第26話 槇嶋⑸

「見間違いじゃない?」


 湯瓶さんは覗き込みながら軽く首を傾げた。その通り、俺も見えてきて、口からは「はい」という言葉が自然と出る。


「幻覚でも?」


「だとしたら、普通逆じゃないですかね」


「だよね。幻覚なんて聞いたことないよね」


 これで俺の頭は大丈夫だということは分かった。籠城犯はインフォメーションセンター前にいない。


 湯瓶さんは「別角度から見てみる。待ってて」と、入口近くにある別のゲーム機に移った。位置的なことを考えると、こちらからは見えないところまで見渡すことができる。ゲームセンターのメイン出入口へ更に近づく。で、そこからも盗み見る。突然湯瓶さんが立ち上がった。普通に立ったのだ。


「ちょっ、湯瓶さん!?」


 突然の暴挙に俺は小さい声で荒げる。心配をよそに手を左右に振りながら「大丈夫大丈夫。いなくなったから」と湯瓶さん。そういうわけじゃない。肝が座っているのか、単に無神経なだけなのか……


「おいで〜」


 無事辿り着いた湯瓶さんは俺の方を見て、来い来い、と手招きしてきた。実は少し移動していただけで、動いた瞬間見つかるかもしれない。もしくは、呼べと脅されてるのかもしれない。悩ましい不安が襲ってくる。だか、ここにいても仕方ないことは確か。何かしら危険があれば、あんな軽い口調には流石にならないと思うし。


 少し考え、思い切って影に身を潜めていた体を起こした。とはいえ、姿勢は低くしたままで、辺りにはちゃんと目を配る。慎重に慎重を重ねないと。


「あっ、それね」


 到着した途端、湯瓶さんは俺の腰右側辺りにある、保冷バッグに視線を向けた。動くたびに波打っていた代物だ。


「置いていっていいよ。かさばるっしょ」


「分かりました」


 俺は肩にかけていた紐を外し、その場に置いていく。


「せっかくだから試してみたかったな」


 残念そうに口をとんがらせる湯瓶さん。備えたからといって使うことがないのは多々あること。あくまで憂うことがないだけだ。


「ま、じゃあ行こうか」


 湯瓶さんの一言で、2人で駆け出す。ずっと緊張感のある中に閉じ込められていたからか、とてつもなく長く感じていた。実際はこの中にまだ1時間ぐらいしかいない。


 まずはゲームセンターからまっすぐ進むと、映画館があった。落ちつつあるとはいえまだ明るい日の光とは対照的に真っ暗であった。床に白いタイルではなく、赤い絨毯が広がっているから余計に感じるだけなのか……左側には売店、右側にはチケット売り場があり、それぞれ何も付いていない巨大なパネルが設置されている。

 勿論そこには入らず、右手側に曲がる。すると、湯瓶さんからの説明やガイドマップになった通り、インフィメーションセンターが見えた。壁沿いにくっつく形で設置されており、周りは白い長方形の分厚いテーブルのような台で囲まれている。左右のテーブルには、階段状の透明なケースに入っている館内のフロアマップやイベントについてのチラシが積まれている。所要時間は1分弱。これまでの時間がなんだったんだと言いたくなるほど、すぐに辿り着いてしまった。


 湯瓶さんは少し手前からスピードを上げて、その台の上に左手をつく。軽々と足を持ち上げ、体をセンターの中へと入れた。一瞬いなくなるが、すぐに起き上がる湯瓶さんの姿を捉えた。

 その滑らかでスムーズな動きを見て、俺も速度を上げてみたけど、直前でやめた。台の側面に両手をついて、急ブレーキをかける。変なことして怪我でもしたら、馬鹿馬鹿しさの極みだ。俺は少し右手側に移ってから、両手と腕に力を込めて、体を上に乗せた。


 膝をクッションに静かに飛び降りると、湯瓶さんが中で体勢を低くしていた。首を斜めに曲げ、手元をじっと見つめていた。後ろから覗き込むと、手には館内の注意事項のような説明書きのようなものを持っていた。脱出するための鍵を見つけているようだ。


「ないね」


 唐突だった。


「……何がです?」


 そう言うと、湯瓶さんが振り返る。「鍵が見当たらない」


「なら、別の場所に?」


「いや、ここにあったようなんだけど、もうないんだ」


 もう、という表現が耳に届いた時点で、推測できた。なんてこった。ここまで来たのに、先に取られていたとは。俺は分かりやすく肩を落とした。重りが外れたみたいにストンと。これで出られると思ってたのに……トホホ……


「けど、悪い知らせだけじゃない」


 そう言って、片足を一歩引き、体を斜めにする湯瓶さん。その奥に見えたのは、鍵が吊り下げられている棚。一般の人には見えぬよう、台の下に設けられた作りだったようだ。上下両隣には下げられているのに中央近くの一箇所だけぽっかりと空いていた

 湯瓶さんが「ここに」と指をさしたのは、その何もないスペース。ただ一言、“東側非常用扉”とだけ書かれていた。


「東って限定してるってことは西側もあるはず」


 なら、鍵はまだ残っているかも……


「ここにいても仕方ない。別のインフォメーションセンターに行って……」


「動くな」


 全身が固まる。金縛りにでもあったかのように、筋肉がこわばる。すぐ後ろから声が聞こえたからだ。


 万事休す……


 思わず、考える前に手を挙げた。横目に見えたが、湯瓶さんとほぼ同時。


「俺ら、ただの一般人です」湯瓶さんが口を開く。「何もしません」


「そうです。だから、撃たないでくださいっ!」


「もしかして、槇嶋君?」


 ん? 今、名前呼ばれた??

 俺はゆっくりと振り返る。瞳孔がこれでもかと開き、あげた手が勝手に下がっていく。疲れたからではなく、安心したからだ。向こうも、「おいおい、マジかよ」と、手に持っていた金属バッドをゆっくり下ろした。


「お、!?」「ま、槇嶋君っ!?」


 双方、大声を上げた。息ぴったりで上げてしまった。互いにしまったと目を見開いて、思わず口を手で覆う。シザードール騒動からもう2ヶ月ぐらい立つけれど、相変わらずシンクロ率は高い。


「なんだ、知り合いか」


 翁坂さんの隣に立っていた作業着の男性は握りしめた拳から力を抜いていった。頭には帽子を身に付けているが、端から赤い髪がちらりと見える。眼光の鋭さがえげつない。これから獲物を狩ろうとしているトラの目つき。たとえここにいる人数が多くても、先ほど動くなと強く重い声量で言ってきたのはこの人だろうとすぐに判別がつくほどだ。


「ええまあ」翁坂さんは視線を移す。「色々ありまして……」


「知り合い?」そう尋ねてきたのは、顔を耳元に近づけてきた湯瓶さん。


「ええまあ」俺は目は合わせたまま、小さく縦に頷く。あっ、またしてもシンクロした。


「ここには取材しに?」


「ああ。そっちは? 友達とかと?」


「ええ。早乙女愛に誘われて来たんですが、閉じ込められてしまって」


「彼女もいたの?」翁坂さんは左右に目を配った。「今どこに? 外?」


「いえ」視線を落とす。「それが途中ではぐれてしまい、分からなくて……」


「そうだったんだ……」翁坂さんの眉が落ちる。心配してくれているみたいだ。


「途中、湯瓶さんと出会い、今に至ります」


 隣で背を軽く伸ばすと、「ご紹介に預かりました、湯瓶です」と会釈交じりに挨拶をする。翁坂さんと作業着の男性が頭を下げる。


「翁坂さんは?」


「仕事だよ。取材に来たら、巻き込まれた。あとは同じ感じだね。それで、この方は……」


 翁坂さんが作業着の男性を手で示すと、「どうも、タイガです」と会釈してきた。今度は俺と湯瓶さんと頭を下げる。


 翁坂さんは顔を正面に戻す。「にしてもまさか、こんなトコで再会するとはね」


「ええ、会うんならもっと普通の場所が良かったです」


「まったくだね」と口の端に笑みを貯めた。


「お二人さん」声をかけられ、視線を向ける。主はタイガさんだ。「雑談はその辺にして、本題に移ってもらえるか」


 タイガさんはあたりに細かく目を配っている。少し不機嫌なのか、目の辺りと眉は互いの距離を縮めていた。声にも、苛立ちがこもっている。


「すいません」軽く顔を向けると、すぐに俺を見てきた。「早速だけど、立てこもり事件が起きてるってことは、もう把握してる?」


「ええ」俺は頷く。


「鍵のことは知ってる?」


「非常用扉の鍵のことですよね?」


「なら話は早い」


 翁坂さんはインフォメーションセンターの近くに体を寄せた。動きからして、中にあることを知っている感じがした。


「けど、もう取られてしまっていて」


「えっ!?」ひどく驚く。顔の筋肉が硬直するのが見て取れた。


「そりゃ参っちゃったなぁ……」


 翁坂さんは頭を掻き毟る。行動と言い方と、あと全身から出てくるオーラが全て、嫌な予感を体に教えていた。


「もしかして……」


「さっき2階のここに行ってきたんだけど」と、白い台を音の出ぬように軽く叩いた。つまり、2階のインフォメーションセンターということだ。


「そこのは西側って書いてあったんだけど、なくてね」


 で、3階に来たってことか。そして、ここにもなかった。両方とも奪ったのか……


「1階は?」湯瓶さんが尋ねる。


「いえ、まだ探してません」


 だから、参ったな、なのか。頼みの綱は、1階のインフォメーションセンター2つということだ。


「どうします?」


「行くしかないでしょう」


「出てこいっ!」


 響く怒号。全身の筋肉が硬直するが、翁坂さんたちの後ろには誰もいない。それに、多少なり距離が離れているように感じた。どうしたのか、と思っていた直後、タイガさんが駆け出した。俺らも慌ててあとを追うことに。


 先頭にいたタイガさんが身を潜めたのは、インフォメーションセンターから3つ目の連絡橋だった。俺らもタイガさんと同じように隠れると、「いるのは分かってるんだよっ」とさっきと同じ男の声で叫び声が耳に届いた。真下近くから聞こえる。


 恐る恐る覗き込むと、1階にいる10人の後ろ姿を捉えた。覆面を被り銃を構えた3人と、男女8人。うち1人の男が覆面の1人に肩に腕を回して担がれているけれど、銃が構えられ左右と後ろで囲まれている姿から、その8人は皆、人質……ん?


 前から3番目の人の服に、赤いニットカーディガンに見覚えがあった。一瞬思考が止まる。


「あれって……」


 思わず声に出ていたようだ。隣にいた翁坂さんが「まさか……早乙女愛さんがいるの?」と訊ねてきた。


「顔見てないので、なんとも言えませんが」


「なんてこった……」苦々しい顔で俯く翁坂さん。


 下の男は、「早く出てこいっ!」と更に声を荒げる。俺は「バレてんですかね」と問うと、「いや」とタイガさんが口を開いた。


「だったら、見ている先がおかしい」


 確認すると、覆面の3人が見ているのは俺たちに背を向けている。確かに方向はおかしい。


「なら、別の誰かが?」


「いてもおかしくはないか。俺らも出会ってるわけだし」


 翁坂さんが言うと、「誰であろうと早くしないと……下の人たち全員、危険なんですから」と湯瓶さんが急がせる。

 人を選ぶわけではないが、もし早乙女愛だとしたら……俺は、ない脳みそを懸命に必死に捻る。


「何か……何か策は……」


 突然、タイガさんが動く。すり足で右手に進んでいくのだ。


「どこに?」翁坂さんが尋ねると、「助けに行くんだよ、あの階段から」と答えた。


「けど、相手は銃を持った人たちですよ?」


 そう言って俺の方に、タイガさんは向きを変える。


「大丈夫だ。すぐ倒す」タイガさんは平然と答える。「それに、ここで固まってても仕方ねえ」


「俺も行きますよ」そう言って、顔あたりで手を挙げたのは、湯瓶さん。「2人いればやれることもあるし、多少目を散らせるってのも手ですし」


 固まって散らす……そうかっ!


 妙案が脳内を駆け巡った。閃いたことへの達成感と爽快感が良い塩梅で混ざった最高の感覚だ。

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