女神降臨
結局、その古い屋敷には何もなかった。
いや、何もなかったのは俺たちが探索した地上部分の話だ。
ジョーカーたちが調べた地下部分には、奴の推測通り目覚めていないキメラたちが大量にいたそうだ。
それらのキメラたちは、ジョーカーが処理したらしい。何でも、目覚める前であれば簡単に倒せるとのこと。
「培養槽の中にいるのであれば、スイッチ一つで絶命させられるんだ。何らかの保険機能なんだろうね」
とジョーカーは言っていたが、いつものごとく、俺たちにはよく理解できない。
「それで、クリフって奴の施設の手がかりはあったのか?」
「いやー、それがね? ここにもクリフの隠し施設の手がかりはなかったんだよ。相変わらず無駄に慎重だね、彼は。でも、例の黒いキメラに関する研究データはあったから、それを解析すればキメラどもについて、もっと詳しく分かると思うよ」
おい、ジョーカー。それって結構重要なことじゃないのか?
「僕はここに残って、キメラの研究データを解析するつもりだ。ここなら、それを行うための機材や設備が何とか使えそうだからね」
どうやら、あの黒いキメラどもがここから飛び出す時、地下施設もそれなりに破壊されてしまったらしい。だが、まだ使える設備も残っているとのことで、ジョーカーはそれを用いてキメラの解析をするつもりなのだろう。
「そっちは任せるが、その解析が終わるまでどれぐらいの時間が必要だ?」
「それは何とも言えないね。すぐに終わるかもしれないし、しばらく時間がかかるかもしれない」
確かにジョーカーの言う通りだな。
「解析が終わったら、すぐに知らせるよ。それまでの間、ジョルっちはどうする?」
そうだな。俺は……やはり、レダーンの様子を見に行ってみるべきだろうか?
ゲルーグルたちを派遣したのはいいが、正直言うと、彼女たちだけってのはちょっと心配だからな。
よし、すぐにリーリラ氏族の集落に戻り、それからレダーンへ向かうとしよう。
どうしてこうなった?
俺はレダーンの町を囲む城壁の上から、町の中を見下ろして首を傾げる。
その俺の隣にいるギーンもまた、不思議そうな顔だ。
なお、俺たちを町の近くまで案内してくれたメセラ氏族のダークエルフの姿はない。彼は俺たちをここまで案内するという役目を終えると、その姿を消した。相変わらず、メセラ氏族の隠形術は半端ない。
どうして俺たちに道案内が必要であったかというと……分かるだろ? 俺もギーンも方向音痴だからだよ。
実際、俺たちだけだったら、ここまで到着するのに二、三日ほどかかったかもしれない。
その俺たちの視線の先では、ゲルーグルが多くの人間たちに囲まれている光景が展開されていた。
とはいえ、彼女が人間たちに襲われているわけではない。人間たちは、純粋にゲルーグルの歌に熱狂しているようだ。
もちろん、その歌には魔力は乗せていない。ごく普通の歌を聞いて、人間たちは盛り上がっているのだ。
ちなみに、歌っているのはゲルーグルだけではない。ドゥムも一緒になって歌っているが、人間たちに彼女を恐れている様子はない。
よく見れば、人間の吟遊詩人たちがゲルーグルとドゥムの歌に合わせて演奏し、その歌と音楽をバルカンが風術で広く拡散しているようだ。
ホント、何がどうなっているんだ?
「ともかく、ミーモスに話を聞きにいくか」
「リピィの言うミーモスってのは、人間の中でもかなり偉い奴なんだろう? そんな奴が、俺たちに会ってくれるのか?」
ギーンのその疑問ももっともだ。普通、立場のある人間は妖魔に会おうとはしないものだからな。
「まあ、そこはこっそりと忍び込むしかないだろうな」
「……本当に大丈夫か?」
大丈夫、俺を信じろって。
俺とどこか呆れた様子のギーンは、〈姿隠し〉の魔法を使うと、そのまま町の中へと入り込んだ。
「彼女たちは、今やこの町の救世主ですよ」
と、ミーモスはにこやかにそう告げた。
黒いキメラどもの攻勢に、劣勢に追い込まれたミーモスたち。そこを、ゲルーグルとドゥムの〈歌〉で士気を回復させたことで、何とか互角へと持ち込んだ。
そのまま激戦が続くことしばし。すると、突然黒いキメラどもがばたばたと倒れ出したらしい。
そしてそのまま黒いキメラどもは絶命し、その体も見る間にぐずぐずと崩れ始めたそうだ。
おそらく、ジョーカーが言っていた通りなのだろう。あの黒い奴らは、回復能力を高めすぎたせいで、活動時間が極めて短いらしいからな。
そのことをミーモスに告げれば、彼は納得した顔で何度も頷いていた。
今、俺たちがいるのはこの町の領主の館にある一室だ。
俺とギーン、そしてミーモス以外には誰もいない。
姿を消した俺たちの存在に気づいたミーモスが、人払いをしてくれたのだ。
「しかし、ゲルーグルはともかく、よくドゥムやバルカンまで受け入れられたものだな?」
「そこは上手く言いくるめましたよ。ドゥム嬢とバルカン殿はゲルーグル嬢が使役している、ということにしてあります」
そもそも、このレダーンの町は冒険者が多い町だ。冒険者って連中はある意味で現金なものであり、利用できるものは何でも受け入れるものでもある。
そんな冒険者たちの中には、妖魔や魔獣を味方として使役する者もいる。いわゆる、「手懐ける者」とか、「
そんな冒険者たちにとって、ゲルーグルは受け入れやすい存在だったのだろう。そのゲルーグルに使役されていることになっている、ドゥムとバルカンもまた。
「兵士や騎士たちも、ゲルーグル嬢に助けられたことに恩義を感じていますし、何より彼女のあの可憐な容姿が、兵士や騎士たちに受け入れられたようですね」
なるほど。いつの時代でも、男って奴は美女美少女に弱いものだからな。ゲルーグルは尖った耳を除けば、人間とほとんど変わらない姿をしているし、この町の人間たちも受け入れやすかったのだろう。
そのゲルーグルが
あれ? 俺、誰かを忘れていないか?
「ところで、リピィ。そちらのダークエルフの少年はどなたなのですか?」
「ああ、こいつはギーンと言って、リーリラ氏族の族長の孫さ」
「リーリラ氏族の? ということは、サイラァ嬢の弟さんですか?」
あ!
そうだよ! サイラァのことをすっかり忘れていた!
あいつはどうなったんだ?
「サイラァ嬢は……そ、その……」
何か言いづらそうな様子のミーモス。彼のそんな様子に、ギーンが顔を顰める。
「ま、まさか……姉さんに何かあったのか?」
「ま、まあ、何かあったのか、と言われればあったのですが……」
おいおい、ミーモス。サイラァに何があったんだ?
再び姿を消した俺たちは、ミーモスに案内されてとある建物の中へと入った。
どうやらそこは負傷者が収容されている場所のようで、中は薬と血の入り混じった独特の臭いに満ちていた。
そんな中で。
建物の最奥、ちょっとだけ高くなった場所に、サイラァが立っていた。
建物の窓から差し込む陽の光がサイラァの周囲を彩り、彼女の美貌とも相まって、何とも神々しい光景を描き出していた。
そして、そんなサイラァを囲むように跪くたくさんの人々。その身なりから、兵士や騎士、冒険者であることが分かる。
「ああ……我らが《黒の聖巫女》様……」
「俺たちの命を救って下さったあの方は、まさに女神の化身だ」
「今日もなんてお美しい……」
あ、あー……、そういうことか。
この連中は黒いキメラたちとの戦いで傷つき、サイラァの命術で命を助けられたんだな。で、命の恩人である彼女を《黒の聖巫女》とか呼んで、女神のごとく崇めているってわけだな。
確かに、サイラァの命術の技量は極めて高いし、その美貌も神がかっていると言っていいほどだ。命を助けられた者たちが、そんな彼女を思わず崇めてしまうのも理解できる。
でも、いいのか? あいつは人間からすると敵である妖魔のダークエルフだぞ? そのダークエルフを崇めてもいいのか?
それに何より、あいつはサイラァだぞ?
まあ、あいつの性癖さえ知らなければ、女神の化身と思い込んでしまうのも無理はないけどな。
そんな元負傷者たちに囲まれて、静かに目を閉じたまま立っていたサイラァが、ふと目を開けると俺の方にその視線を向けた。
「そちらにおいでなのですか、我が主様……それに、ギーンも一緒のようね」
にっこりと。
まさに女神のような慈愛に満ちた笑顔が、俺たちに向けられる。姿を消しているというのに、相変わらず鋭いな。
そしてサイラァがそんな反応をすれば、当然彼女を崇めていた者たちも、揃って俺たちの方を見る。
「な、なんだ……? 今、《黒の聖巫女》様は『主』とおっしゃられたが……?」
「あ、あそこにおられるのはミルモランス殿下……?」
「ということは……ミルモランス殿下が《黒の聖巫女》様の主ということか……?」
「それに、《黒の聖巫女》様が他にもおっしゃられた、『ギーン』とは一体……?」
姿を消している俺たちは、当然サイラァの「信者」たちには見えない。すると、「信者」たちの視線は、俺たちのすぐ近くにいたミーモスに向けられるわけで。
このまま、ミーモスをサイラァの主ってことにすれば、いろいろと面倒ごとがなくなるんじゃね?
思わずそう考えた俺の思考を読んだのか、ミーモスが深々と溜め息を吐いた。
「勝手に人をサイラァ嬢の主にしないでください。それに、そろそろ観念して姿を現してはどうですか?」
どこかおもしろそうな雰囲気を孕んだミーモスの視線が、俺へと向けられた。
こいつ、絶対にこの状況を楽しんでいるだろ? それに皇子殿下。皇子なんて立場の奴が、俺と繋がっていることを知られてもいいのか?
俺が小声でそう尋ねれば、奴はしれっと答えやがった。
「構いませんよ。先ほど襲撃してきた黒い怪物を倒すためには、あなたと手を組む必要がありそうですからね。あなたのことは、僕から父や兄たちに知らせるつもりです」
実際、ゲルーグル嬢たちの助力がなければ、僕たちは敗北していたでしょうから、とミーモスは続けた。
確かに、あのキメラどもを倒すには、俺たちだけでは数が足りないし、ミーモスたちも力が及ばないのだろう。
だが、俺たち──妖魔と人間が手を組めば、あのキメラどもに抗うことができる。
そしてそれは、このレダーンの町に限ったことじゃない。ゴルゴーク帝国全体にも言えることなのだろう。
「どうなっても知らないぞ? おまえの皇子としての立場も、《勇者》としての立場もなくなるかも知れないからな?」
「構いません。そんなものよりも、今の僕はあなたと手を組む方を優先します」
ち、こいつにここまで言われたら、俺も腹をくくるしかないよな。
俺は〈姿隠し〉を解除して、姿を見せる。もちろん、ギーンも一緒にだ。
突然現れた俺たちを見た元負傷者たちが、騒然とし始める。まあ、その気持ちはよく分かるが。
そして、元負傷者たちが騒ぐ中を、サイラァがゆっくりと歩いてきて、俺の前で跪き、額を地面に触れさせるほど深々と頭を下げた。
またも騒然とする元負傷者──いや、サイラァの「信者」たち。彼らからしてみれば、自分たちが崇める「女神」がゴブリンの足元に跪いているのだ。混乱して当然というものだろう。
そして、そんな中でサイラァが頭を垂れたままはっきりと宣言する。
「こちらにおみえのお方こそ、我が最愛の主様にして今代の《魔物の王》、そして、《白き鬼神》とも呼ばれるお方──リピィ様です。あ、そちらの少年は単なる私の弟ですから」
サイラァがそう宣言した瞬間。
元負傷者にして彼女の「信者」たちが、一斉に俺に鋭い視線を向けた。
おい、おまえら。
その視線、俺が《魔物の王》だから、ってわけじゃ絶対ないよな?
なお、ついでのように「単なる弟」と姉から告げられたギーンは、どこか不貞腐れた顔をしていた。
なんだかんだ言っても、こいつは姉のことが好きなんだよな。
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