第17話 槇嶋⑶
「準備はいい?」
顔を傾けてきた湯瓶さんに、俺は頭を縦に振った。もちろん返答という意味もあるけど、それだけじゃなく、一種の決意表明が付け加えられている。
これからやることは、タイミングが命。取り返しもつかない。ずれたりでもしたら一大事だ。ああ、意識したせいで体に緊張が走る。拭いきれない不安のせいで、後を絶たない。
だからと言って、やめるのはダメだ。背に腹はかえられないというやつだ。
あの銃。湯瓶さんが消火器で殴った人の持っていた銃。手にしてみたけど相当な重量があった。そして、あの風格。実物を見たことはないけど、本物の銃だってことは直感で感じた。命の危険を感じた。かと言って、このデンジャーゾーンを抜けないと、一縷の望みあるインフォメーションセンターへ行けない。手に力が入る。ベタベタする手を必死に擦る。こんなせいで失敗したらシャレにならない。
「行くよ」
湯瓶さんは右親指にかかっていたレバーを前に傾けた。直後、ウィーンという音がゲームセンター内に響いた。正体は分かる。ラジコンカーのモーター音だ。直後、タイヤが回り、走る音だけが聞こえてくる。裏を返せば、それだけしか響いていない。やはり不気味さを極めている。
右親指を前後に、左親指を左右に倒す。基本バラバラ、時々同時に動かしている。視線はリモコンへ、正確にはセロハンテープで取り付けた俺のスマホへ、向いている。映っているのは、ラジコンに載せたもう一台の、というか湯瓶さんが持っていたスマホ。音を最小限までに落としてテレビ電話状態で繋いでいる。先ほどまで電波の入らなかったスマホが急に調子を取り戻し、使用できるようになった。理由は分からないが、不幸中の幸い、というやつだ。
時々、壁やクレーンゲームなどのゲーム機器にラジコンがぶつかるのが映る。勢いのあまり、タイヤが浮かんでいる。どこからか、空回りしている音が聞こえてくるが、足音とかはなく、それだけで……
キュ
あっ。
靴と床が擦れた時に出る短く甲高い音が聞こえた。それが、誰かがこっちに来ている足音だということはすぐに理解できた。
俺は横を見る。湯瓶さんも俺を見て、眉を上げた。口元は緩んでいる。楽しそうに面白そうに。必要なもの集めてる時から思ってたんだけど、なんでこの人、喜んでるんだろう。
湯瓶さんは視線を戻すと、より一層スマホに目を凝らした。事前のシミレーション通りにラジコンを導いていく。真っ直ぐ進み、途中を曲がる。
あった! 目印にしていたメダルゲームが視認できた。円形のデカい機械だ。
「もう少し、だ」
湯瓶さんは慎重かつ素早く操作する。タイヤの音が大きくなって届くたび、緊張と心拍数がどんどん高まっていく。
見えた!——んだけど、スピードに乗っていたラジコンが通り過ぎる。急ブレーキをかけ、湯瓶さんは右のレバーを後ろに倒す。バックして、そのままプリクラ機の中へ。入口反対方向に尻をつけて停まる。映っているのは入口。
湯瓶さんは俺にリモコンを渡し、立てかけていた例のサブマシンガンを手に取り、早速向かう。俺も後を追う。
俺は、スマホが送ってくる映像を見る。プリクラ入口にかかった厚めのシートがめくられる。背伸びして訪れた高級料亭の暖簾をくぐるようにゆっくりと。
画面に映ったのは、男。訝しげに眉をひそめ、足をそろりと近づいていく。一歩、また一歩とスマホに近づいていく。すぐ目の前まで来た時、男はスマホに手を伸ばした。
「動くな」
寸前でピタリと動きを止める男。
「体を起こせ、ゆっくりと」
言われた通りに、男は姿勢を起こす。
「手をあげろ」
男の手が上がっていく。
「地面に膝をつけ」
男は膝をつく。腰の辺りから胸の辺りまでカメラで見えたところで、俺は辿り着く。
「持ちましょうか?」
視線の端で俺を見ると、湯瓶さんは銃を渡してきた。慎重さ加減を見て、俺も恐る恐る。受け取る。で、男の背中に向けて構えておく。
「銃は?」と、湯瓶さんは右手首を回す。相手は「持ってない」と淡々と返してきた。
「嘘じゃないか?」
男はふっと笑う。声の囁き具合から薄ら笑いだと思われた。
「こんな状況でついてどうするってんだ」
「どうするって」今度は、手を強く握り伸ばすのを繰り返す湯瓶さん。「隙を見て俺らに突きつけたりとか」
「そんなことしないさ。流儀に反する」
「あっそ。じゃあ、少し眠ってて」
湯瓶さんは腕を引いた。
「最後にこれだけ言わせてくれ」
ピタッと止まる。
「早くしないと後悔するぞ」
……は?
湯瓶さんは鼻で軽く笑うと、「忠告どうも」と首裏に素早く手を打ち込んだ。男は糸の切れた操り人形のように地面にへたり込んだ。
「よしっ」
俺は銃を握った手から力を抜き、下ろした。だが、湯瓶さんの「次に備えよう」の一言で力を込め直す。そうだ。まだ、ゲームセンターの外にはいるんだ。休むのにはまだ早い。
湯瓶さんは膝をつき、手を出してきた。
「例の、ちょうだい」
俺はバッグを下ろし、中から取り出したガムテープを湯瓶さんに手渡した。
「来ないね……」
ため息まじりに呟いた湯瓶さんはペットボトルに入ったソーダに口をつけた。道中寄った駄菓子屋で手に入れた。もちろん、代金は払っている。ただ、荷物が多かったこともあり、下手に中に入って物を落としても、ということで、取った冷蔵庫の中に置いておいた。
「ですね」
俺もペットボトルのコーラを一口。口の中で刺激的な泡が弾ける。もっと飲みたいけれど、まだダメだ。キャップをきつく締め、バッグに戻す。
俺と湯瓶さんは待機場所であった、例の箱型ゾンビガンシューティングゲーム機の中で待ち続けた。さっきの男は目・口・手首・足首にガムテープを巻いて、先ほどの場所に残した。次に誘き寄せるのはその隣にあるプリクラ機で、と考えていた。
けれど、5分弱経過しても、誰1人来ない。気配も足音も一切。
湯瓶さんは頭の後ろに両手を添え、もたれかかる。「普通仲間が帰ってこなかったら、心配して様子見に来たりするもんだよね」
「のような気はします」俺はベタつく両手の指を擦る。「少なくとも連絡を取るとは思います」
「だよね」と虚空を見て数秒後、湯瓶さんは「あ」と声を出し、徐に体勢を起こした。
「もしかしたら、1人だけしかいないのかも」
湯瓶さんは顎に手を置く。
「確かに何人か外にいた。けど……それは工具店とかへ行く前だ」
そうだ。確認したのは、敵を倒すために色々と道具を揃えるために2階の工具店へと向かう前のこと。
「もう結構な時間が経過してる。1人だけ残して場所を移動したのかも」
成る程……
「にしても、まさかあんなに上手く行くとは……」
「思わなかった?」湯瓶さんはマシンガンを手に取り、眺める。
「もちろん上手く行かないとマズイんですけど、多少手こずるかなーとかは」
俺がそう言うと、湯瓶さんは目を細め、画面に向かってトリガーをカチカチと押した。弾は出ない。
「かなりリアルに銃を再現してるってのがこのマシンの長所だしね。だからこそ、ケーブルカッターで切断した時、ゲーマーとして大変申し訳ないと思ったよ。もう遊べなくなっちゃうわけだし」
湯瓶さんが銃を傾けると、ちょうど銃の裏側がこちらに。下側の中心辺りからねずみ色のチューブを切り取った跡がうっすらと。ふと、何度やっても綺麗に取り除くことはできなかったため、結局手で上手に隠すこととなったのを思い出す。荒技かつ仕方なしにのという戦法を取ることになったので少し心配していた。だって、銃にしろゲームセンターにしろ詳しい人が目にすれば、詳しくないとしても状況を鑑みれば偽物であるとバレてしまう可能性があるのだから。
「けど、早くしないと手遅れになるからってどういう意味だったんですかね……」
「さあね……」
まあそうだよな。俺らに言っていたのだけれど、俺らには言われているような気がしなかった。まるで幼児の手から離れた風船みたい。あの一言だけが空中に浮かんでしまって、ふわふわと漂っているように感じた。
「あっ」
見ると、湯瓶さんの目線が虚空に向いていた。口はポカンと開いている。
「……どうしました?」
俺がそう声をかけた途端、正面にある黒い板にマシンガンを立てかけ、再びラジコンのリモコンを手に取った。渡してきた。
「画面、見てて」
「え?」
湯瓶さんはソーダを置いて、箱から走り去った。俺はペットボトルをバッグにしまう。
「リモコン」と指さすと、「よろしく」と言って箱の中から飛び出した。
「あっ、え、えっと」
突然のことに俺がどぎまぎしてたら、もうあっという間。湯瓶さんの姿はすぐに見えなくなった。
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