第21話 西⑶

「それじゃあ」


「はい、ありがとうございました」


 一礼して顔を上げると、田荘さんはもうこげ茶の人の方へ向かい始めていた。


 ふぅ……色んなことがどっと流れ込んできた。いつのまにか日が沈みかけていることに気づいたことに、余程集中していたのかと今更ながら思い知る。

 こんな努力の甲斐あってこれで何故こんな警察がいるのかは調べられた。けど、銀行強盗して閉じ込められたから籠城するとは。犯人も無計画というか何というか……


 私はちらりと手元を見る。まだ録画はされてる。よしよし……


「ダメダメ」


 ヤバッ。私は一瞬、自分に向けて注意を受けたのかと思い、ぎょっと身を固めた。だけど、直後の「一般の人は中に入れないの」の言葉で、違うと気づく。左隣からだ。

 顔を向けると、すぐそこで警官が男性と悶着していた。細身の男性だ。女性の私からしても羨ましい細さで、身にまとっている燕尾服が映える。それに、なかなかのイケメンである。目鼻立ちがはっきりしていながらも、しつこさは感じず、顎はシャープ。


「何度言ったら分かってもらえるんですか」


 眉をひそめている警官の表情と、聞こえてきた二人の会話から推測するに、どうやら男性は中に入ろうとしていて、非常線の前で見張っている警官に止められたらしい。


 目も意識も奪われた。ドラマとか映画とかでは当たり前のようにいるが、現実で見たのは初めて。物珍しさに思わず見入ってしまう。


「承知致しました。では、1つよろしいでしょうか」


 執事風の男性は警官の耳元に寄り、白い手袋をした手で隠しながら何かを呟いた。すると、警官の目の色が変わる。急に緊張感を持ったのだ。


「しょ、少々お待ちを」


 警官は慌てて駆け出し、テントの方へと向かった。


 男性は待っている間も、背筋が真っ直ぐ伸びていた。同じように手も体の横に置かれている。しかも、ブレない。体の軸がしっかりしているのか、視線から手の先から足から何から、全く動いていない。普段からそうしていなければ、不可能だろう。白黒の傘の持ち手をかけた左腕が地面と綺麗に平行になっているのを見ると、漫画みたいな典型さがあるけど、もしかして執事?


 あっ。警官がテントから戻ってきた。しかも、走ってる。


「お待たせしました。どうぞ、こちらへ」


 警官が非常線を上げる。一礼し、男性はくぐる。警官に「こちらです」と誘導される道を、男性は追随していく。警察官の見事なまでの手のひら返し。何を言えばこうなるんだろう……


「西〜」


 ん? 聞き覚えのある声。振り返ると、先輩が手を振っている。こちらも走っている。そばで立ち止まり、腰に手を当て、少し荒くなった息を整え始める。


「中継車は来れないみたい。なんかね」


「橋が封鎖されてるから、ですよね」


「何知ってたの?」先輩は意外と言わんばかりに眉を吊り、目を開いた。


「さっき知りました」


「その感じ、なんか分かったの?」


「ええ」


 私は田荘さんから聞いた事柄を先輩に伝えた。


「成る程」呼吸も通常モードになった先輩は神妙に首を縦に振った。「空から逃げる算段ってわけね」


「そのようです」


「やっぱ凄いわ」腰に手を当て、辺りを見る。「流石は“日本っぽくない島”。名前に恥じない異常さね」


 先輩は賛辞なのか中傷なのか、分からない言葉を送った。


「けど、そんな詳細によく手に入れたわね。どうやったの?」


「と言われても、何もしてないんです。向こうから色々と」


「ふーん、色目を使ったわけじゃないんだ」先輩の視線がまたも胸に。しかも、鼻の下まで伸ばして。「それか、自然と色目を使っちゃったか……」


「訴えますよ」服を上にかけながら、冷ややかに見た。


「なにで?」首を横に傾ける先輩。


「勿論、セクハラで」


「ちょっとぐらいいいじゃないの」


 美人なのに何かとおっさんっぽさがある言動に、私はため息を大きく吐く。少し辟易してきたっていうのと諦めの気持ちの2つがこもってる。けど、今はそれより、だ。


「一つ頼んでもいいですか?」


「お、珍しい。何?」ニヤニヤしているが、無視無視。


「強盗被害にあった銀行についてです」


 調べてくれまでは言ってないものの、先輩は意味をすぐに汲み取った。


「任せなさい」


 胸を叩く。かなり強く叩いたのだろう、あばら骨が鳴る音が聞こえてすぐ咳き込んだ。すると、叩くのをまるで待っていたかのように先輩のケータイが騒ぎ出した。


「あっ、やっぱかかってきた」


 やっぱ、ってことは局の誰かかな?


「んじゃ、また何か分かったら」


「はい」の返事も待たずに、先輩は慌ただしく去っていく。


 私は建物に背を見せていた自身の体を再度向けた。まだ田荘さんは帰ってきていない。あっ、もしかして……交渉でもしてるのかな? だとしたら、何か新しい情報でも……


「息子はいませんかっ!」


 またしても左から。目線をやると、今度いたのは夫婦。2人とも若そうで、とは言っても私よりは上だろうけど、まだ結婚したてという感じに見える。非常線のところには先ほどとは別の警官が。


「中にいた方はここではなく、後方に設置しているテントにいますので」


「そこにいなかったからここに来たのよっ!」


 奥さんは声を荒げ、それを旦那さんが「よせよ」と制止していた。


「だとすれば、中にいる可能性が高いかと」


「可能性じゃなくて、いるのかいないのか教えてよ」


「キリコ……」肩に手を置く旦那さん。それを振り払うと、奥さんは旦那さんの方に見返り、「あなたはあの子が心配じゃないの!」と声を荒げた。


「心配に決まってるだろっ!」


 冷静だった旦那さんが突然、怒号を放つ。


「そのセリフ、よく俺に言えたもんだな」


「あれはっ」一瞬、声を詰まらせながらも、「だとしても、私はあの子を大事に思ってる」と続ける。


「どうかね」


「なにそれ。何が言いたいのっ!」


「本当に大事に思ってるなら、誰かと一緒にいる姿を見せるか!?」


「見せたくて見せたんじゃないっ!?」


 修羅場である。誰にも止められる気配がしない。警官もあたふたし、止めようにも止められなくなっていた。すると、後ろから別の警官2名がやってくる。で、場所を移動していった。ただ単に子供と会えないだけなのか、それともまだ中に……


 上空で音が。空を裂くようなプロペラの音。顔を上げると、ヘリが飛んでいた。小さくて見えないけれど、側面に何か書かれている。警察が手配したか、もしくは報道関係……もしかしたら、他のテレビ局……いや、うちの可能性もあるけれど、なんとなく不安になる。


 視線を戻すと、ふと姿を捉えた。手を振る。


「田荘さん」


 気づいた田荘さん。こちらに来てくれた。


「ヘリは手配されたんですか?」


 早速質問してみた。田荘さんは下唇を内側に巻き込む。重苦しい表情だった。


「実はですね、先ほど犯人グループと交渉をしようとしてたんです」


 おぉ……驚いた。自分の予想が的中したこともそうだけど、妙に捜査情報を教えてくれる田荘さんにも。ここまで教えてくれるなんて……と、少しばかり奇妙に思いながらも、私は話に耳を傾ける。


「ですが、電話が通じなくて。何度かけ直しても結果は変わらず」


「ということは、犯人との交渉は?」


 首を横に振る田荘さん。言葉にしなくとも伝わった。


「着信拒否されたんですか?」


「いえ、電波自体が入らないようで」


 電波が……入らない?


「捜査本部では、犯人グループが妨害電波を出しているんじゃないかという意見まで出ましたが……」


 田荘さんは顔を傾け、少し視線を落とした。


「何か気になることでも?」


 ちらりと私を見て、一度背を向けられる。どうしたんだろう、と思っていると、頭を掻き毟り、虚空を見た。で、再び私と目が合う。


「犯人グループはできるだけ早くと私たち警察を急かしました。もし仮にヘリの時間が判明したとしても、妨害電波を出したんだったら、全くもって意味がない。伝えられないんですから。それに、この警察が辺りを包囲している状況において、妨害電波を出すという行為は自らの逃げ道を塞いでいるに他なりません」


 すると、ポケットが震え出した。何が震えているのかは分かっている。私は「すいません」と断りを入れ、カメラを持ち替えた。そして、ポケットからスマホを取り出して、画面を見る。相手は先輩。受話器ボタンを押し、耳につける。


「もしもし」


『私だけど』


 名前は名乗らないのね。まあ、先輩なのは分かるけど。


『強盗についてなんだけど』


「えっ!」私は息を飲んだ。「もう分かったんですか?」


『と言っても、まだ1つだけど。けど、情報は早い方がいいと思ってね』と前置いてから、『銀行からは現金と宝石が盗まれたって言ってたでしょ?』と訊いてくる。


「ええ」


 田荘さんから聞いた話をそのまま伝えた。だから、田荘さんに嘘や間違いがなければ、確実な情報のはずだ。


「それがどうかしたんですか?」


『何かね、宝石は全て盗まれたんだけど、現金はほとんど残してったらしいのよ』


 残してった?


「警察に通報されたから盗めなかったってことですか?」


『いや、そうじゃないっぽいのよね』紙をめくる音が聞こえる。『宝石と一緒に金庫に入ってた現金が盗まれなかったらしいから』


 てことは、意図的ってこと?


「被害の金額としてはどれくらい?」


『宝石類は数千万。けど、現金は700万程度』


 大差が開いている。


『銀行職員も隙見てカラーボールぶん投げるとか、銃持った相手に応戦したみたいだから、予期せぬことが起きて慌てたってだけかもしれないけど。ま、もうちょい調べてみるわ』


「お願いします」


『あと、さっきの刑事さんと話ができたら、訊いてみてくれる?』


 見透かしたような発言に、「分かりました」と一言答え、電話を切った。


 謎が深まった。しかも、予期しない部分の謎。


「今の話って……」


 見ると、田荘さんが気になるんですけどっていう顔を向けてきていた。まあ、ギブアンドテイクよね……


「実は」


 私は、先輩から聞いた話を田荘さんにも伝えることにした。先輩に言われた通り、話すことで何か得られるかもしれないし。

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