第23話 翁坂⑷
「両手は頭の後ろに。指は交互に組んで下さい」
スドウさんに命じられた通りに動く。なぜ敬語なのか思うけど、今はそんなこと聞くような状況でも、聞けるような相手でもない。
「なるほどな」
眼球だけ横に動かす。橘さんは片方の眉をあげていた。
「奴らの仲間だったってわけだ」
「いいえ」スドウさんは銃身を上げる。「僕たちはあんなズブの素人集団じゃありません。一緒にしないでもらえますか」
僕たち? てことは複数……
「銃を向けてんだから、敵なのは一緒だろうが」
「敵ではありませんよ」
「なら、その銃はなんだ?」
スドウさんは軽く笑みを浮かべる。
「あくまで穏便に済ませたいからしてるだけです」
橘さんは喉を鳴らした。「説得力のねえ言葉だこと」
スドウさんは眉をひそめ、一つ咳払いをする。喉が痛いわけではなく、流れを遮るような、そんなのだ。
「お2人にお願いがあるんです」
「お願い、ね……」
「そんな信用できないみたいな言い方しないでくださいよ」
スドウさんは微笑む。が、その弱い笑みが逆に恐怖心を煽ってくる。
「ここに入ってください」
「ここって……中に?」
俺は左指で後ろを指すと、「動かさないで」と力んだ状態で銃口を向けられる。慌てて、組み直すと、力が緩み、銃口が橘さんの方へ。さっきの光景を目にしているからか、やはり橘さんを警戒しているようだ。
「心配しないでください。仕事を終えたら、救出するよう警察に伝えますから。まあ、遅かれ早かれされるとは思いますけど」
仕事……一体何が目的なんだ?
「出るのはダメなんですか?」
「そりゃあ、姿を見られてますから」
スドウさんは眉を上げ、少し視線をそらした。「それに、ここから出られませんし」
……はい?
「鍵、持ってないんですよ」
体が固まる。衝撃と驚きのせいだ。
「だけど、さっきのは……」
「あれは偶然持ってただけの、別の鍵です。本物がどこにあるのか、そもそもそんなのがあるのかさえ知りません」
目が開き、上唇と下唇が離れる。
「けど、そんな嘘ついてもいずれバレるのになんで……」
「さあ」スドウさんは片方の口角を吊り上げた。
口が震えだす。言葉や体から滲み出してくるあまりの異常さの、あまりのサイコパスさのせいだ。さっきの覆面三人衆が可愛く見えてくる。
「そういうことなんで、愕然としているところ申し訳ないですが、中に入っててもらえますか?」
スドウさんはポケットに手を入れる。
「これを橘さんに」
取り出し、足元に投げてきたのは半透明の結束バンド。
「背中側で結んでくださいね」
上目遣いでスドウさんを見て、橘さんへ。俺の方は見ていなかった。ただドウさんだけをまっすぐ見ている。鏡で見ていなくても自分の双眼が、不安と恐怖と焦りとその他負の感情が鍋で煮込まれたかのような、色になっていると分かるのに、橘さんにはそれが一切ない。感じないのだ。バックパッカー時代に色々な経験をして、銃口を向けられても動じない精神力を身につけたのだろうか。いや、もともと肝が据わっていたのかもしれない。1人でどんどんなぎ倒していくほど、男の大人を軽々と持ち上げるほどあれだけ強かったのだから。
「やれ」
「え?」
俺は声を発した橘さんに視線を向ける。
「早く結ぶんだよ」
「で、でもそれじゃあ……」
「俺のことは気にすんな。後ろに来て結べ」
橘さんは両手を背中に回した。
俺は悔しさでいっぱいだった。最初に出会った時、もっと警戒していればこんなことにならなかった。ほいほいと美味しい餌を用意されて、何も考えず行動し、悪意ある相手の手中にまんまと嵌まってしまった。
「すいません」一言謝り、俺は橘さんの後ろに回る。ちょうど背中に被った時、突然橘さんが走り出したのだ。前に、つまりスドウさんの方に。唐突のことに俺は動転し、たじろぐ。スドウさんもだろう。二、三歩身構えながら後退した。体が右足を前にして、少し斜めになる。
もしかして、だから俺を後ろに。
「橘さん、一つ聞いていいですか」
「なんだ?」
「どこかで会ったことあります?」
「ないな。こんな失礼な奴、会ってたらよく覚えてる」
「なんか見覚えが……あっ、思い出した。あなた、橘って名前じゃ」
そう口にしながらスドウさんは横に歩く。それは唐突だった。話しているどころじゃなくなった。スドウさんがまるで見えない何かに足を取られたように、前足を滑らせたのだ。必死に体勢を整えようと後ろにあった左足で支えるも抵抗虚しく、スドウの体は宙に。頭が下に運ばれながら、地面に激突。互いに少し身をかがめていた体を起こす。見ると、橘さんが近づいていた。勢いはなく、ゆっくりと慎重に。四歩と少し進むと、立ち止まる。その場でしゃがみ、地面に顔を近づける。
「何だこれ」
俺も橘さんの隣、少しだけ後ろに行き、同じ格好になる。立っている時は気づかなかったけど、床に僅かに透明な液体がこぼれていた。ふと左が気になり、視線を向ける。
「あっ」俺は指をさす。「椅子の下に何かあります」
橘さんも斜めに置かれている何かを目視する。で、奥から引っ張り出した。横にして出したからか、上部にある口から透明な液体が溢れ出てきた。慌ててあった口を空に向ける。同時に、缶の側面に書かれている文字が目に入る。
「エンジンオイル?」そう英語で書かれていた。
「なるほどな」橘さんは缶から床に視線を移す。「これの中身が床にあったわけか」
「それで足を取られた?」
「フローリングだから余計に滑ったんだろうな」
とりあえず、ほっと一安心。だけど……「なんでここに?」
まるで撒き散らかしたように、辺りに広がっている。橘さんは首を横にする。
「さあな。だが、これで助かった」
まあそうか。にしても、さっきのスドウさんの豹変した態度。言葉遣いとかは丁寧だったけど、逆にそれが怖かった。それに、鍵だ。突然鞍替えしたかのような発言や態度が喉に刺さった小骨のように妙に気になる。急に取り繕っていたような気がしてならな……
「ンンンッ」
俺と橘さんは慌てて振り返る。目が合う。
あっ。縛られてる人いるの、忘れてた……
全員の目隠しを取り、ガムテープを剥ぎ終える。が、結束バンドを切るためのものがなかった。
「「……「「ありがとうございます」」……」」
礼とともに、一斉に口にした。研修の賜物なのかこういう状況だからなのか、全員の口が揃う。個々の声は小さいものの、合わせてとなるとそこそこのボリュームになり、俺は広げた手を下に落とす。その動作で気づいたのか、全員頷いた。
「皆さんはここのスタッフの方ですか?」
「あっいや」声は奥から。「俺と隣のこいつは絵画の搬入のバイトで」
まさかのここにも……まあ、いい。とにかく、ここには、スタッフが3人と絵画搬入バイトの2人がいるってことか。
「いつからここに?」
「詳しくは覚えてないんですが」そう口を開いたのは入り口に、そして俺に最も近いところにいた男性。白髪の生え具合からして50歳前後だと思う。「突然背後から襲われ、意識を失い、目覚めたらこの状態でして」
要は、追い剥ぎのように服を盗られたわけか。ここに今いるのは男性4人、女性1人の計5人。てことは、他の場所に同じように閉じ込められている人がいるかもしれないけど、少なくとも5人はスタッフやバイトの青い作業着を着た人がいるってわけだな。
橘さんも作業着を着ているが、盗んだんじゃないことは確定している。いや、確信している。定まっていないけど、信じている。だって、今ここにいる2組の正体不明グループの1人以上を倒して助けてくれたわけだから。仲間割れってのもあるけど、相手からの話しかけられ方も、橘さんの話し方的にもそのようなのは感じない。だから、大丈夫だろう。
肝心の話に移る。「ここから出る方法はありますか?」
「出る?」
あっ、そうか。
「実は今、このアイトドス全体のシャッターが下ろされた上に、電気を落とされてしまって。今、外に出られる扉がないか探しているんです」
「そうだったんですか……」
とは言いつつも、まだ正確な状況把握はできていないと思う。だって、俺でさえよく分かんない状況なんだから。
「だったら、従業員出入口の扉はどうですか。いつもはカードキーですが、非常用に手動で開けられる鍵が使える作りになってるので」
ん?「鍵はあるんですか?」
「ええ」
……うん。やっぱ引っかかる。けど、今は一旦置いておいて、話を続けよう。
「それはどちらに?」
「各階にあるインフォメーションセンターか1階の警備室です」
「2階のはどこです?」
「ここを出て右に曲がって、突き当たりに」
突き当たりって……さっき通る時に見たけど、突き当たりはなかったぞ。果てしなく、伸び続けているだけだったぞ。てことは、まあそこそこ距離があるのか。
「今から鍵を持ってきます。もう少しだけ待っててください」
不安な表情を浮かべている女性も複数人いたが、最終的には全員が頷いて納得してくれた。
ゆっくり近づいてくる足音が聞こえてきた。振り返ると、あの拳銃を手にしている橘さんがいた。
「どうかしたんです?」
妙に苦々しい顔をしていた橘さんに訊ねると、持ち上げて見せてきた。それは口の部分に緑の蓋のようなものが付いた黒い銃。
「それは?」
「テーザー銃と言ってな、まあ針が飛ぶスタンガンだと思ってくれ」
「へぇ……」軽く頷きながら返す。
けれど、スドウさんたちが服を盗んでまで何をしようとしているのか、第一覆面集団がなぜ籠城しているのか、全く分からない。謎は深まるばかりだ。
「で、何か分かったか?」
「いえ」首を横に振る。「後ろから襲われたらしく、犯人の姿は見てないそうです」
「そうか。ま、何かあったらぶっ倒していきゃあいい」
橘さんは指の関節を鳴らした。全ての指が綺麗に音を奏でる。
「じゃあその、インフォメーションセンターに向かうぞ」
「はい」と返事をしたものの、心の中では違った。
さっきの武装集団とは別のグループがいるという知りたくもない事実は知ったこと、そして5人の男女を救わなければいけないという責任感を背負わざるをえなくなったことにより、深い深いため息をついていた。
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