#41 混ざった結果の色の味

 理髪店から出て軽く腕を伸ばす。固まった身体のストレッチ。


 少し湿った――実に生温い風で揺れる自分の髪の毛が金色じゃなく、深い黒色なのが何故だかとても不思議な感じだ。

 直に馴染むんだろうけど、現在はどうしたって違和感が拭えない。金獅子が烏の濡羽色になれば仕方のないことだろうけどさ。


 おもむろに携帯を開いて、アドレス帳から彼女の名前を呼び出す。一昨日に交換したばかりの年上女性の名前だ。


『もしもし。何? 班目く…』

「なあ外国産と国産のミネラルウォーターの違いについて語り合おうぜ」


 やべぇ。自分で言っていて意味がまるっきり解らない。別に蒸留方法や鉱物の含有量について熱く語り合いたいわけじゃない。


 うん、神無月の『はあ? 何言ってんの?』という声が脳内で再生されたと思ったら、普通に口頭で言われた。


『意味が分からないわ。あなたのそういうのって素なの? 天然なの? どちらにしても改めた方がいいとは思うわよ』


 素も天然も同じ様な意味じゃねぇか。殆ど類義語だよ!

 いや、しかし。その忠告は素直に受け止めておこう。


 会話の枕というか、言葉に詰まると豆知識的な雑学を挿入するのは悪い癖だ。

 それは自らのコミュニケーション能力の決定的な欠如をひた感じて、欝になる瞬間でもある。


『ごめんなさい。愛しの班目くんの戯言に割く時間は正直余りないのよ』

「え? そんなに忙しいの?」

『そうね…引越しが今日中に終わらないと部屋に入れないから』


 そうか…。そう言えば神無月は今日引越しをしているんだっけか。オレはそれから逃げ出して街を徘徊していたのだった。


 いやーすっかり忘れていたなー神無月には悪いことしたなー。


 しかし、そんなに荷物が多かったのは意外と言えば意外かな。ほとんど売り払ったものだと思っていた。


『班目くんが』

「部屋に入れないのはオレなのっ?」

『だって私の持ち込み荷物の大部分はまだ部屋に搬入出来ていなくて、隣の班目くんの部屋の前に放置プレイだし…』

「マジかよ…。つーか誰だよ、そんな暴挙に賛同した奴は!」


 引越し業者さんは人様の家の前に出入りが不可能なほど荷物を無許可で置いたりはしないはずだ。

 指示でもしない限りはそんな理不尽な行為をしないと信じたい。


『まあ私なのだけど』

「ですよねー」


 いけしゃあしゃあって多分このことだよな…。


『という訳でお部屋に入りたいのなら手伝いなさい。か細い手と弱い心が折れそうよ』


 この女、相変わらずメンタルのタフネスぶりが果てしないな。どの口が弱い心とかほざくんだよ。


 ったく…会話に突っ込みどころが満載で本題に入れないじゃないか。


 いやまあ、突っ込まずに進めればいい話ではあるし、最初に照れ隠しでミネラルウォーターの成分の違いとか盛り込んだ身分で言えることでは無いのは重々承知だが、如何せん全く思い通りには行かない。


 思い通りに行かないのは何時ものことだと諦められればいいのだろうが、生憎オレはそこまで達観してはいない。


 色々な思いを含ませて、わざとらしく嘆息。


「わかった、手伝うよ。手伝えばいいんだろ?」

『理解が早くて助かるわ。長い足を更に長くして待ってるわね』

「長くするのは首な」


 電話越しでも理解る、跳ねるような神無月の声は一転して疑問に変わる。


『所で要件は何だったの? まさか本当に水の話をするためだけに電話したの?』


 そんなはずあるかよ…。


 照れ隠しと四方山話が予想外の広がりを見せる展開故に本題に入れなかっただけです。


「ああ、勿論、誠心誠意な本命の用事があるさ」

『へえ…。私の声が聞きたかったとかロマンティックな感じ?』


 近からず遠からず。


「うん、なんつーかさ……その、ね?」


 また曖昧な答えを返してしまう。


 自分がこんなに臆病者だったなんてオドロキだよ。

 いや、むしろ臆病がオレの根底か。

 畜生、一昨日はあんなに堂々と立ち回るフリが出来たのに、あれは一夜限りの奇跡だったのか? 二度とは起こらない偶然の産物だったとでも言うのか?


 だとしても、現在このテンションでやっておかないと一生出来無い気もする。前に進むと決めただろう? 気合入れろよ! 


『あなたにしては珍しく要領を得ない感じね。支離滅裂で意味不明な言動ならまだ分かるのだけど、これはなかなかにレアケースな気がする』

「おいおい。マジ知性派クールキャラのマジ班目くんに向けてマジ何て妄言をマジ吐いているんだい? マジ気でも触れたんじゃないのか?」

『マジマジと思考停止で連呼する発言をした人から知性派という単語はかけ離れていると思うわ。ちなみに普段のキャラからも乖離しているわ。それはもう水星と金星ぐらいの距離感』


 意外と近い気がしたが、そんなこともなかった。半端無い距離。よもやスケールが宇宙規模にまで及んでしまうとは…何キロ単位では済まない距離間。

 具体的にはどれくらい離れているのだろうか…。覚えていたらその内調べてみよう。


「うん。気が触れているのは間違いなくオレの方だ」

『さっきから本気であなたの言いたいことがまるっきり伝わらないのだけど…。これならサハラ砂漠でオアシスを見つける方が容易いわ』


 何と言う無理難題。

 僕の変容はそのレベルに類するのか? 正にスペースクラス! カケラも救われない戯言だ。 


「それは現在地と探検者の体力にもよるけど、場所は一般に知られているから辿り着くだけなら結構余裕だぜ? 然るべき移動手段と装備、スマホのGPSでもあれば一瞬だな」

『相変わらずロマンを介さない男ね。きっとあれでしょ? 私が『こんなに綺麗な海初めて見る…』みたいに女の子女の子したことを言ったとするじゃない?』


 『言ったとするじゃない?』って言われてもな。その状況がまず思い描けないんだよなぁ…。

 一体オレ達は何処で何してんの? キャッキャウフフのハネムーンか? まさか絶海の孤島で起こる連続殺人事件へのフラグですか? 絵に描いたようなクローズドサークル。そして誰もいなくなった…的な?


 頭を抱えるオレに神無月の荒ぶる声が響く。


『そうしたらあなたはきっとこう吐き捨てるんだわ。『はあ? 地球の七割は海なんだから、似たような景色なんて幾らでもあんだろ? くだらねぇこと言ってんじゃねぇよ』―――もうっ台無しじゃない!』


 久々の必殺放射冷却。相変わらずオレの声真似が微妙に巧いのはもう指摘すまい。


 うん、でも超言いそう。

 むしろ過去に言ったことあるんじゃね?


 そう錯覚させるほどに鮮明にイメージ出来た。

 オレならそんな感想を抱いても不思議じゃない。普通に思うわ。


 しかし、いくらオレにコミュニケーション障害のきらいがあるとは言え、流石にムードと空気は読むさ。

 思うだけで口には出さないはず。KYは空気読みまくりの略称なのだ。きっとそう…だと信じたい。


「善処するよ。それで神無月、本題入ってもいいかな?」

『おっと、雑談に興じていたら手が止まっていたわ。何用かは知らないけれど手早くお願いしたいものね』

「僕と付き合ってくれないか?」


 思い出したように作業を再開したような忙しい音が急にし始めたと思ったら、それが突然これまた急にその音が止んだ。ガンと一発、重い音を置き土産にして。


 音と状況から察するにひょっとしたら荷物でも落としたのかも知れないけれど、構わずに続ける。


「ロマンにも情緒にも疎い――そんでもって空気も漢字もフィーリングも読めない僕ですと、もし良かったら男女のお付き合いをしてもらえませんか?」


 まだ返答はない。続ける。


「もしかすれば、電話でこんな告白をすること事態がオレの至らなさを余す所無く露呈しているのかも知れないけれど、『僕』という人間です」


 弱くて、根暗で、馬鹿で、ひねくれていて、ペシミストで、捻れていて、無礼で、人間不信で、皮肉屋で、懐疑主義で、死にたがりで、優しさ恐怖症で、狡猾で、支離滅裂で、演技過剰で、厭世家で、歪んでいて、小賢しくて、絶望していて、性格が悪くて、余裕がなくて、性根が腐っていて、口が悪くて、逃げ腰の及び腰で、ロマンを理解できなくて、空気が読めなくて、無駄にロジカルで、そのくせ瞳は非現実的で、クールを気取った短気で、言い訳がましくて、意外と流されやすくて、器の程度が小さくて、博愛できなくて、雑学に逃げる癖があって、致命的に欠陥品で、自分が嫌いな割に自分を守って。


 それで…それだからこそ……


 君に惹かれた僕。


「そんな僕と付き合ってください」


 ふう…これで決意による行動はひと通り終息。


 賽を投げて、手元のカードは全部残らず場に披露した。

 結果がどうなるかは神のみぞ知るってやつだ。神無月こそ知る世界。あ、カミサマいないや。島根で永遠に会議中だよ。


 そもそも、この行動が深く長く重く考えた末の結論かと言われれば、若干首を傾げるレベルだろう。

 勘違い、思い違い、吊り橋効果による倒錯した恋愛感情の錯覚である可能性も濃厚であると考える。


  丸山かこを乗り越えたことでテンションが上がった末の奇行という線だって十分有り得無くはない。


 でも、神無月とそういう関係になりたいと思う僕がココロの何処どこかしらに佇んでいたのも事実なわけだ。


 全部が本当でも無ければ、全てがウソでもない。オールオアナッシングのゼロサムゲーム感覚では捉えられない心の機微とでも言うべきだろうか?


 三ほど好きで一ほど嫌いで残りが無関心。そんな割合で構成されているのかも。好きと嫌いのミックスレイド。


 嘘じゃない。

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