魔獣と魔剣
今、僕の目の前には異形の怪物どもがいます。
「彼ら」には手も脚もなく、その頭部には目も鼻もない。全長は9フィート(約2.7メートル)ほどの細長い体で、その体の直径は1フィート(約30センチ)。
全身は薄い赤がかかった灰色。その細長い体がうねうねと蠢き、正直あまり直視したい光景ではありません。
ですがこの異形──
集められた地竜の数は三十体ほど。これだけの地竜を集めるのは一見大変そうですが、実はそれほど難しくはありません。
豊かな穀倉地帯であれば、大抵どこの農地にもこの地竜はいるのですから。
知性はほぼなく、あるのは生物としての本能のみ。竜と呼ばれているものの、実際には竜種というわけではなく、飛竜のような亜竜でさえない単なる魔獣。
巨大ではあるものの、食用には向かず農耕などに利用することもできない。正確には、地中にこの地竜がいると、土が豊かになるのでまるで役に立たないわけではないのですが、別に意識して飼育などしなくても、土の下に勝手に生息して数を増やすので、家畜とされることもありません。
ただ、増えすぎると農作物……特に芋などの地中で育つ作物を食い荒らすこともあるので、適当に間引きされるだけの無害な生き物です。
巨大なだけあって食欲は旺盛。というより、この魔獣には本能による食欲と繁殖欲ぐらいしかありません。
ですが、悪食であり土でも岩でも何でも食べます。もちろん、樹木などの植物だって食べてしまいます。
頭部先端にある円環状の口には、鋭く細かな牙がびっしりと生え、この牙で何でも齧り取ってしまうのです。
ですが、なぜか他の生き物を食べることはありません。他の動物の屍肉は食べるようなのに、生きている生物を襲うことはないのです。
「うはぁ……正直、あまり気色のいい風景じゃねえなぁ、これ」
僕の隣で地竜たちを眺めていたバレン兄上が、盛大に顔を顰めながら言いました。
「しかし、まさか地竜を飼い慣らすとはな」
呆れ半分、驚き半分といった様子のバレン兄上。そんな兄上に、僕は意味ありげな笑みを浮かべました。
実を言えば、地竜を飼い慣らすことなどできません。そもそも知能がほとんどないので、命令を聞き分けるようなことはできないのです。
ではなぜ僕がこの魔獣たちを使役できるのか。
それは僕が持つ特殊能力……〈魅了〉のなせる業なのです。
かつて何度も転生し、その度に《魔物の王》となった僕は一つの特殊能力を有しています。その能力こそが、他者を支配下に置く〈魅了〉です。
知能の高い生物……例えば人間などにも有効ですが、その効果は数日ほどのみ。ですが、知能の低い生物であれば、ほぼ半永久的に支配下に置くことができます。
この能力を用いて、かつての僕は知能の低い魔獣を支配下に収め、《魔獣の王》となったのです。
もちろん、生前の僕にも知能の高い部下は数多くいました。そのような者たちは交渉を用いたり、時には実力で従えたりしてきたのです。妖魔などはどれだけ知能が高くても、やはり強者に従うものですから。
ですが、強力ではあるものの知能の低い魔獣は、他者に従うということをしません。魔獣と言えども動物なみの知能しか持たないものを従えるのに、この〈魅了〉はとても有効でした。
中には魔狼のように強者に従う魔獣も存在しますが、そのような魔獣は例外的と言ってもいいほどです。
この〈魅了〉を今生の僕も有しています。この能力を使って、時には僕に非協力的な者を排除することもしました。
〈魅了〉の効果は数日しか保たなくても、その間に有益な情報を吐かせるなど使い方次第では十分役立ちますから。
そして今。この〈魅了〉で支配下に置いた地竜を使って、僕たちはリュクドの森を攻略する予定です。
「ところで、バレン兄上。リュクドの森の攻略は僕の担当ですが、例の巨大鋼鉄魔像はどうするおつもりですか? そちらは兄上が受け持つとおっしゃっていましたが?」
「おう、それならばっちりよ!」
自信に満ちた笑みを浮かべた兄上は、ぽんぽんと腰に佩いた剣を叩きました。
その剣は、いつもの兄上の愛剣ではありません。僕も初めて見る剣です。しかも、その剣は……とてもじゃありませんが、一国の皇太子が持つような剣ではありません。
見るからに薄汚れたみすぼらしい剣。どうやら刀身も錆び付いているようで、僕のいる所まで錆の臭いが漂っているほどです。
鞘だけは新調したのか真新しいようですが、柄や鍔は見るからにぼろぼろで、触れただけで崩れてしまいそうです。本当にこの剣が巨大魔像に対する切り札なのでしょうか?
「こいつは俺の収蔵品の中でもとびっきりの珍品で、数代前の《勇者》が所持していたって説もあるほどのシロモノだ。ま、俺に任せておきな」
確かに、兄上が剣の収集家であることは帝国でも有名です。兄上の収蔵品の中には、有名な剣匠が鍛えた名剣や魔力を帯びた魔剣が数多くあることは、帝国の貴族であれば誰もが知るところです。
その兄上がここまで自信満々に言うのですから、この一見するとみすぼらしいだけの剣には、何らかの魔力があるのでしょう。
しかし、数代前の勇者が所持していた剣ですか。少なくとも、僕には「彼」がこのような剣を持っていた記憶はないのですが。
もちろん、
ただ単に僕が知らないだけで、実際に「彼」が所有していた剣なのかもしれませんし。
「兄上がそこまでおっしゃるのであれば、僕はこれ以上何も言いません」
「おう、おまえは森を拓くことに専念してくれればいい。後は俺が全て片付けてやるぜ。当然、例の巨大魔像もな」
いやはや、我が兄ながら実に剛毅なことです。
豪快に笑うそのバレン兄上が、いよいよリュクドの森へと進軍する命令を下したのはその直後のことでした。
轟音と共に、何百年という樹齢を誇りそうな巨木が倒れました。そして、その倒れた巨木を地竜がばりばりと噛み砕き、嚥下していきます。
僕のリュクドの森攻略の策。それは地竜に邪魔な樹木や岩を食べさせて進軍可能な道を作り出すことです。
この日のために、地竜にはしばらく餌を与えてありません。空腹感が頂点になっている地竜たちは、驚くほどの勢いで「森を食べて」いきます。
もちろん、自由気ままに地竜を活動させるわけにはいきません。ダークエルフの集落がある方角に、真っ直ぐに進ませています。これもまた、〈魅了〉で支配下に置いているからこそできる芸当ですね。
兵士や騎士たちは、最初こそぐねぐねと蠢く地竜たちを気味悪そうに眺めていましたが、リュクドの森の中に真っ直ぐな道ができはじめると、大きな歓声を上げました。
地竜たちはどんどんと「森を食べ」、その背後には綺麗な道が拓けていきます。軍事物資を満載した馬車が、余裕で通れるほどの道をです。
その光景は実に圧巻。兵士の中には、その光景を呆然と眺めている者さえいたほどでした。
「……魔境と名高いリュクドの森が、こうも簡単に切り拓けるとはなぁ」
僕の隣で、バレン兄上が呆れた声を上げました。
「本当におまえが弟で良かったぜ。もしもおまえが俺の敵だったら……考えるのも嫌になるな」
「ですが、地竜も生物です。いずれは食欲も衰えて進軍速度も落ちるでしょう。問題はそれまでに、どこまで森を拓けるかです。できれば、早急にダークエルフの集落を発見したいところですね」
「その辺はガルディの部下どもががんばってくれるだろ」
ガルディ兄上の部下たちは、地竜よりも先行して森の中を偵察しています。ダークエルフとて斥候ぐらいは放っているはずなので、いずれ兄上の部下たちがダークエルフを発見し、その集落も見つけ出すことでしょう。
「密偵といえば、例の行商人にも張り付けてありますね?」
「はい。殿下のご命令通り、あの行商人にも数名の密偵を張り付けてあります」
僕の背後に控えていた部下が答えました。《辺境の勇者》と繋がっているであろう例の行商人を、そのまま放っておくわけにはいきません。
できれば行商人の身柄を取り押さえてしまいたいところですが、何の罪もない者を取り押さえるわけにもいきません。もっとも、いざとなれば何らかの罪をでっち上げてでも、取り押さえるつもりです。
「それで、あの行商人はどうしています?」
「行商人はレダーンを発ち、現在は隣国……グーダン公国方面へと向かっているようです」
行商人に張り付けてある密偵から、そのような報告があったそうです。
ちなみに、密偵たちは特別な訓練を施した小さな鳥を連絡用に用います。どのような訓練を施すのか以前にガルディ兄上は聞いたことがありましたが、兄上は僕にも教えてくれませんでした。どうやら、かなり重要度の高い秘密のようですね。
「しかし、グーダン方面ですか。てっきり、《辺境の勇者》と接触するために行商人はリュクドの森に入ると思っていたのですが……」
少々読みが外れましたか。まあ、そういうこともあります。僕とて人智を超えた存在ではないのですから。
適当なところで進軍を一時中断し、野営の準備に取り掛かる帝国軍。
日も暮れてきたし、今日一日ずっと「森を食べて」いた地竜たちもそろそろ満腹らしく、食べる勢いが見るからに低下したことも合わせて、本日の進軍はここまでとしました。
天幕などを組み上げ、食事の準備をし、と慌ただしく動き回る兵士たち。真っ先に用意された皇族用の天幕の中に入った僕とバレン兄上は、軍装を解いて肩の力を抜きました。
「今日一日、特に襲撃もなかったな。これはおそらく……」
「ええ。ダークエルフが僕たちを襲うとすれば、それは夜間でしょうね。彼らは暗闇の中でも見通せますが、僕たちはそうはいきません」
「今晩の警戒は特に厳しくする必要があるな」
篝火を多く配置し、見張りも多めに立てるよう部下に命令するバレン兄上。命令を受けた部下たちは、足早に天幕を出ていきました。
そして、その予測は半分的中し、半分外れました。確かに襲撃はあったのですが、それはダークエルフではなかったのです。
「
「はい、殿下。先程襲撃してきたのは、ダークエルフではなく屍肉魔像のようでした」
夜半過ぎ。襲撃の報告を受けて飛び起きた僕とバレン兄上は、予想外の事実に顔を見合わせました。
報告によれば、それまで輝いていた金月が、流れてきた雲によって隠されたころのこと。
この野営地に近づく人影を、歩哨に立っていた兵士が見つけたそうです。
その人影に気づいた兵士は、手にしていた松明を掲げてその人影を確認しました。
ダークエルフの襲撃があるかもしれないと知らされていた兵士たちは、近づいてきた人影が人間らしいこと、そして相手が一人しかいなかったことで、一瞬気を緩めてしまったそうです。
冒険者らしき格好をした者は、ふらふらと無警戒に野営地へと近づいてきました。
いくら冒険者とはいえ、たった一人でこんな時間に危険な森の中を歩くことはまずありません。ですが、何らかの理由で歩かざるを得ない事態はありえます。
近づいてくる冒険者らしき者は今にも倒れそうで、まるで何かから逃げてきたかのようだったとのこと。
そして、見張りの兵士の前まで来た冒険者は、実際にそのまま崩れるように倒れ込んだそうです。何があったのか確かめようと兵士が近づくと、突然飛び起きた冒険者が兵士へと襲いかかりました。
不意打ちを受けた兵士はそのまま倒され、襲撃者である冒険者は血に濡れた剣を持ったまま野営地へと入り込み、手当り次第に兵士たちを襲ったとのことでした。
「同じ手口の事件が同時に五か所で発生し、少なくない被害を出しつつも襲撃者は全て倒しました。その後、軍内の魔術師が襲撃者を調べたところ、人間ではなく魔像であることが判明した次第です」
「……ふらふらと歩いて来た奴が目の前で倒れれば、普通なら誰だって無警戒に近づくよな」
「ええ、そんな人間の心理を突いた襲撃ですね、これは」
腕を組んで顔を顰めるバレン兄上の言葉に、僕もまた厳しい表情で頷きました。
千人以上の兵士がいる野営地となれば、それなりの広さになります。その広さを逆に活かし、五か所で同時に同じ手口の襲撃。しかも、一見しただけでは普通の人間にしか見えない屍肉魔像を使った、実に巧妙なやり方。この月が雲に隠れた暗闇さえ利用したようです。
「どうやら、あちらさんに相当な切れ者がいるのは間違いないな」
「ええ、しかも、かなり嫌らしい性格の人物のようですね」
こんな嫌がらせじみた手口を考えるなど、普通の感性の持ち主のはずがありませんから。
ですが、同じ手は通用しません。
リュクドの森の攻略は、これからが本番のようです。
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