを自覚し、ついには俺の机に触れたことを詫びてきた。弱者であることを受け入れてしまった段階で、彼は俺らの大将ではない。


「あ~…別に」


 俺はデブちんから目を逸らし、曖昧な返事を返す。


ーーーもし、今ここで彼を擁護したら…何か変わるだろうか?


 たまに思う。ドラマやアニメに出てくる正義の味方に俺でもなれるのかと。1度は見捨てた彼を改めて助けてあげることはできるのかと。しかし、そういうことを思う度、現に何も行動できていない俺は彼を見捨てていることになる。何度も何度も見捨てたことになる。


「デブちん…可哀想~」


 教室のどこかで誰かがぼそりと呟いた。誰もがこの状況の悪さを認知している。


 しかし、この教室には…正義の味方がいない。

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