第24話 田荘⑶
「成る程……」
俺は強く地団駄を踏みたくなる気持ちを堪え、怒る気持ちを胃に収める。
本部は既にこの情報を把握しているはずである。人質救出のため、犯人確保のため、関連していると思われる情報は逐一確認、報告、共有されるからだ。けれど、俺は知らない。部署が違うから、煙たがられているから。今おかれている状況下では、本当に些細でくだらないことのせいで回ってこない。偶然とはいえ、誰よりも早く来た刑事に対して「交渉だけさせる。指示はこっちが出す」と全てを横取りするようなことをほざい……話して、更には情報まで制限して——いつものことだろうと指摘されれば、確かにそうだ。いちいち腹を立てていたら、しゃあないことだろうと言われればそれまでだ。けれど、やっぱり悔しい。
「田荘さん?」
声をかけられ、ハッと現実に戻る。いつの間にか落ちていた視線を戻すと、西さんがじっと見てきていた。心配した顔を浮かべている。
ドキッとしながらも「すいません」と視線をそらす。
「それで、どう思いますか?」
西さんの話しているのはおそらくさっきの、籠城している銀行強盗団が実際に金庫に入って金品を盗んでいったものの、宝石ばかりでお札はさほど盗んでいなかったということ、だろう。となると、ここで言っている「どう思うか」というのは、同時に個人的意見としてではなく警察官としての見解を知りたいということになるはずだ。違うとしても、とりあえずそう仮定して話を進めよう。違ければ、指摘が入るはず。その時は素直に謝ればいい。
「確かに、宝石と一緒に収められてた金を盗んだり盗まなかったりっていうのは、妙ですね」
「そうですよねぇ」西さんは腕を組む。どうやら仮定は当たっていたらしい。
「少額でも盗んでいる、ということは宝石しか盗まないという決意のようなポリシーのある強盗団というわけではなさそうですもんね」
西さんは話を進める。確かにそうだ。そうなんだけれども、正直なところなんとも言えない。下手に話して警察の見解だとされるのは非常に厄介だ。まあ、もうかなり話を進めてしまった現時点では、もうだいぶ今更なんだけれども……
警察という事件の最前線で行っている人間に調べてもらった方が大抵の場合手っ取り早いからだ。その上、正確さはそれなりに保証されている。
「こちらでも調べてみます」
とりあえずの言い逃れなんだけれど、西さんの表情はパァっと明るくなった。正面から受け取っているようで、かなり嬉しそうである。おそらくこのような現場にまだ慣れていないのだろう。
やはり俺の想像は違っていなかった——俺は少し静止し、思わず西さんを見つめて……いやいやいや、いかんいかん。しっかりするんだ、俺。
襟を正して心を律し、唾を飲み込む。いつの間にか口の中に溜まっていたらしい。
「あっ」西さんは何かを思い出したように、顔を空にあげた。なんだ?
「そういえばさっき、執事の格好をした男性が中に入っていったんですけど」
「執事……ですか?」予想外の方向から予想外の人物が。
「ええ。最初は見張っている警察官の方から止められていたのですが、途中耳打ちしたら即座に態度が変わって、中へ案内されていたんですけど……見ませんでしたか?」
「あぁ……」
俺は目を閉じ、記憶を見返す。録画していた番組を巻き戻すかのように脳内で映像を戻し、超倍速で一気に流す。うーん……それらしき人はいなかったと思う。
「見間違いとかではないですか?」
「そう言われると、少し自信がなくなってきます」
「そうですか……」
西さんは少し視線を落とした。何故、執事の服をした人がこの中に入ったのか知りたい――目は口ほどに物を言うとはまさにこのことだ。
「そちらも一緒に調べてみます」
「ありがとうございます」
また、西さんの顔に笑みが……いかん。俺がどんどんダメになっていく。
俺は視線を後ろに向ける。誰に呼ばれたわけでもないが、フリをして。顔を戻す。
「すいません、この辺で」
俺は軽く会釈をし、踵を返した。
計画もなく、歩き始めたから、どうするかと思っていると、仁王立ちで腕を組んでいる錦戸さんの後ろ姿を捉えた。距離を詰め、話しかける。話したいことがあった。少しばかり、抱いた思いがあった。相談したかった。
「どうですか?」まずはさりげなく。良い天気ですね、ぐらいのテンションで話しかける。
「おかしい」
思わず体が固まる。これから俺が相談する内容の答えとして、その選択肢の一つとして合致している。
「おかしいですか?」
確認を取る。
「ああ、おかしい」
幻聴ではなかったようだ。あぁ、そうだよな。
「やっぱり、捜査情報って漏らすのはダメですよね?」
俺ははぐらかさず、ダイレクトに訊いてみた。
「おかしい……」
錦戸さんは目線を地面に向けた。呆れられたのだろうか。もしかしたら、怒り心頭なのか。だって、おかしい、を繰り返しているのだから。
いつもはグダッとして屁理屈ばかりを言ってくる人だけど、やる時はやる人であるというのは俺は知ってる。捜一で有数の検挙率を誇る敏腕デカだった過去も知っている。
「やっぱ、ダメですよね……」
「なんでいるんだ?」
体が動かなくなる。
そうか……警察官失格ということか。そうだよな、俺が漏らしたことで、それで人質が怪我を負ったり亡くなったりでもしたら……取り返しがつかない。
俺は一歩隣に移る。
「すいませんでしたっ」深々と頭を下げた。「俺、この捜査から外れます」
「……は?」
錦戸さんが顔を向けてきた。それぞれのパーツが、お前何言ってんだ、と言いたげな形になっている。
「いや、だから捜査情報を漏らすっていうのはダメですよね?」
「そんなん、時と場合だろ」
抱いていた不安を罪悪感を錦戸さんにあっけなく、あっさりと一蹴される。
「そんなことより、あそこ見てみろ」
そんなことより、程度なんだ……
言葉とともに顎で示され、俺は視線を移す。そこには、私服制服の警察官が話すか動くかしている景色が広がっているだけ。
「あの、青みがかったスーツの男と白縦縞の入った紺色スーツでしゃくれた男がいるだろ?」
「はい」
その2人は真野さんと話していた。青みがかったスーツの男は面長でメガネをかけており、紺色スーツは男はしゃくれている。どちらも結構高そうなスーツだ。
「あれ、二課と三課」
え?
「二課と三課?」
「なんだなんだ、室長ともあろうお方が担当内容知らないのか?」
「二課は通貨偽造や企業犯罪、選挙関連等々。で、三課は盗犯」
「よくできました」100点を始めて取った小学生を褒めるかのような言い方。
「さすがに知ってますよ」
もしかして、バカにした?と思ったけれど、今は気にとめないで行くとしよう。
「だったら、おかしいの意味は当然」分かるよな?
「ええ」
今起きてるのは、人質を取った立て籠もり事件。その前に犯人たちが強盗をしているから、事前に何かしらの情報を持っている可能性がある三課はまだ分かる。だが、二課は分からない。関わり合いがないはずだ。
「でしゃばったって可能性は?」
「おいおい」錦戸さんはにやける。「二課の方々の耳に届いたら、倍返しじゃ済まないぞ? 皆々様方は、インテリ集団なんだから」
「冗談ですよ」
錦戸さんの言い方の方がよっぽどバカにしていると思う。
「まあとにかく、普通の立て籠もりとはちょっくら違いそうだ。アイトドスの責任者っぽい奴も、建物から出ろ、なんてことを犯人たちに言われたらしいしな」
「そんな情報いつの間に」
ふふふ、と声を立てて錦戸さんは笑った。
「本部でそう話してるのを聞いた」
盗み聞きか。まあ、我々が情報を得る手段はそれしかないよな。
「詳しい話とか聞けないですかね」
「アイトドスの責任者から?」
「それもまあ聞いてみたいですけど、何よりさっきの、なんで二課と三課がいるのかっていう件です」
俺はさりげなく訊いてみるも、察したかのように「無理だな」と即座に返された。
「知り合いじゃ……」
「まあそうなんだけどよぉ」顔を歪めて頭をかく錦戸さん。苦虫を潰した顔をしている。「俺をよく思ってないんだよ、多分」
「はい?」
「昔俺が一課にいたのは知ってるよな?」
「ええ」組織犯罪対策系の部署にいたことも知っている。確か、そこに今もいる後輩がかなり出世していたはず。羨ましい、と愚痴っていたことがある。
「そん時によ、殺人絡みの横領事件が起きて、一緒に捜査に当たった時に組んで。で、方針で揉めた」
「揉めた?」
「喧嘩だ」
「喧嘩って……」内容は詳しく語らないから、些細なことか、それともかなり大ごとか。
「けど元々、一課と二課の間自体喧嘩してたみたいなもんだぞ? 捜査会議で怒号飛び交ってたんだからな」
捜査会議で怒号って、相当だぞ。
「なら、三課の方は?」
「交流なし。こっちが顔は知ってる程度だ」
「まあじゃあ知ってはいるけど、聞けないってことですね?」
意図せず発したことにより、ふと思い出す。そういえば、知り合いから情報をという件はどうなったのだろうか。結局何も言われてないから、教えてくれなかったのだろうか。
「そゆこと」
「分かりました。じゃあ聞いてきてください」
錦戸さんは怪訝な表情に変わる。
「お前は何を聞いてたんだよ」
「しっかり聞いてましたよ。だけど、情報がない今はどんなことでも知っておきたいんです」
そう言うと、錦戸さんは「ヤだよ」とそっぽを向いた。
「ヤだよって子供ですか」
「男はいつまでも子供の心を忘れないもんなんだよ」
「それとこれとは話が違いますよ」
「細かいこと言うと嫌われるぞ?」
「誰に?」
「俺に」
「なら、いいです」
「なんかショックだな〜」
右端に男が通る。手にはトランシーバーを持っており、『進行中だ』と向こうの誰かが会話している。
「状況は?」
『良好だ』
距離は離れるが、声はよく通った。
『とりあえず、こっちに合流しろ』
「了解です」そう応答すると、足早にテントの方へとかけていった。
なんだろうか……何の証拠もないけれど、妙な感じがした。黒い靄のような嫌なもの。もしかしたら、という疑惑が心に芽生えたという方がよりはっきりと表しているかもしれない。
「まさか……交渉してないですよね?」
錦戸さんに尋ねる。
「もう既に終わってたりして」
たったの一言。錦戸さんの言葉によって、俺の心臓は鼓動を急激に早めていく。犯人たちは、俺としか交渉しない、と言っていた。なのに、もし勝手に交渉を進めていたとしたら……
最悪の想定が脳を駆け巡る。急かされるように、俺は駆け出した。足が勝手に出ていた。
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