EP3.5

異常なる執着者⑴

「ストーカー?」


 探偵は依頼人である吉崎よしざきの言葉を反芻した。疑問調であったのは、強調の意味を込めて。


「もう、3ヶ月ほどになります」


 思い出したくない記憶を呼び起こしてしまったのか、依頼人は浅く俯いた。


 思い出したことで体がこわばっているせいか、少し猫背の体勢になっている。それでも絵になると感じるのは、170センチ超えというスタイルの良さからだろう。その上、折れそうなほどに細い腕、腰の位置が高くすらっと伸びた脚は、周囲から注目の的であろうと推測できた。


 そして身を包む、ベージュのニットとカーディガン、濃青のストレートデニムパンツ、ブランド物のアクセサリー。脇に畳んでおいてある焦茶のロングコート。皆が最初に思いつくであろうモデル体型によって、抜群の効果を発揮していた。


 女性特有の細く長い黒髪が光に反射する。天然パーマの探偵とは違って髪は重力に抵抗せず、ハラハラと落ちるように前に垂れている。


「きっかけはインストのDMでした」


 インスト……確か写真を投稿する人気アプリの名前だったか、と探偵は顎髭を触りながら、脳内で呟く。DMはそのアプリ内でやり取りするメールのような物であるということもその直後に。


「変な文言を送ってくる人は一定数いて、全員無視し続けていました。けど、このダリッチョという人は他とは少し違っていました。今日は何食べたとか仕事はどうとか程度のものから、好きだとか愛してるとか気色悪いものまで。とにかく異常なまでにしつこかったんです」


 探偵は既に渡されていたスマホの画面に視線を落とした。アカウントの名前には、“ダリッチョ”とある。


「運営側に通報して削除してもらうんですけど、少し経ったらすぐに現れて、懲りずに送ってくるんです。何度も何度も来るので、一回だけ辞めてくれるように返信してしまって、それを勘違いしたのか。余計変な返事が頻繁に来るようになって……」


 探偵は画面をスクロールする。やっぱり僕のこと好きなんだよね、他の人には送らないもんね、などとあった。


「私、怖くなっちゃって。一切の接触を絶ったんですが、止まることなくさらにエスカレートさせてきました」


「例えば?」


「私が投稿した写真の場所を特定して同じ所からの写真を送ってきたりとか」


 探偵は確認のため、視線を落とす。確かに写真とメッセージが残っている。


「その、自宅周辺の写真を送ってきたのは……先々週?」


 上にスクロールしていくと、住宅街を移した写真を見つける。小さく投稿日も記載されている。位置は右側、つまり相手から送られてきたということだ。


「ええ」


 探偵は改めてスマホを見る。写真直後に『この辺に住んでるんだよね?』という、メッセージが送られてきていた。絵文字も句読点もない殺風景さが気味の悪さを助長していた。


「粘着質な奴から立派なストーカーに変貌したというわけですか」


 探偵はスマホをテーブルへ。続けて、腿に腕を置き、手を組んだ。腰かけていたソファが少し沈んだのは、身体を前のめりにしたからだろう。


「このことを警察には?」


「既に伝えてあります」


「それでなんと?」


「相手の特定と自宅周辺のパトロール強化をしてもらえることになりました」


「そうですか」


 相手にされないよりは幾分かマシである。探偵はそう脳内で呟いた。


「けど」という言葉とともに、依頼人の首がゆっくりと垂れていった。


「今日に至るまで逮捕どころか、なんら手がかりさえ無くて。姿さえ見たことないので、なんかもう色んな人がストーカーじゃないかって最近はもう疑心暗鬼の連続で……もう心がもたなくなってきているんです」


 依頼人は勢いよく顔を上げた。その表情はまさに迫ったものであった。


「お噂は聞いております。どうか私を助けて下さい」


 頭を深々と下げる依頼人を探偵は慌てて止める。


「わ、分かりました。ただ、うちは他と比べて少々値が張りますが、宜しいですか」


「はい、予想経費は前払いでしたよね?」


 依頼人はピンクのバッグから茶封筒を取り出した。厚みのある見た目である。


「解決した際に、それまでの経過日数分の経費と成功報酬をお支払いする。そうでしたよね?」


「ええ」


 探偵は頷き交じりに返す。依頼人の事前の下調べがいかに入念だったか、垣間見えた。


「であれば、話は早い」


「じゃあっ」


「島の外からわざわざおいで下さったわけですし。ええ、お引き受けしますよ」


「ありがとうございます」


 改めて、深く頭を下げる依頼人。


「では、こちらに基本事項として名前と住所、電話番号やご職業等の記入をお願いします」


 探偵はペンと用紙を渡す。依頼人は「はい」と小さく答えると、黙々と記入していく。


 探偵は上から下へ目を動かす。別にいやらしい意味ではない。もしかするとモデルのような仕事、いやモデル業をしているために、熱狂的なファンから狙われるのかもしれないと考えたからだ。もしそうならば、調査の方法も少しばかり変わってくる。


「ちなみにですが、ご職業は何を?」


 依頼人は何かを察したように「あっ」と小さく反応すると、「モデルとかではないです。普通のOLをしています」と続けた。

 拍子抜けというわけではないが、探偵は「あぁ、そうなんですか」という返答をした。その言い方が少し間抜けであったことは重々自覚していた。


 探偵は腕にしている時計を見る。昔引き受けた依頼で貰ったもの。製造は有名メーカーらしい。探偵は疎くよく分からなかったが、いつも身につけている黒のロングレザーコートと合うため、付けていた。


「お願いします」


 記入が終わった。


「では、吉崎美琴みことさん。家までお送りしますよ」


 名前の上に書かれたふりがなを見てそう口にした。


 とはいえ、探偵は車を持ってない。送るには、すぐ近くのレンタカー屋で借りるしかない。


「あっいえ、大丈夫です。ご迷惑ですし」


「しかし、帰る頃には辺りも暗くなっていますし」


 住所を見る限り、ここから30分程の距離。けれど、まだ2月はじめ。18時回った今でも、辺りはもう薄暗い。西の空にほんの少し夕陽が焼けている程度で、街灯の明かりはもう付いている。着く頃には真っ暗。絶対とは言えないが少なくとも、大多数のストーカーにとっては活発的な時間帯となる。


「実は、この近くで用事がありまして……」


「そうですか。では、くれぐれもお気をつけて。もし何かあればこちらまで連絡を」


 探偵事務所の住所や電話番号の詳細が書かれた宣伝用ポケットティッシュを渡す。


「分かりました。宜しくお願いします」


 再三頭を下げる依頼人に探偵も思わず、小さいながらも頭を下げた。




 朝9時、ケータイが激しく鳴る。遅寝遅起きの探偵にとってはほぼ必ずと言っていいほど、ベッド代わりのソファで寝ている時間。


 探偵は身体をびくんと反応させ、「うぅーん……」と唸りながら、身体の向きを変える。

 テーブルに手を伸ばし、見ずに探す。震えているケータイに手が触れる。荒く掴むと、耳元まで運ぶ。


「あぁい、もすぃもすぃ?」


 声帯が目覚めていない寝ぼけた声で探偵は電話に出た。


「突然すいません。昨日ストーカーの件でご依頼した吉崎と申しますが」


「あぁあぁ、どうもどうも」


 探偵は勢いよく身体を起こし、座る体勢になる。


「すみません、朝から突然お電話して」


「いえいえ。どうかしましたか?」


「……実は」重苦しい返答がくる。「やっぱりお電話ではお伝えしにくいので、今から事務所へお伺いしても宜しいですか?」


 声の雰囲気からして、急を要するようだと探偵は感じ取った。


「ええ、お待ちしております」


 幸い、今日はアポイントも何もない。電話を切り、探偵はテーブルに置いていた煙草と箱の上に乗ったライターに手を伸ばす。だが、直前で掴むことをやめる。


「寝癖治すか……」


 身体を起こした時、髪の不思議な揺れ方を感じ取っていた。鏡を見ずとも、髪が乱れていることは明白。探偵は膝を軽く叩くように置いて、一気に腰を上げた。




「これは……」


 その異常な量に探偵は一瞬言葉に詰まった。


「これが全部エントランスのポストに入っていたんですか?」


 探偵はテーブルに広げた手紙の束に目をやりながら、確認の意味を込めて尋ねた。


「はい……」苦々しい顔の依頼人。「ポストを開けたら、雪崩れるように飛び出してきて」


 雪崩--確かにそうなるだろうという予測が容易にできる量であった。

 既に依頼人が全ての封を開け、中身を確認していた。封入されていた手紙にはいずれも、『ずっとずっと、そばで見ているからね』とだけ書いてあったとのこと。探偵もそれを確認している。


「これって、私の家はもうバレているということですよね?」


 依頼人の目は泳ぎ、膝の上にある手は僅かながら動き続けている。改めて探偵は封筒に視線を移す。封筒には住所とか何も書かれてない。つまり、ストーカーは郵送とかではなく、直接自宅のポストへ投函しているということになる。動揺を隠せないのも無理はなかった。


「これ、一つもらってもよろしいですか?」


「はい」


 探偵は適当に一つ手に取ると、コートの内ポケットにしまった。


「何に使うんです?」


「実は私、警察に知り合いがおりまして。指紋や筆跡でデータベースに該当する人物がいないか、調べてもらおうかと」


「データベース……」依頼人はぼそりと呟いた。「それって全国民のデータが入っているんですか?」


「いえいえ。指紋や筆跡というのもあくまで個人情報になりますので、全員ではありません。あくまで前科者や何かしらの経緯でデータを取っている人物のみ。裏を返せば、それに当てはまらなければ、分かりません。まあ、大きく分類できる程度に思ってもらえれば」


「そうですか……」


「これ以外には何か被害は?」


「いえ」


「では、気になったことは?」


「それも……はい、無いです」


 探偵は頭を掻く。変に絡まないように上手く。


「とりあえず、以前ストーカーのことについて伝えた警察署にもこの手紙を届けてもらえますか」


 もしかしたらパトロールなどを更に強化してもらえるかもしれない。この際、使えるものは使った方がいい。探偵はそう考えていた。


「それで、ひとつお願いしたいことがありまして」


「お願い、ですか?」


 探偵は眉間に小さく皺を寄せた。依頼人の申し訳なさそうな言い方が気になっていた。


「昨日の今日で、言いづらいんですが……」




「だから、自分を巻き込んだってわけですか」


 ペットボトルのブラックコーヒーを手に取り、探偵に愚痴る。


「巻き込んだなんて、そんな人聞きの悪い言い方はしないでくれよ。ほら、コーヒー以外にもパンとかおにぎりとかお菓子とか買っておいたから、好きなの食べてくれていいぞ、田荘君」


 探偵は笑みを浮かべて、運転席に座る田荘を見つめた。


「何かあった時に警察手帳を持つ人間がいると助かるんだ。事を早く進められる。てか、今までにも大体同じこと起きてんだから分かるだろ?」


「そりゃあ勿論、分かりますよ」


 田荘はキャップを新たに開け、一口。苦い液体が目を覚まさせる。


「今、俺が声を大にして言いたいことは、有給消化中に呼び出しますかってことですよ、先輩」


 田荘は、学生時代の頃からそういうところは変わってないですよね、と続けようとしたが、何言い返されるか分からないので、やめておいた。

 もしかしたら、自分も先輩呼び変わってないだろ、とか関係のないところにまで波及した上で叱られてしまうような形に会話が変化する恐れもあったからだ。


「だから俺は最初に聞いたろ? どこか旅行に行ってるならいいんだが、って。けどお前が、いや家で暇してます、って返してきたから、それなら手伝ってくれ、って呼び出したまでよ」


 正直さは時として仇となる、そんな格言めいた教訓が田荘の脳裏をよぎった。


「いや、暇してるとは言っていません。のんびりとした時間を過ごしている、と言ったんです」


「変わらねえだろ」


「変わりますよぉ!」田荘は猛烈に否定した。「警察官っていうのは、普段なかなかのんびりできないんですよ?」


「非番があるじゃねえか」


「違うんだなぁ、それが」田荘は少し鼻高々に続ける。「読んで字の如く、番で非ず。担当時間じゃないってだけで、何かあれば応援として呼び出されます。だから、非番の時はどこか遠くに行ったりできないんです。あくまで身体を多少休めるというだけ。正直、心は落ち着かないんです」


「要するに、休暇と非番は全く違うってことを言いたいんだな?」


「まさに」


「なら今は、身体も心も落ち着いている状態で、手伝ってもらえるってわけだ」


 これ以上は墓穴掘りのような、水掛け論のようなことになってしまいそうだと思い、田荘は「今回の依頼は時間かかりそうですね」と話題を変えた。


「なんだ、含みのある言い方だな」


「いや別に、変な意味じゃないですよ。ほら先輩はすぐに解決できるで有名でしょ?」


「そうか? その割には仕事は増えねえけどな。てか大体、お前からの依頼だけどな」


「だって頼りになるんですもん、先輩は」


 探偵は眉間に皺を作った。「なんだなんだ、突然媚びへつらってきて。さては、何かあったのか?」


「いやいや、ありませんよ。あっでも、また何かあったらよろしくお願いします」


「ったく……ま、今回の件が無事解決したら考えてやってもいい」


「あっ、今言いましたからね。俺、忘れませんからね。しつこく聞きますからね」


「はいはい分かったよ」探偵はあしらう。「だからとりあえず今は手伝ってくれ」

 道向かいに止めた車の中から、探偵は窓に肘をつき、左手に見えるマンションを見る。依頼人が住んでおり、20階建ての高級感ある風貌をしている。


 現在、夜の22時。辺りは闇に包まれているが、ここだけがまるで太陽かのように光を放っていた。


「あんなキモい手紙をよこされちゃあ、怖くなるのもまあ無理はないことではある」


 探偵はふと思い出し、田荘を見た。


「そういや、鑑定は?」


 依頼人が通報した警察署に田荘から伝えてもらった。勧めたのは田荘。一度引き受けている件であるため、その方がきちんと調べてくれるとのこと。


「まだ」首を横に振る。「ただある程度、早めにはやってくれるかとは思います」


「そもそも、時間がかかるのは覚悟の上だ。どちらかというと、別のことを探りたくてな」


「別のこと?」


 田荘がそう疑問調で言った時、見計らったようにケータイが鳴った。探偵のだ。


「もしもし?」


『た、探偵さん……』


 声が震えている。電話の向こうにだけ聞こえるように押し殺した小さな声量。異常事態であるというのはすぐに伝わった。


 探偵はスピーカーにして、「どうしたんですか」と続ける。雰囲気から田荘も察して、ケータイに耳を近づける。


『部屋に……部屋に誰かが入ってきて』


「「えっ……」」


 田荘と探偵は口を揃え、そして顔を見合わせた。

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