三妖魔、降臨




 落ちていた士気が、見る見る高まっていくのが分かります。

 原因はもちろん、響いてくるこの歌声。おそらくは、「彼」の配下であるゴブリン・キングの〈歌〉が、我々の士気を高めているのでしょう。

 以前、ノエルイ村の郊外での反乱鎮圧の際は、この歌声に戦意を削がれて困ったものですが、これが味方になるとこれほど心強いものはありません。

「で、殿下……この歌声は……?」

「どうやら、援軍が到着したようですね」

「え、援軍……ですか? 一体、どこの軍勢でありますか?」

 傍らに控えている近衛騎士が、不思議そうに首を傾げます。さて、どう言ったものでしょうか。素直に《魔物の王》の配下と言っても信じてもらえるかどうか。

 と、僕がそんなことを考えていた時、不意に頭上を何かが通り過ぎました。

「あ、あれは……マンティコア……?」

「ま、まさか、また敵の増援かっ!?」

 頭上を通過した魔物──おそらくはマンティコアの上位種──に、周囲の近衛騎士たちが警戒を強めます。

 そのマンティコアが頭上で旋回しゆっくり着地すると、その背からの人物がひらりと飛び降りました。

「な……に、人間の少女……?」

 マンティコアから降りた人物は、一見すると人間の少女のように見えます。ですが、その人物──身長5フィート半(約165センチ)で、艶やかな黒髪と妖しい金色の双眸を持っていました。おそらくですが、とても美しいその少女こそが先程の歌声の主なのでしょう。

「え、えっと……? き、キミがリピくんが言っていた皇子様……かな?」

 そう僕に問いかける声は、やはり先程の歌声と同じものでした。

「そういうあなたは?」

「わ、私はゲルーグル。ゴブリン・キングのゲルーグルよ。り、リピくんに言われて、キミたちニンゲンを助けに来たの」

 なぜかマンティコアの巨体の後ろに隠れながら、それでも無理してにっこりと微笑むその少女。そのどこか弱々しい笑顔に、周囲の近衛騎士たちは保護欲でも掻き立てられたのか、剣を手にしたまま、少女を庇うようにしているマンティコアを睨み付けています。

「なぜ、儂が睨まれるのか……解せん」

 マンティコアが何やら呟いていますが、近衛騎士たちには聞こえていないようですね。

 確かに、帝国の帝城でもこれほど美しい少女はなかなか見かけません。そんな少女がどこかおどおどした様子でいれば、騎士たる者ならば少女を守ろうと思うものでしょう。

 弱者を守る剣であれ。それこそが騎士道というものですから。

 ですが、彼女は人間ではなく、ゴブリン・キング。僕自身──これまで何度も《魔物の王》となった僕でも、このような姿のゴブリン・キングは見たことがありませんが。

「それで……『彼』からの援軍は、あなたとそのマンティコアだけなのですか?」

「う、ううん、違うよ? こ、このニンゲンの集落……えっと、『町』だっけ? こ、ここに来たのは、私とバルカンだけじゃない……って、ほら、来たみたいだよ」

 と、ゲルーグルという名前のゴブリン・キングが、町の城壁の上を指差しました。

 そこには。

 大人の男性以上……いえ、オーガーにも見劣らない背丈と、それに相応しいがっちりした体格。綺麗に櫛を入れられた艶やかで長い黒髪と、ふるんと胸元で揺れる大きな二つの果実。

「な、なんだ……あ、あれは……?」

「こ、今度こそ敵の増援か……?」

 近衛騎士たちが、呆然とした様子でその魔物を見つめています。

 一方、ゲルーグルという名前のゴブリン・キングは、嬉しそうな笑顔でぶんぶんと両手を振っていました。

「ドゥムー! こっち、こっちー!」

 その声が聞こえたのか、城壁の上の魔物がひらりと地面に飛び降り、そのままこちらへと駆けて来ました。

 もうもうとした砂煙を蹴立てながら。

「お待たせいたしましたわ、ゲルーグル。このワタクシが来た以上、もう何の心配もありませんことよ!」

 まるで、貴族の令嬢のような言葉遣いのその魔物に、近衛騎士たちが再び呆然としています。

 かく言うこの僕もまた、こんな魔物は初めて見ますが。

「あら、こちらの殿方は?」

「うん、この人がリピくんの言っていた皇子様みたい」

「あらまあ、そうでしたの。ワタクシとしたことが、とんだ失礼を致しましたわ」

 と、その巨大な魔物はまるで二つの胸を誇示するかのように胸を反らしました。

「ワタクシはドゥム! ゴブリン・キングのドゥムですわ! 以後、よろしくお願い致しましてよ!」

 え、えっと……この巨大な魔物もまた、ゴブリン・キングなのですか? これまた僕の知るゴブリン・キングとは全く異なるのですが……「彼」の配下は少し個性的過ぎませんか?

「ところで、ドゥムはどうやってあの大きな壁を乗り越えたの?」

「あら、あの程度の壁、このワタクシには大した障害ではありませんわ。ちょっとその気になれば、易々と飛び越えられますわ!」

 …………もう、何も言う気が起きませんね。

 これまで何度も《魔物の王》となった僕でも、これほど個性的な配下を持った覚えはありませんよ。

「では、ニンゲンの皇子様。これより、我らが『王』の命によりアナタ方を奮い立たせてあげますわ! 行きますわよ、ゲルーグル!」

「うん、上手く合わせてね、ドゥム」

「〈声〉の増幅と伝達は儂に任せるがいい」

 妖魔の少女はマンティコアの背に乗り込み、巨体の魔物はひらりと飛び上がり。三体の魔物たちは、手近にあった家の屋根へと移動しました。

 そこで、二体のゴブリン・キングが大きく息を吸い込み、マンティコアが詠唱を開始します。

 そして。

 そして、戦場となっているレダーンの町に、美しく澄んだ〈歌〉が響き渡ったのはその直後でした。




──さあ、時は来た。

  反撃の狼煙が今上げられる。

  ここからは俺たちの手番だ。

  敵は手強いが、俺たちだって強いぜ!


  虎はなぜ強いのか? それは、虎は虎だからさ。

  虎は生まれ落ちたその時から、

  強者という誇りを持っているから強いのさ。

  なら、俺たちだって誇りさえ持てば、

  虎のように強くなれるはずだ。


  さあ、立ち上がれ!

  虎のように雄々しく奮い立て!

  俺たちは虎だ! 虎になるのだ!

  の誇りを胸に刻めば、もう俺たちに敵はない!


 凛々しくも力強く、そして美しい歌声がレダーンの町の隅々まで広がっていきます。

 二つの歌声が、互いに互いを高め合い、ゴブリン・キングの〈歌〉の力をより一層強めているようです。

 ゴブリン・キングの〈声〉を調和させることで、その効果をより高めることができようとは、僕も知りませんでした。

 そもそも、ゴブリン・キングはとても少ない種族です。その稀少なゴブリン・キングを同時に二体も配下にするなんて、過去の僕にもあり得ないことでしたから。

 「彼」にはいつの時代でも、型破りなことをして驚かされたものですが、《魔物の王》となった今代でもその特性は健在のようですね。

 そして、ゴブリン・キングたちの歌声に背中を押された我が軍は、一気に黒い怪物たちを押し返しだしました。

 それまでの劣勢が嘘のように、黒い怪物たちを次々に撃破していきます。二体のゴブリン・キングの〈歌〉が、我が軍の士気を高め、一人ひとりの実力までをも高めているようです。

 もちろん、我が方にも被害は出ています。負傷し、命を落とす者の数は少なくはありません。

「負傷した者は、直ちに後方へ下げて治療を施しなさい。命術の使い手は足りていますか?」

「は、はい……残念ながら、現状では負傷者全てにその命術の施術が行き届かない状態です」

 この町には冒険者の数も多く、その中には命術の使い手もそれなりにいるのですが、負傷者が次々に発生する現状では、術者の数が足りないのもまた事実。

 命術の使い手は、そもそも数が少ないのです。

 その時でした。不意に背後から声が聞こえてきたのは。

「その点に関しては、この私がお力になれるかと」

 声のした方へと振り向けば、そこには一人の女性。褐色の艶やかな肌と、つんと尖った長い耳が、彼女がダークエルフであることを物語っています。

「だ、ダークエルフ……っ!?」

「い、一体いつの間に……っ!?」

 周囲の近衛たちが剣を手に、ダークエルフに対して殺気を放ちますが、それを僕が制します。

 ダークエルフという種族は、隠行に優れた種族。人知れず背後に近づくなど、造作もないことでしょう。

 近衛騎士たちは気づいていないようですが、彼女はゲルーグルというゴブリン・キングと一緒に、マンティコアに乗ってここに来たのです。

 僕や近衛騎士たちの注意がゲルーグルに向けられている間、彼女は静かにマンティコアの傍で控えていました。

 おそらく、何らかの隠形の技を使っていたのでしょう。僕以外に彼女に気づいた者はいませんでしたから。

 その隠形の技だけを見ても、彼女が只者ではないことが分かります。

 一方、近衛騎士たちから殺気を向けられたその女性は、何故か恍惚とした表情を浮かべながら息を荒げています。

 …………只者ではない香りが、尋常ではないです。ええ。

「わ、我が『王』の命により、皇子様方のお力になるために参上致しました」

 と、それまでの異様が嘘のようにしゃっきりとしたダークエルフの女性が、優雅に腰を折りました。ですが、よくよく見ればその体はいまだに細かく震えています。近衛騎士たちから殺気を向けられたことで、怯えているのでしょうか?

 いえ、これは僕の直感でしかありませんが、そうではないような気がしますね。

「申し遅れました。私はサイラァ・ゴーガ・リーリラ。命術の心得があります」

 ほお、命術の使い手ですか。それはありがたい。

「分かりました。早速ですが、負傷者の手当てを……」

「お、お待ちください、殿下っ!! 殿下はなぜ、突然現れた妖魔どもを平然と受け入れておられるのですかっ!?」

「得体の知れないダークエルフを負傷者に近づけるなど、許されるわけがありませんぞっ!!」

「そ、そうですっ!! 先程の妖魔や魔獣といい、このダークエルフといい……なぜでございますかっ!?」

 まあ、そうですよね。普通であれば、突然現れた妖魔を信じる人間なんていません。

 ですが、僕は違います。彼女たちが「彼」の配下である以上、信じるに値するのです。

「あなた方の言いたいことは理解できます。ですが、今は細かいことを言っていられる場合ではありません。実際、あの二体の妖魔たちの支援がなければ、我々は黒い怪物たちに押し潰されるだけなのですからね」

 今も家屋の屋根で、士気を高める〈歌〉を歌い続ける二体のゴブリン・キング。彼女たちの力添えがなければ、我々の未来に光はないのです。

 そして。

「よろしければ、ここから負傷者の治療をいたしますが?」

 どこか妖艶な雰囲気を纏ったサイラァというダークエルフが、そんなことを言い出しました。

「ここから……ですか? 負傷者たちが収容されている場所まで、それなりの距離がありますよ? それに、どこに負傷者たちが収容されているのか分かるのですか?」

「お任せください。傷付いた者たちの居場所を、この私が見誤るわけがありませんので」

 ……一体、どういう意味でしょうか?

 思わず首を傾げる僕の目の前で、ダークエルフの女性が詠唱を開始しました。そして、その詠唱が終わると同時に。

 彼女から発せられた眩しくも温かな光が、大地を伝うように駆け抜けていきます。

 その先は、負傷者が収容されている建物。どうやら、本当に負傷者たちがいる場所が分かっていたようです。

「え……え、〈遠隔治癒〉……?」

「命術に属する治癒魔法の中でも、かなり上位の術だと聞くが……」

「それをこのダークエルフが……?」

 またもや呆然とする近衛騎士たち。でも、彼らの気持ちも理解できます。

 彼らが言ったように、〈遠隔治癒〉は極めて上位の術式です。我がゴルゴーク帝国でも、この術式が使える術者は数えるほどしかいません。

 その〈遠隔治癒〉を、サイラァという名前のダークエルフはあっさりと行使したのですから。

 彼女が如何に高い実力を持つ命術師であるか、よく分かるというものです。

 なぜか、そのサイラァ自身は「……傷ついた者が減ってしまった……」とか詰まらなさそうに呟いていましたが……なぜでしょう?

「い、一体何者なのだ、この妖魔たちは……?」

「ど、どうして妖魔が我々の味方を……?」

 問題は、部下たちをどうやって納得させるかですが……まずは目の前の問題を排除しましょう。

 そう。

 黒い怪物たちを、一体残らず殲滅するのです。



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