第18話 翁坂⑶

 気をつけないと。


 色々と壊れた残骸広がる例の婦人服店から出る。通路を挟んだ向こうに見えるのは、服も小物もピンクや水色や黄緑などの明色が多く用いられた原宿系のお店。電気の流れていない今でも、巨大な天窓から差し込む日の光のせいで明るさは感じることができた。


 次は低価格で販売している眼鏡屋。おしゃれなものからシックな大人びたものまで様々な品を揃えており、全国に拠点がある。これまで島にはなかったものの、周りのメガネユーザーは最低でも1つは持ってるレベルで浸透していることから、これからはもっと使われていくのだろう。さらに通過すると若い子が買いそうなアクセサリーを揃えた雑貨屋が見え、抜けるとスーツを扱う紳士服店が姿を現した。


 そしてそこを通過すると、工具専門店が。よく見ると、所々商品がなくなっている。事前の下調べで、ここでわざわざ売る必要があるのかと疑問に思っていたけど、もう売れているのか……需要っていうのは、知らないだけで人によってはあるのだなと感じさせられる。


 こう実際に眺めてみると、アイトドス内の店の種類は多種多様だと改めて思わされる。勿論、来る前に事前に調べていたから、“どこよりも最先端で最高峰を”というコンセプトを掲げていることも、ここに来るだけで全て済んでしまうような無いものは無いような施設にしたいという目的目標を立てていることも知ってはいた。まあ、あと一つ。もう少し種類別に店をまとめたほうが良かったんじゃないかなとも思う。


 3人でゆっくりと歩調を合わせながら、先に進む。同時に、辺りを見回す。細かなところまでじっくりと。念入りに。

 ついさっき1階から足音が聞こえてきた。ということは、この近くにもまだいる可能性が高い。ここから出るまで、気を抜いてはいけない。俺はタイル張りの床と靴が擦れてしまわぬよう、音が鳴らぬよう、細心の注意を払う。


「ここです」


 スドウさんから例の言葉が。俺らは事前に決めておいた計画の通り、近くの店と店の間にあるコの字型に凹んだ部分へと曲がる。そして、背もたれのない小さめの1人用ソファや簡易観葉植物を通り、奥の物陰に3人で隠れる。


 ふぅぅ……


 空気が体の外へ自然と出ていく。緊張で出ていなかったんじゃないか、酸素の交換がなされてなかったんじゃないかと思うほど、放出は大量だ。


「聞いてもいいですか」


「なんだ?」


 橘さんは肩を揉んでいた手を止めた。先ほどの肉弾戦と身をかがめた移動で疲労が溜まったのだろう。


「なぜたちばなさんはここに?」名前は店を出る前に、互いに紹介して知っている。服についた名札を見せながら教えてくれた。


 記者の性というべきか、一度疑問が頭をよぎると聞かないと気になってしまう。まるで痒いところに届かない孫の手のようなムズムズさを感じてしまうのだ。かといって、こんな状況下で聞く必要もないことであるのは確か。だから断わられたり苛立ちが見えたら、「すいません」と謝ってそれっきりにしようとした。


「仕事だ」壁につけていた背と右足裏を離す。てっきり怒られるとばかり思っていた予想は外れた。


「なら、ここで働いている?」


 そう思ったのは、ここにやって来た時、入口近くでスタッフらと話し、何かを運んでいたのを見たからだ。


「いや、ただのバイトだ。絵画搬入のアルバイト」


「絵画?」


「確か、ナル……なんとかとか言う画家の展覧会だ」


「ナル……ですか」ヒントが少な過ぎる。


「それ以上は知らねえんだ」橘さんは俺の脳内をすかしたように発してきた。「日給高いんで応募しただけだからな」


 絵画や彫刻などの美術品の搬入は、誰よりも先に鑑賞することができるし、額縁越しにではあるけど、触れるというなかなかできない経験もできる。だから、搬入バイトは、美術品好きにとっては幸運の、ドンピシャでその画家の方が好きならば垂涎の、バイトだと耳にしたことがある。けどまあ、当然こういう人もいるよな。


「あんた」顔を上げると、橘さんはスドウさんを見ていた。「出口はあっちでいいんだよな?」


 橘さんが人差し指を背の方に向ける。だが、スドウさんからの返答はない。それどころか、見てすらもいない。何か考え事でもしているのか、頭が落ちていた。


「スドウさん?」


 ダメ。名前を呼んだのに。


「スドウさん?」


 少し声をあげて再度呼ぶと、スドウさんは慌てながら「あ、あぁ……はい、なんでしょう?」と視線を向けてきた。少々瞼が素早い。まるで自分が呼ばれていると気づかなかったような反応だ。


「出口はあっちでいいんですよね?」


 改めて告げると、「はい」と縦に一度頷いた。


「なら、この短い連絡通路を渡って、早いとこ降りて出ちゃいましょう」


「あっいや、その……それなんですが」と濁す言い方をしてきた。嫌な予感がする。会話を遮ってまで言うような場合、ロクなことがない。


「どうかしました?」


「こっちの階段から向かいたいんです」


 そう示したのは、右手の方向。見ると、確かに階段がちらりと。


「でも、それだと見つかるリスクが高まるんじゃ……」


 階段を使うということは、1階に降りてから相向かいの場所へ向かうということ。となると、1階で中央通路を渡らねばならず、再び武装集団に見つかるようなことが起きかねない。少なくとも、1階に多くいるのだからリスクは高い。だったら、身をかがめればバレる危険性のない目の前にある連絡橋を通って行った方がいいはずだ。


「何か別の良い案でもあるのか」橘さんは眉をひそめる。


「いや……その……」威圧されたからか、口ごもるスドウさん。


「ないなら、ここからの方がいいんじゃないですか」


「そうなんですけど……」


 俺がひと押しすると、スドウさんはそれ以上何も言わず、ただ唇を内側に強く巻き込んで、頷いた。


「行くぞ」


 橘さんは動く。俺もスドウさんも後を追う。店の端に。

 左右を見て、連絡橋を渡る。姿勢を低くし、素早く動く。ガラス張りではあるが、オープンを間近に控えているからか、埋め尽くさんばかりに広告が貼られているため、下からは見えにくくなっている。


 無事に渡りきる。見た目が同じのソファと植物がある。あと、掃除カートがいくつもある。

 これで階段を降りれば、到着した。やっとだ。もう少しで抜け出せる。


 ドン!


 少し安堵した瞬間、どこからか音が聞こえた。静寂の中から突如として聞こえたこもった音に驚き、俺は思わず肩をすくめた。


「な、何だ!?」


 俺も少し体勢を低くした橘さんも辺りを見るが、武装集団に見つかったわけではなさそう。我々3人以外は誰もいないし、それに発砲音ではなさそうだ。

 橘さんが徐ろに徐ろに立ち上がる。一点を見つめている。そのまま脇目も振らずにまっすぐ歩き出し、数歩で立ち止まる。


「ここだ」


 俺も向かう。見ると、そこは“掃除用具”と書かれた扉だった。ノックを2回すると、ドンドンと扉の左下辺りの壁が中から叩かれた。


「よく気づきましたね」


「勘だ」


 勘……


「しゃがんでくれ」


「え?」


「いいから」


 促されるまま、俺は姿勢を落とした。


「手をドアノブの下に」そう言うと、橘さんが拳を振り上げた。


「何する気です?」


「見たまんまだ」


 そのままドアノブめがけて、拳を振り下ろした。バギッという音を立てて、ドアノブが外れ、落ちる。俺は慌てて両手を出し、受け取る。上手い具合に手のひらに乗っかった。ギリギリセーフ。もし落ちてれば音が響き渡ってたと思うと、間に合って良かった……


 橘さんは扉を軽く押し開ける。中は壁に棚で囲まれた10畳ほどの空間が広がっていた。電気は落ちているから暗かったものの、棚に掃除用具や洗剤などで埋めれていること、そしてそこにいるのことは、はっきりと認識できた。


 手足に結束バンド、口にガムテープ、目に目隠しをされている男女複数人が身を屈めて座っていた。膝を曲げて、狭そうに苦しそうにしている。もちろんこれだけでも奇妙なんだけど、一番奇妙なのは、格好。男性はTシャツや白タンクトップとパンツ一丁の下着姿、女性は毛布に包まっているのだ。視線の先には、大きめの洗剤が棚から落ちており、透明なケースの中で液体が波打つように揺れていた。


「な、なんだよこれ?」


 俺は思わず声を漏らした。すると、「はぁ……」という細いため息が後ろから聞こえた。


 俺と橘さんは振り返る。で、固まった。全くもって予想していないことだったからだ。


 壁が背もたれ代わりの簡易ソファの手前にスドウさんはいた。小型で携帯性の高いを両手で構えながら。


「だから、言ったのに」


 声色がまるっきり異なるスドウさんが手元をカチャリと軽い音を鳴らした。


 訂正しよう。俺はなんとツイていないんだろう……

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