腐敗と殺戮の女神



 胸を貫く、突然の灼熱感と衝撃。

 吹き飛ばされ、地面を転がる俺に仲間たちが駆け寄ってくる。

 ただ、兄弟たちだけは得物を構えて周囲を警戒しているようだ。

 まあ、俺も目で見て状況を判断しているわけじゃない。朧げに感じられる気配から、おそらくそうだろうと思っているだけなのだが。

「狙撃だとっ!? 一体どこから……っ!?」

 焦ったジョーカーの声が聞こえる。こいつがこんな声を出すのは本当に珍しいな。

 そんなことを漠然と考えつつ、俺は衝撃を受けた胸に触れてみる。

 掌がべっとりと血で濡れる。だが、急所は外れているようだ。でなければ、今頃俺は死んでいるだろうから。

 誰かが俺の傍らに跪き、その手を俺の胸に乗せる。

 どうやら、これはサイラァのようだ。直後に感じるのは命術の温かな波動。その波動に合わせ、俺の体が癒されていくのがはっきりと分かる。

 同時に、意識の方もはっきりとしてくる。

「大丈夫でございますか、リピィ様っ!?」

 目を開ければ、そこには神がかったほどの美女の顔。こうして見ると、こいつは本当に美しい。まあ、見た目だけなんだがな。

 実際、今のこいつの呼吸は激しく乱れていた。その原因が俺に治癒魔法を施したからなのか、それとも別の理由からなのかは判断できない。

 うん、まあ、「判断できない」ってことにしておこう。その方がいろいろと都合がいいから。

「……もう大丈夫だ。世話をかけたな」

「いえ、これが私の務めでございます」

 頬を赤らめ、はぁはぁと激しい呼吸を繰り返すサイラァを意図的に視界から外し、俺は周囲を見回す。

 崩壊し瓦礫と化した会堂。

 周囲に植えられていた樹々は、俺とミーモスの魔法の余波で燃え上がり、今は例のゴーレムもどきたちが消火活動を行っている。

 そして、俺とサイラァを取り囲むようにして、周囲を警戒する仲間たち。

 と、いきなりユクポゥが動いた。

 手にしていた槍を投げつけたのだ。奴の槍には《返還》の魔法が付与されているので、投げても手元に戻ってくる。そのため、遠慮なく投げることができるのだが……そういや、ユクポゥが槍を投げるのは初めて見る気がするぞ。

 それはともかく、ユクポゥが投擲した槍は稲妻のような速度で空を斬り裂く。だが、槍の先には何もない。

 いや、何もないというのは間違いだった。なぜなら、ユクポゥが投げた槍は、何もない空間で弾かれたのだ。

 弾かれた瞬間、何もないと思っていた場所で激しい光が迸った。あの光、見覚えがあるぞ。

「今のは、電磁アーマーの……そうか、君か」

 俺の隣でジョーカーが何か言っている。

 それと同時に、何もないと思っていた場所に一人の人間が現れた。金の髪と白い肌、そして、紫水晶のような瞳の女だ。

「ジャッキー……生きていたのか……」

「ええ、この通り生きているわよ。久しぶり……何百年ぶりかしらね? こうしてあなたと言葉を交わすのは」




 何もない場所から滲み出るように現れた、一人の女。

 その女を、ジョーカーは「ジャッキー」と呼んだ。

 その名前には聞き覚えがあるぞ。確か、ジョーカーのかつての友人で、今もなおここ「銀月」で生き残っている人間だったはずだ。

 ということは、この女が正真正銘、「銀月」最後の生き残りというわけか。

「いつから君はここにいたのかな?」

「最初から……かしらね。あなたたちが会堂の中に入っていくのを、私はここから見ていたわ」

「各種センサーを騙す迷彩機能……クリフが操っていた機械兵たちと同じ機能か」

「ええ、その通りよ」

「なるほど、それなら君に気づくはずもないか」

 二人の話を聞くに、この女は初めからここに潜伏していたようだ。だが、この女の目的は何だ? 先ほどの攻撃もこの女の仕業だと考えるべきだろう。

「先程の狙撃は、超遠距離からの自動狙撃かな?」

「地上の原住民たちは、気配や殺気といったものにとても敏感よね。でも、超遠距離からの機械操作による狙撃には、さすがに対応できないでしょ?」

「機械は殺気を発しないからね。なるほど、さすがはジャッキーだ。それで、君の目的は?」

 俺たちはジョーカーと女の会話をただ聞くのみ。おそらくジョーカーも、女から必要な情報を引き出そうとしているのだろうから、ここは黙って聞きに徹するべきだ。

「私の目的……そんなもの、決まっているでしょ? クリフへの復讐……あなたを地上に落とした彼を、私はずっと恨んでいたの」

「そうか……君は僕が地上に落ちた原因を知っていたのか」

「当然でしょう? あなたがここからいなくなる理由なんて、何もないもの。そのあなたがいなくなったとなると……ね?」

 ここには三人の人間しかいなかった。その内の一人が突然いなくなったとなれば、最後の三人目が何らかの関与をしていると考えるのが妥当だよな。

 だが、それならそれで、どうして今までそのことを表沙汰にしなかったんだ、この女は?

「今まで私がクリフに何も言わなかったのは、その時ではなかったからよ、原住民の《勇者》……いえ、今は《魔物の王》と呼ぶべきかしら?」

 おいおい、ジョーカーだけではなく、この女も俺の考えていることを読むのかよ。

 ジョーカーの同胞はそんな奴ばっかりか?

「いや、ジョルっちは本当にすぐ顔に出るからねぇ。考えていることを読みやすいんだよ」

 呆れたように肩を竦めながらジョーカーが言う。俺、そんなに分かりやすかったのか?

 思わず兄弟たちへと振り向けば、ユクポゥとパルゥが揃って頷いていた。ミーモスは困ったような苦笑を浮かべ、サイラァは俺を見ていまだに息を荒げて……うん、こいつは除外してもいいだろう。

 そうか、俺、そんなに分かりやすかったのか。兄弟たちにまで分かるぐらいに。

 ちょっと衝撃が大きかったが、今は置いておこう。

 「ジョルっちのことはともかくとして……クリフがのは、君の仕業だね?」

 ジョーカーの言う「ああ」とは、あの肉塊のことだろう。そりゃ当の本人を除けば、残るはこの女一人。あの肉塊へ変じたのがクリフって奴の意思でなければ、この女の仕業ってことになるよな。

「それだけじゃない。地上のクリフの研究施設にデータを残しておいたのも君だね? 彼は本来もっと用心深い。研究データをそのままにしておくわけがないからね」

 ジョーカーの言う研究施設とは、例の黒いキメラが眠っていた場所のことだろう。そこに研究の痕跡が残されていて、そこからあのキメラをジョーカーが研究して弱点を割り出したわけだが……その手がかりとなったものもまた、この女の仕業だったのか。

 つまり、この女はクリフォードの傍にいながら、ずっとあいつの邪魔をしてたってわけだ。

 それが、この女のクリフォードに対する復讐ということか。

「でも、もういいわ。あなたはこうして帰ってきてくれた。これからは私とあなたの二人で暮らせばいいもの」

 その顔に浮かぶのは、陶然としたもの。なるほど、この女はジョーカーに……うん、まあ、いいんじゃねえか?

 もともとジョーカーはこの銀月の人間だし、これからはここで暮らしたって構うまい。

 これまでいろいろと協力してくれたジョーカーがいなくなるのは、確かにちょっと寂しいが、そこは仕方あるまい。

 だが、ジョーカーの奴は、女の言葉に首を横に振った。




「ジャッキー……君も半ば気づいているだろう? 今の僕は僕本来の体じゃない。義体を遠隔サイバーリンクで操っているんだよ。僕の本体はまだ地上にあって、動くことができない……つまり、本物の僕はここに帰って来ることはできないんだ」

「ええ、そんなことだと思ったわ。あなたがここからいなくなって百年以上は経過している。ここよりも設備が劣る地上で、それだけ生きながらえるわけがないものね。でも……」

 女はジョーカーの胸に飛び込んだ。そのまま、額を彼の胸に触れさせるようにして顔を伏せた。

「たとえ体は作り物だとしても、中身は……心はあなた本人よ。私は残された僅かな時間をあなたと共に暮らしていきたいの」

 そういや、銀月にいる残されたジョーカーの同胞たちは、もう寿命が残されていないとか言っていたっけ。なら、あの女も見かけこそ二十代ぐらいだが、あと数年程度しか生きていられないのだろう。

 ならば、この銀月でジョーカーと静かに暮らすのもいいだろう。

 と、俺が考えていた時だ。ジョーカーが途轍もなく冷たい声を出したのは。

「そして……僕を玩具にして楽しむつもりかい? クリフのように」

 しん、と場が静かになった。

 その声はただ冷たいだけではなく、明らかに殺気が込められていたからだ。

 俺とミーモス、サイラァだけではなく、ユクポゥとパルゥまでもが体を硬直させているほど、その殺気は凄まじかった。

 そして。

 そして、女はジョーカーから数歩離れると、それまで伏せていた顔を上げた。

「なぁんだ。気づいていたんだ?」

 にたぁり、と。

 腐りきった果物のような、甘くて苦くて毒を含んだ笑みをうかべながら。

 その笑みはまさに、腐敗と殺戮を連想させる何とも毒々しいものだった。



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