1:空は酷く雨だった

『えーん、えーん』

あぁ、まただ。

まだ年端もいかない真っ黒な髪をおさげにし、灰色の瞳から水の滴をこぼす少女がどこへ向かっているかもわからず歩いてる。

『えーん、えーん』

もう嫌だ。

『えーん、えーん』

泣くのはもううんざりなんだ。

はやく、はやく、はやく

はやくお家に帰らなきゃ。

どんなに足が痛くても

どんなに心が痛くても

お家に帰らなきゃ。


靴は左足しかなくて右足はもう傷だらけ。

いっぱい転んだから身体中泥だらけ。

口の中も血の味でいっぱい。

痛い、苦しい、辛い、悲しい、哀しい

そんな気持ちでいっぱいだった。

でも、それでも私はお家に帰らなきゃ。

お家に……お家に………お家に……

…………………………………

幼い少女の感情が流れてくる。

自我を忘れるほどの強い孤独、焦燥、嘆き。

私は…違う、違うの!!

早く覚めて!こんな夢、もう見たくないの!!

『ねぇ、』

…誰?

灰色の髪をした見慣れない男の人。

こんなのいつものじゃない!

どうして目が覚めないの!?

『ねぇ、どうしたの?』

彼はマシュマロみたいな柔らかい声で幼い少女に問う。

『………』

『あぁ、こけちゃったんだね。大丈夫?おいで。』

やめて、優しくしないで!!

そんな事を思っても幼い少女はゆっくりと彼のもとへと行く。

『痛かったね、大丈夫だよ。お兄さんが治してあげるから』

『お家に帰らなきゃいけないの』

会話は成り立たない。

私は家に帰らなきゃいけない。

ただそれだけ。なのに…、

『……もう、自分を苦しめなくていいんだよ』

突然、彼はそんな事を言った。

『僕が今日から君の帰る''お家''になってあげる。

だから、もう苦しまないで』

なんで、そんな事を言うの。

『わ、私は…』

『帰るべき家はもう君には無い。

本当は君もわかってるんでしょ?

もう誰も君を待っている人なんか居ないんだ。』

マシュマロの声が突然、鋭く尖ったナイフのような声に変化した。

わかってる。わかってるよ。

誰も居ないって、家なんてないんだって。

でも、それでも、私は…

『大丈夫』

『へ?』

『僕たちはもう君を悲しませたりなんかしないよ。

だって、家族なんだから。』

『さぁ、帰ろう。』

突然の出来事に目をパチクリして泣き止んだ私の目の前に手が差し出された。

でも、不思議と警戒心は沸いてこない。

あるのは少しの疑問に勝る大きな安心感。

この手を取っても大丈夫、そんな気がする。

だから、私は………



X97年 2月1日 (木) 午前6時59分


「はっ!!」

ゆっくりと私はベッドから起き上がる

夢はうっすらと覚えてる、いや、覚えているも何もあれしか夢はみない。

あの少女は私でいつもお家に帰ろうとしてるんだ。帰れたことはないけれど。

でも、いつもとは違う不思議な夢だった。

あの男の人は誰だろうか。

そんな事を考えていると遠くから鐘の音が響きだした。

「あぁ、もうこんな時間か。」

時刻は午前7時。木曜日のこの時間は30分間雨が降る。

全ては決まっていること。

この世界はそう成り立っている。

だから、疑問なんて存在しない。

夢のことなど忘れて私は

歯を磨いて、服を着替えて、荷物をもって、

さあ、今日も傘をさして仕事に行こう。

これが私の日常。私の普通。


「いってきます。」


部屋全体に聞こえる声で言ってみる。でも、

いってらっしゃい。の声は聞こえなかった。



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