第4話 村上-むらかみ-⑴
「しっかりしてよ」
店長は腰に手を当てる。
「すいません」
俺は頭を下げ続ける。これで何度目だろうか。
「僕たちはね、買って頂く洋服が本当に似合う似合わないを色々な諸要素から専門的に判断するのが仕事なの。分かってる?」
「すいません」
とは言っても、アイトドスのプレオープンの間だけ勤務する応募しただけ。応募欄には“こちらが割り振ります”と書かれていたけど、手っ取り早く稼げると思っただけ。要するに、俺に服選びの感性があるとはまったく思えない。そんなセンスのない人間が下手に接客してもお客さんに服を買ってもらえるどころか、こちらが怒りを買いそうだ。
「だからね、断られようがなんであろうが、接客できなければこの業種は仕事してるとは言えないんだよ。接客しないと」
「すいません」どこであっても仕方がないとは思っていたけれど、自分でも私服がダサいと思ってるレベルの人間が何でよりにもよって……
「本当にすまないと思ってる?」
「え?」
俺は顔を上げる。鏡で確認してないけれど、素っ頓狂な顔をしていることは感覚で分かった。
店長は呆れたような顔になると、「とりあえず接客ね接客。お客様に積極的に話しかけにいく。いらないです、って言われてもね。まあ、これ以上近寄ったら警察呼びます、って言われたらやめたほうがいいけど」と話した。それはもうストーカーとかの域に達しているじゃんと思ったけれど、そういう意味じゃないからとかなんとか言われる気がしたし、そもそも真剣に聞いてないと思われそうだから、口に出さないでおく。
「とにかくね。押して押して押して押して、ダメなら引いて。最後、どうにかして買ってもらうの。分かった?」
「はい」
これまでの流れ的に引いたらダメなんじゃないのかよ、と思ったけど火に油注ぐだけなので、これも口に出さないでおく。
「肝に銘じた?」
「銘じました」
「なら、村上君の行動を一から十まで見守っててあげるから、やってきて」
それは、見守るではなく見張るではないかって思ったけど……もういいや。以下、同じ。
「来て」
店長はスタッフオンリーの扉を押し開ける。後をついて行き、俺は店内に出ていく。暗い場所から華やかな明るい場所へ来たけれど、気分は変わらず。むしろ、ハイからローに下がっている。かといって、そんなのを顔に出したら、店長から何言われるか分からない。どうにかして、取り繕う。笑顔を見せる。
「まずはね」店長は辺りを見回す。「あの人にやってきて」
あの人……俺も視線を合わせる。
「サングラスの男性、ですか?」
「そう」
遠目からだから正確には分からないけど、年齢は若そう。ここは若い人をターゲットにしている店だから、購入してくれそうな可能性はある。指示するのも分からなくない。けど、どうして最初の1人目が濃いサングラスをかけているという、強面な人なんだろ……
「はい。じゃあ、いってらっしゃい」
抵抗の余地もなく、言葉で背中を押された。
俺は鼻から静かに息を吐いて緊張と落ちた気持ちを整えていく。距離が縮まるごとに能面的な笑顔を顔いっぱいに固めながら、「どうですか?」と声を掛けた。自分ではないと思ったのか、男性は少し遅れて振り向いた。サングラス越しなのに異常な眼光だったっていうのを察する。体が反応し、縮こまる。けれど、男性はすぐに強張っていた頬を緩め、「ああ……ええ。見てます」と笑みになった。
「何かお手伝いできることがありましたら、いつでもお声かけてください」
「どうも」男性は再び視線を戻した。
止まった。会話がなくなった。ただそばに立っているだけになってしまった。
男性はちらりと顔を上げる。誰かを探しているようなその動作で俺の脳裏に嫌な予感がよぎる。誰かと待ち合わせをしているためにちょっと立ち寄ったとかであれば、買う可能性は皆無に等しい。
男性は俺を見る。で、「今、大丈夫ですから」と一言。
「あぁ……はい」
いつの間にか表情から笑みが消えた俺は「失礼します」と去った。踵を返した時、店長が手を2度手前に動かしてきた。喋ってはいないけれど、一瞬で「来い来い」であると汲み取れた。俺は小走りで戻る。店長は腰に手を当てていた。
「……早くない?」
「すいません」
「自分から引いてどうすんの。もう少し粘ってよ」
「すいません。ちょっと怖くて……」
「怖いからって接客しなくていいんならさぁ、商売にならないんじゃないかな?」
声量が増える。何故かは分かる。怒ってる。アングリーなのだ。
「すいません」これまでで一番深く上半身を地面に向けた。
「しっかりよ。でないと……分かるね?」
「分かる?」
店長はしかめっ面で頭を掻く。「言葉にはしたくないけど……用は済んだってこと」
こんな言い方をされるとは思わなかった。まるでドラマのよう。当然意味は分かる。接客に失敗したら、クビということ。
「次は村上君が選んでくれる? 僕だったらまた怖い人選んじゃうかもしれないからさ」
嫌味半分な気がしたが、気にしない。
「分かりました」
「なら、早速お願い」
「はい……」
俺は振り返り、辺りを見回す。いい人はいないだろうか、服とかに興味がありそうな感じで買う可能性がありそうな……あっ。
年齢的には先ほどよりも上だろうけど、若々しい格好をしている男性がいた。見極めるような眼差しで熱心に服を見ている。それに、怖くない。
俺は距離を縮め、「それ、最近入荷した服なんです」と声をかけた。オススメ商品ですよ、というニュアンスを暗に秘めながら。すると相手は、「へぇ〜そうなんですね」と眉を上げて、小さく頷いてくれた。いい反応。さっきと違ってとてもいい反応。
ふと視線が落ちる。落としたんではなく、落ちた。だから、見てから気づく。相手はネズミ色にオレンジの模様が入ったスニーカーを履いている。特段詳しいわけじゃないけど、今までにこんなスニーカーは見たことがない。ということは、だ。この人はスニーカーが好きなのではないだろうか。となると、服とか格好を気にする人。ならば、上手く話を合わせて盛り上げれば買ってもらえるかもしれない。うん、そうだ。冴えてるぞ、俺!
「スニーカー、素敵ですね」早速声をかける。
「え?」
「ネズミ色にオレンジ」というと、男性は一瞬目を見開き、すぐさま目線を落とした。
「……あっああ」
あれ? 思ったよりも反応が……いや、まだ話題をふったばかり。もう少し押してみよう。
「いやー左右違った柄というのがなんとも珍しい」
「そうですかね?」男性は足を上げて、靴を見る。
「羨ましいな〜」俺は少し仰け反らせ、俯瞰して見るフリをする。「どこで売ってました?」
「あの……DEFマートです」
「有名な?」
アイトドスの中にもあり、確か今日もプレオープンしてるはずの、超大型靴チェーン店の名が出てきて、思わず驚く。こういうちょっと奇抜な感じのも売ってるんだなぁ。
「有名な」
「へぇー」
は、外したぁ……あまり食いつきが良くない。もしかして、偶然目に入って買っただけだったのか? あくまでこれが気に入っただけで、スニーカー自体はそこまで好きじゃないってことか?
いや、まだだ。望みは捨てない。俺は近くにあった服を手に取る。
「その靴は、こちらのと合わせると……」
言葉が詰まる。男性は俺に背を向けていたのだ。というか、その場から立ち去り始めていたのだ。いや、逃げていく。俺の接客のせいで、客が逃げていった。
失敗だ……ため息とともに、肩を落とす。これでクビ決定。オープニングのために研修としてたら、結果オープニング前にサヨウナラ……
「すいません」
後ろから声をかけられた。店長ではない。
もしかして、客!?
俺は胸に出てきた期待のおかげで体が伸びた。で、今度こそは逃がさないぞという気持ちで、勢いよく振り返った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます