第3話 西-にし-⑴
「では、始めます」私は目をカメラから離し、確認の声をかける。
「はい。よろしくお願いします」
店長さんは私の目を凝視しながら背もたれから体を離した。続けて、椅子を動かし深く腰掛けると、舌を出して唇を湿らせる。
「そんなに力まずに。常連のお客さんと雑談をするような感覚で話して頂ければ大丈夫なので」
自分の状態に気づいた店長さんは「あっ、すいません」と肩を回した。そして、急に動きを止め、また腰を浮かせた。今度は少し浅めに座った。
だがしっくり来なかったのだろう、今度は首まで向けながら、またも座る位置を移動する。
ようやく動きが収まる。計ってはいないものの体感的に時間は1分をゆうに超えていると思う。
けど今度はしっかり視線を整え、カメラのレンズを見ている。もう大丈夫だな。
ではまずこちらのお店を開こうと思った経緯からインタビューを開始しますので、練習通りにお願いします——そう私は声をかけようとした。
「あの」店長さんが、申し訳なさそうに声を絞った。「トイレ……行ってきても?」
てっきりようやく始められると思っていたため、私の脳は一瞬理解が遅れた。
「……ああ、どうぞ」
頷き交じりに返すと、店長さんは、すいません、と小さな声で呟いて、店の奥にある扉の中に消えていった。
「ハァ〜ア」
私はちらりと横を、息を吐いた主を見た。
左上をホチキス止めされた企画書をめくっている。流すようにぺらぺらとめくるたび、首から下げた“タカテレビ ディレクター
「まったく……」
先輩は組んでいた脚を解く。すらりと長く伸びている。170ほどの身長の半分以上を占めているからか、動作が大きい。160もない私にとって羨ましい限りだ。続けて、メガネを片手で取ると、「しけた企画ね」と一言。
「念願の報道じゃないですか」
私がそう述べると、先輩は「あのね」とすぐさまメガネをかけて、凝視してきた。
「これは報道の中で10分もない小休止程度の特集。報道とは似て非なるもの。いや、似てさえもいないわね。天と地ほどの差がある。月とスッポン、雪と墨。あとは……」
「分かりました、全然違うんですね」虚空を見て、類語を探し始めた先輩を止める。「けど一応、報道の一部ではあります」
しかも、うちは都内にあるキー局だ。そこの報道。願いは叶っている。年齢を考えると、十分過ぎた。むしろ、わがまま言っちゃいけないとまで感じていた。
「相変わらず可愛い顔して負けず嫌いね、メガネかけたらフルスペック女子」
褒められたのか貶されたかよく分からない前置きをしてから、先輩は「そもそも一応がついた時点で西の負けよ」と企画書を一番表に荒く戻し、続ける。
「ていうか何? 取材NGの理由って普通、味にこだわってる頑固店長だからとかじゃないの? 何よ、テレビカメラ見るとひどく緊張しちゃうからって」
「声聞こえますって。トーン落として」
私が手で何度も下向きに振ると、先輩は渋々という表情を浮かべて声のトーンを落とすも、「拍子抜けもいいとこよ」と、愚痴を続ける。
「まあ、仕方ないですよ。仕事ですし」
「そうね、確かに仕事よ」
先輩はメガネを押し上げる。
「けど、そんなこと言ってて、つまんなくないの? もっとこう、自分が求めている、欲しているものを撮りたいとは思わないの??」
先輩は企画書を丸める。右下から左上に向けて、斜めに細くし、バッドのように握って先を見せてくる。
「思いますよ、勿論」
私は堂々と自信を持って即答する。隠された真実を世界に発信したい、レンズを通して人々を動かしたいと思って、テレビ業界に足を突っ込んだんだから。
「でもまずは、ステップアップするために経験を積まないと。まだまだど素人ですし」
「その考えは大事よ。経験がものをいう世界ではあるから凄く大事。でもね、『やれ』の仕事でステップアップするには限界がある。『やる』からこそ、有意義な経験になるの」
この人はそれで今の地位を築いているから、あながち全部が間違いじゃないかもしれない。先人の意見はしっかり聞くべきと思ってる。一方で、とにかく自分の信じたことをひたすらにやってくる度胸と根性とその他諸々がある先輩だからこそできたことでもあるとも思ったり。だからとりあえずそう思っておく、言い換えれば参考程度に留めておく、ということで。
「でさでさ」先輩は胸の前で腕を組んだ。「この店を上に提案したの、西?」
「いいえ」私が軽く首を横に振ると、「やっぱりね」と合点がいったように片眉をあげた。
え?
「あんたは仕事ができる人間だから、こんなしょぼい失敗はしないはずよ」
先輩は嘘をつかない。上司におべっかもお世辞もせず、私のような
「おそらく、ここ見つけたのは
「そうですよ」私はこくりと首を縦に動かす。すると、先輩の目から力が抜ける。首と肩が重力に負ける。落胆しているというのがはっきり分かる。
「そうですよ、じゃないわよ。よりによって……」先輩は私な真似をし、深く長いため息をついた。「本堂じゃダメね。ダメ中のダメ。モースト・オブ・ダメ。嘘じゃないだろうけど、信用も保証も皆無」
歳も立場も本堂さんの方が上。だけど、常に先輩のことを妨害をしてきたから、嫌い度はマックス。メーターなんて振り切ってるぐらいだから、本人がいない時は必ず呼び捨てアンド愚痴。間違っても本人がいる前でついポロっと言わないで……と心の中で切に願ってる。面を合わせてる時は何故か私が心臓バクバク——なんてことを心の中で思いながら、「なんです、その前置きは?」と尋ねる。まあ、いつものだろうけど。
「いつものよ、いつもの」
やっぱり……
「私が好かれてるってやつですか?」
「ですです」小さく二度首を振った。
「なら、私もいつものやつを。そんなこと感じませんけど」
「相変わらず鈍いね〜」呆れ顔の先輩。「そんなんじゃ報道なんて行けませんぞ」
「でも、感じないんですもん」アンテナとセンサーは強めてるはず。
「誰が見ても明らか100パーそうでしょうが」
先輩の視線が胸へ移動する。
「やめて下さいよ」上着を前で重ねる。「私、コンプレックスなんですから」
ちら見程度なら慣れているけど、 凝視は嫌だ。
「それ、無い人に向けて言うとただの嫌味と嫌がらせでしかないからね。立派なパワハラだからね。パワーハラスメントだからね」
とは言われても、そうなんだもん……大きいと肩が凝るし、洋服だって好みなのを見つけても胸のせいで着られないなんてのは割としょっちゅうあるし。小さいのも挙げれば、弊害は相当。無いからこそ分かり合えないことに関して、異性ばかりが取り沙汰されるけど、同性の中にも確実に存在してる。あくまで私の主観だけど、特に女は多いと思う。
「本堂さんは見てきませんから」
あまり、という言葉は省いておく。そんなの言ってしまえば、水を得た魚のように生き生きしてしまう。
「第一、根拠は何です?」
先輩は視線を戻すと、私の問いに嘘を考える素振りなく、「繰り返しになるけど、出社したらまず第一に話しかけに行く」と、人差し指を向けてきた。
「それは、ごく一般的なコミュニケーションですよ?」
ていうか、胸関係ないじゃん。
「部署が変わってもするなんておかしいでしょ。見ようによってはただのストーカーよ。然るべきところに言えば、注意喚起をすることも訴えることも可能だわ」
とまで言って、何かに気づいたように、先輩は眉を上げ、立ち上がる。
「そうよ。上手くやればあいつをテレビ業界から追放できるわっ!」
今、なかなか怖いこと呟いたよね?
私が苦い顔で見ているのを気付いたのか、先輩は視線を向けた。
「ま、まあ、何か起きなければ無理な話だけどね〜」と、ぶっきらぼうに口にすると、席に着いた。
起きないじゃなくて、起こさなければの間違いじゃ……ていうか、慌てて訂正してはぐらかす感じがマジっぽくて、むしろ怖い……
「はぁーあ」頭の後ろに手を置き、背もたれに寄る先輩。「なんか起きないかしらね〜」
「本堂さんに、ですか?」
「これは違う」
これは、か……
「なら、何がです?」
もう興味が移ったのだろう。いつものことだ。
「どんくさいわね〜」体を前傾にしてきた。「事件よ、事件」
不謹慎なワードを吐いた直後、「できれば、各局が映像を取り合いになるような大事件で、欲言えば私たちが誰よりも早く現場に行けるようなのがサイコー」と不謹慎を重ねる。
「欲言い過ぎですよ。そんな都合よく起きませんって」
「分かんないわよ?」
指を交互に組み、手を胸の辺りに持ってきた。
「この島は見た目安全そうだけど、裏では結構色々起きてるみたいだし」
「そうなんですか?」
「ネットの掲示板とかに書かれた信ぴょう性の低いものだけどね」先輩は手を解き、今度は頭の後ろで重ねた。
「でも……」
「煙があるなら火元はある、ですよね」
「分かってきたじゃない」ニヤリと不敵に微笑んだ。
「出会って1年弱。流石に覚えますよ」
私は視線をカメラに移し、調節をする。これで確認は3度目だけど、手持ち無沙汰になると、何かと触ってしまう。ずらしてもずらしても結局は最初と同じところに戻すはずなのに、つまみを回してしまう。スイッチを切り換えてしまう。もう癖になっていた。
「自然に覚えるってのも、覚える気がなければ覚えらんないからね。良い心がけ……ん?」
先輩が固まる。目だけが外の方へ向ける。
「どうし……」
「しっ!」先輩はすぐさま人差し指を立てて見せてきた。そのまま耳に運び、軽く2回叩いた。聞け、ということだろうとすぐに察し、私は耳を澄ます。遠くの方で微かにだけど、次第に聞こえてきた。うーうーと唸るような音だ。
「……今の何?」先輩は尋ねてきた。
「パトカーですかね」サイレンのような音だったからそう答えると、「そんなん分かってるわよ」と怒られた。
「では、何が?」
「通った数よ。異常じゃなかった?」
聞いただけで台数まで把握した。この人の研ぎ澄まされた勘と五感は、記者になるためにあるんじゃないかって思うほど鋭い。
「全く……」呆れ口調の先輩。「いつも言ってるでしょ。何か変だとか気になるなってことは、どんなことがあっても目を向けなさいって。まあ、今回は耳だけど」
「すいません」常日頃から言われていることに釘を刺され、私は謝る。ちゃんと機材から手を離し、頭を下げて。
先輩は一つため息を吐いてから、「7台よ」と発した。
えっ? そんなに?? 私の眉が思わず中央に寄った。
「あれだけの数が一斉にってことは、何かしらの犯罪をおかした人間を追ってる可能性が高い。しかも、7台なんてのはなかなかないわ。もうこれは……」
「これは?」
「大事件の予感っ!」
クリスマスを待つ子供のような笑顔を浮かべると、先輩は道具をカバンに入れ始めた。
「な、何してるんです?」
と言いながらも察しはついていた。恐ろしくて、聞いたのだ。
「追う準備よ」
「でも、取材は……」
「そんなん後でもいい。いつでもできる取材より、今しかない現場っ! 事件と他社は待っちゃくれない。行くわよっ」
先輩は叫びながら、走り出す。事件を追うために邪魔になるような、例えばネックレスなどの品々は一切付けてない。で、靴はスニーカー。
「またぁ!?」
首に撮影道具を入れる袋の紐をかけ、小脇に三脚に付いたままのHDVカメラを抱え、あとを追う。先輩は、あっという間に店から飛び出していた。
腰に巻いた上着をはためかせながらドアまで向かうと、奥からトイレが流れる音と「お待たせしました」という店長の声が聞こえた。なんとタイミングの悪いこと。けど、仕方ない。追うしかない。ああなったら、先輩はもう止まらない。赤い布を見た闘牛といい勝負だ。
「ちょっ、ちょっとどこへっ!?」
後ろから聞こえた声を無視して、私は店のドアを開けた。
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