第20話 大久保⑷

「根拠は何です?」


 緊迫した空気の中、私は唾を飲み込んでから恐る恐る訊ねた。


「次のページ。写真」


 単語だけ口にされながらも、その通りにBJさんは1枚めくり、見開きの左上に視線を動かす。白黒の写真だ。ページの3分の1が埋められている。下には小さな文字で、大型の金庫近くにある監視カメラ映像の写真だということが記されている。


「その中央辺りにいる奴」


「この人ですか?」


 野球帽に見せながら、BJさんは該当しているであろう人物に指をさす。マスクは全員しているのだが、一人だけ頭の上にずらして顔を見せている人物がいた。


「そうだ。その……何とかってお面をずらしてる奴の左頬に傷が見えるだろ」


「ええ」BJさんは顔を上げる。


「おんなじだろ」


「これだけで判断するには、画像が荒いです」


 そうだ。目を凝らしても難しいぐらい、荒い。すぐに判別つくのは、性別が男だってことぐらいだ。


「けどよ、ここでも展覧会があるらしいじゃねえか」


 構わず野球帽は自己主張を続ける。


「それも、ナルバル……どうたらとかいう有名な画家らしいじゃねえか。てことは、それを盗むためにその男が入ってきて、ここに俺らを閉じ込めたんだ」


「そんな、荒唐無稽なことあるわけ」


 私の言葉半ばで、野球帽は「あるかもしれねえだろっ!」と叫んだ。


「わ、分かりましたっ」タイチ君の喉元に紙の先を突きつけるのを見て、BJさんは両手を静かに下げる。「ちゃんと理解したので、落ち着いて」


 BJさんはそっとなだめる。やはりこの子は強い。こんなことされても泣きべそを書かないのだから。にしても、途轍もなくアバウトな理由だ。画家の名前でさえ詳しく知らない分かっていないのに、よくそれを根拠にできるな。


「ただこれだけ。矢島さんがその、強盗団の一員だと仮定しましょう。だとしても、あくまで物を盗むのが目的なはず。あなたに対して危害を加えることはしないのではないでしょうか。ほら、ここにも、“誰も傷つけずに盗むことがモットーとしている”って書いてありますし」


「写真のすぐ下の文章を、読んでみろ」


 BJさんは再び視線を落とす。


「“警備員や従業員など複数名が館内で倒れていた。何らかのガスを吸ったと一様に証言していることから、催眠ガスなどを用いて眠らせていたのではないかと推測される”」


 顔を上げ、「これですか?」と聞くと、「そうだ」と野球帽は小さく頷く。顔には、頭や額から汗が溢れ出ていた。これでもかと脂汗が滲んでいる。緊張でもしているのか?


「俺はな……捕まりたくねえんだよ」


 捕まりたくねえって……


「何か犯罪でも犯したんですか?」


 そう私が問うと、「うるせぇっ!」と一喝してきた。ダメだ。私が何を言っても、この人は叫んで遮るだけだ。それにそもそも、この人は聞く耳は持ち合わせていない。頑固者というか愚か者というか……


「とにかく、嫌なんだよ。あんな窮屈な生活はもう」


 ともあれ、理由は分からないけれど、何かしらの罪を犯した経験はあるようだ。もう、ってことや異常なまでに慌てふためいた口ぶりから、おそらく一度や二度ほど逮捕されているのだろう。


「だったら、なおさら意味がないでしょう。子供を人質にしたら、ただ罪が重くなるだけです」


「意味はある。非暴力なら、子供には手出しできない」


 抱きかかえられているタイチ君の顔が歪む。ただ漠然と何が起こるか分からない恐怖に支配されている。まるで街灯も人気もない夜道を歩いているとどこからか視線を感じた時の心境のよう。


「そんなのずるいです……卑怯ですよっ」


 胸元のスタッフの名札が揺れている。確かにそうだ。あのガンジーでさえ、非暴力をそういう意味で使うんじゃねえよバカ、とブチ切れることだろう。


「うるせぇ! スタッフは黙って早く直せよ!!」


 野球帽の腕に力が入る。締められたタイチ君は少し苦しそうに片目を閉じた。

 閉じ込められたストレスで諸々の制御が効かなくなっているようだ。理性の枷が外れた人は何をしだすか分からない。それはさっきのタイチ君を人質にとるってこともあるし、今やこれからだって。厄介だ……


「なら、何でエレベーターを使ったんです?」


「だからそれは偶然……」


「あなたが渡したここにも書いてある通り、様々な場所で盗みに成功しています。そんな人たちが知らない誰かと乗り合わせる確率の著しく高い乗り物を果たして使うんでしょうか」


 野球帽の目が泳ぐ。BJさんは逃がさない。そのまま「意味がないでしょ」と、追及する手を加速させる。


「閉じ込められたら盗めるものも盗めなくなってしまうんですから。少なくとも大幅なタイムロスです」


 BJさんの拳が強く握られ、微かに震えていた。それを見た時、無意識にふと私の脳裏にあることがよぎった。タイチ君を救うために嘘を、根拠のないことを伝えている。一番最初の時に話した、怒ると寿命が縮まる、という説明でなだめた時と同じ。一番安全な形で相手を説得しようとしているんだ。


「……もう盗んでるかも」


 野球帽が視線を落としたまま呟くと、目を見開き、顔を上げた。目が完全にいっちゃってる。


「おいお前」野球帽は鋭くした紙を持った手で指差す。「そのバッグの中、開いて見せろ」


 指した先はもちろん、あのツールバッグ。


「もう、こんなのはやめましょうよ。これは上に行くエレベーターですよ? 逃げるなら、下の……」


「だからうるせえって言ってんだよっ。スタッフごときが出しゃばってくんじゃねえ、黙ってろっ!」


 目が血走っていた。何なんだよ、こいつ……精神不安定過ぎだろう。


「もし盗んでいたら、普通はすぐに逃げたいはずです。なのに、ここに居続けるなんて……」


「そんなの知るかよ。何か目的があるかもしれねえだろうが!」


 BJさんはため息をつくと、視線を変えた。「……矢島さん、見せてもらえますか?」


「……はい」


 返事が遅れたのは渋々だったからだ。片膝をつき、ファスナーを手元に寄せるように開いて、見せた。


「こっちに寄越せ」


 端に手をやり、押し出す。床を滑っていくものの、重い中身のせいで野球帽の少し手前で止まる。野球帽は視線を下に。突然、赤いライトが野球帽の頭頂部に当てられた。気配を察したのか、野球帽は不意に顔を上げた。


 ピュンッと弾くような短い音が鳴り、銃から針2本が飛ぶ。まっすぐ野球帽の額へと直撃。直後、野球帽は体を痙攣させる。体を伸ばしたまま、瞼や口を開けっぴろげにしたまま、激しく振動している。タイチ君を抱えていた腕は緩み、床に落ちる。両足ついてすぐBJさんの元へと駆け出す。全ての力が逃げた野球帽は、背中から倒れこんだ。壁に激突し、そのままずるずると滑り、床へ。何の抵抗もなかった。


 唐突だった。思わず私の目も見開く。


「すまんな。ガキ頃から手グセが悪いんだ」


 目の前まで近づくと、痙攣し続けている野球帽は「んん……んんっ」と言葉にならぬ声を発した。


 ツールバッグの中を探り、取り出す。スタンガンである。


「確かに誰も傷つけない。こんな卑劣なことするアホ以外にはな」


 野球帽に言い放つ。痙攣したまま虚空を見ているから、聞こえているのかどうか分からない。


「あと、俺らは強盗団じゃなくて怪盗団だ。間違えん、なっ」


 スタンガンを脇の下に当てた。再び激しく波打つように痙攣する。数秒経って離すと、野球帽の首はガクンと落ち、ついには動かなくなった。脈を測って生きていることを確認してから、腕をまくる。


「やっぱりな……」


 上腕から前腕にかけて、至る所に注射針の跡がある。周りには、青あざのようなものも。おそらく、薬物中毒者。ジャンキーというやつだ。成る程。だから、突然激昂したり、目が血走ってたりしたのか。


「動かないで」


 私は視線を向ける。


「ミカミさんも……ですか?」


 隙を見て動こうしたのだろう。手を伸ばして通せないように、BJさんを妨害をしていた。私は慌てて近づこうとする。が、その前に「もう無理よ」と言われ、体は静止する。


「これ以上はどうにもできない。もう諦めるのよ、


「ハァ……」


 私は大きなため息をつく。……


 上着のポケットからヘアゴムを取り出し、後ろで自由になっていた髪を縛る。続けて、キャリーバックからスプレーとガスマスク3つを手に取り、へ放る。2人は両手でキャッチする。


「5分で向かうわよ」


 2人は同時に縦に頷いて、各々作業を始める。


「大久保さん」


 顔をBJさんに向ける。


「あなたも嘘をついていたんですね」


「ええ」私は縦に頷き、BJさんに近づく。距離が縮む旅に、体が反っていく。「けど、本当のこともあります」


「なんです?」鼻の上部にシワが寄っている。


「これから仕事がある、ということです」


 まあ、前にが付くことを隠したのも嘘の一つだというのなら、全部となるが。


「あなたも……あなたも一員なんですか?」


 質問ではない。確認だった。私の口からしっかりと聞きたいという。


「そうです。です」


 だから私も正直に吐露し、手を胸の前に持ってくる。


華麗なる怪盗団ブリリアンツ、以後お見知りおきを」


 軽く会釈。ルールであり、礼儀礼節だ。


「スリー」


 名前を呼ばれただけだけど、分かる。ファイブからの、早くしろ、と催促だ。分かってる。時間がないことだって。


「BJさん、あなたにお願いがあります」


 微動さに私から目を動かさず、タイチ君を守る腕を寸分動かさないBJさん。


「白衣を脱いでもらいたいんです」


「……何故です?」


 若干、視線がスプレーの方に。薄々気づいてはいるみたいだ。


「今からここで、催眠ガスを撒くからです」


 BJさんの眉がかすかに動く。


「いや、あくまで催眠です。命を落とすことのないように調節してあります。ですが、タイチ君の年齢を鑑みるに多少なり影響が濃く出やすいという可能性があります。少しでも安全性が高まるよう、白衣をタイチ君の顔に覆ってもらえないでしょうか」


 BJさんは首を縦に頷くことも横に振ることもしなかった。勿論、言葉という形でも。けれど、静かに白衣を脱ぎ、姿勢を落とすと、同じく座らせたタイチ君の顔に当ててくれた。


 こんな形になるとは……


 後ろ左右に顔を向け、2人がマスクを着けているのを視認してから、私はガスマスクをつける。


「では」


 そして、ガスを撒いた。


 BJさんは口内に空気を閉じ込めていたようだけれど、無意味なことだ。そういう時のための対策も施してある特殊なもの。10カウントもしないうちに、瞼の開きは遅くなっていった。さらに10秒、いやそんなに立ってもいない。2人は静かにゆっくり目を閉じた。表情はまるで疲れ切って床についた赤ん坊のよう。安らかな眠りだった。

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