懺悔と創世記
梶原八雲
第1話 母
誰もが皆、母親の腹から生まれてくる。
ゆっくりと回転しながら這い出、母の痛みと力とを代償にしてこの世の空気を初めて吸う。
臍の緒が切られ、寄生虫のような命からやっとヒトの仲間入りをするのだ。
母とは何か。
親子とは何か。
家庭とは、家族とは。
僕が生まれた時から閉じ込められているこの歪な家には、毎日金切り声と罵声、嗚咽が響いている。
木霊するわけもなく、ぶつ切りのその声たちは誰に届くわけもなく床に転がり落ちて死んでいく。
いい加減に発された言葉は、消える時もまた杜撰な最後を遂げ、それはまるで僕のようだった。
いい加減に生まれた命は、いい加減にしか死ぬ事が出来ないのだろうか。
あまりに無惨で、この家で空気を吸うことすら肺に水が溜まるように思える。
リビングにはいつも青臭いような、獣臭いような臭いが立ち込めていて、カーテンも開けなければ、窓も開けない。掃除ももうしばらくしていないし、僕自身があの苦痛な空間に居たくなくてここ最近どのような状態なのか、分かったものではない。
この家のリビングは、専ら母の不倫の場で、彼女が時折男を呼んではひたすら行為に明け暮れている。
僕はその声と、音と、臭いがどうしてもこの家の断末魔に思えしまう。
家の家事をまともにしない母は僕にはお構い無しだし、僕が高校に行くお金は父が工面していて、あとは自分でどうにか出来るから、本当に母には笑える程用がないのだった。
その空気が気に触るのか、母は時々ヒステリーを起こして家中をめちゃめちゃにする。
僕は止めることも出来ず、かと言って傍観するわけにも行かず、情けないほどの弱い力で母の肩を掴むしかなかった。
親子であることすら理解できないくらい、親子でありたいと思えないくらい、僕の家族は終わりそうなのだ。
いつも学校が終わると家に帰り、無言で自室にこもる。
母が家に居るかいないかも知らずにリビング横の風呂に入り、僕はこの可哀想な二階建ての一軒家で住み着いた野良犬のような日々を送る。
父は単身赴任中であるが、この家の死期を薄らと悟っているようで、壊れゆく姿から逃げるように遠くで仕事をしている。
電話も寄越さずに仕送りを時々、小遣いを時々、これでどうにかしろ、とでも言うようにぶっきらぼうな振込をしてくるだけだ。
それで僕は食いつないでいるが、殆どは母のカバンやアクセサリー、化粧品に気化して僕の手元には残らない。
ファストフード店で食事をするくらいのお金にはなるけど。
母は僕が死なない程度、病気にならない程度、役所から注意されない程度の加減で、まぁ俗に言う育児放棄のような状態だ。
物心ついた時にはもうこの家はこんな感じで、親戚もいないし、僕はもう慣れっこなのだった。
小学校の時、頭や体が臭いと言われて風呂に自分で入るようになった。
来ている服が毎日同じでいじめられてから、父に服を買ってもらった。母のタイミングを見計らって自分の洗濯物もするようになった。
中学の時、小学校から使っている筆箱がガキっぽいと言われたことで自分で買い換えるようになった。
制服の採寸だって、買い替えだって、綻びだって全部自分でやった。
あんまりに不格好で友達はいなかった。返っていじめられた。
高校生になってやっとこなせるようになってきたのだ。
これからだ、と思いたがる僕を、毎日母は静かに殺す。彼女の喘声が、この家の叫び声のように僕の足元からゆっくりと上がってきて喉元を、きゅ、と締め上げる。
その度に、寂しさと悲しみに震えながら眠りに落ちるのだった。
懺悔と創世記 梶原八雲 @Speed_and_friction
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