EP3〜籠城ショーケース〜

第1話 早乙女愛-さおとめ-⑴

 メガネの位置を整えた。別にズレていたわけじゃない。ほんの少し左を見るという目的を隠すためだ。


 今、私の隣にはかけるがいる。手に息を吐きかけ、出てきた白い息が天へと昇っていく。

 視線を戻す。少しして、また見る。今度は温めようと寒そうな手を荒く強く擦っている。で、戻す。みたび見る。


「どうしたの?」


 目を配った翔。戻すのが遅れて目が合ってしまう。


「え?」咄嗟にとぼけたフリを私はした。


「さっきからなんかチラチラ見てくるからさ」


「いや、そのぉー……」


 私は、盗み見ていた行動への気まずさとバレてたことへの照れで、目線を逸らした。言い訳を……神さまどうか言い訳をっ!


 着ている赤いニットカーディガンを強く握りながら、私は必死に願う。その事だけが脳内で必死に巡っているからか、不思議と周りの景色が絞られていく。見えなくなっていく。だが、代わりに遠くのほうまで焦点が合い、短い文言が目に飛び込んできた。


「翔が知ってるかなーって思って……」


「何を?」


「あれ」私はまっすぐに、搬入車が止まる従業員用口のところに一定間隔で紙が巻かれたコーンを指差した。もっと言えば、そのコーンとコーンを繋いでいるロープに付けられた紙の文字だ。


 翔は顔を向けるが、最初何なのか分からなかったらしく、「どれ?」と再度聞いてきた。「あの、ロープにくっつけられてる紙の」とまで言うと、翔は同じく指をさし、「あの、ナルバル・カットサム展覧会ってやつ?」と口にした。


「うん」


「知ってる?」


「ううん、初めて聞いた」翔は首を横に振った。


「芸術家か何かかな?」


 正直、適当な理由付けさえできればそれから先は別に何でもよかったけど、ここで会話へ不自然な急ブレーキをかけるっていうのも流れ的におかしいと思って、続ける。


「そうなんじゃない、後に展覧会って続いてるし」翔はポケットに手を入れて、スマホを取り出す。「調べてみるね」


「あぁ、お願い」


 翔はスマホを取り出し、操作し始めた。


 ふぅぅぅ……危なぁかったぁ……どうやら、神様は慈悲深かったみたい。


 私はまたチラリと翔を見る。今度はバレぬよう、慎重に慎重を重ねる。


 何でこんなに見るのか、私でもよく分からない。いつもは制服だから、普段着の翔に新鮮味があるからなのか、休みの日にどこかに遊びに行くというのが今まで無かったからテンションが上がってるからなのか。そもそも、二人っきりになることがあまりないから緊張しているからなのか。

 思い起こせば、翔と二人っきりっていうのは、シザードールに追いかけられた時以来だから、2ヶ月ぶり、かな? そっか、もうそんなに経つんだね……


「分かったよ」


 翔はスマホを見ていた。私は視線を向ける、堂々と。


「ナルバル・カットサムっていうのはトルコの画家の名前らしい。えぇっと、絵画や彫刻、版画など様々な芸術分野で活躍している現代美術家で、日本での知名度はあまりないけど、海外では結構有名らしい」


 翔は書いてある文章を抜粋しながら教えてくれた。


「へぇーそうなんだー」


 首を動かしながら相槌を打つ。


 そんなことより、久々に2人だけでどこかに行けるということそれ自体に、私は喜びを感じていた。だから、名前であろうが場所であろうが、もうどうでもよかった。

 正直諦めてた。一緒に来るのは無理だって。不可能だって。でも、蓋を開けてみたら成功。というか、チャンス到来を上手く活用して大成功。そして今、こうして……


 もしあの日、遅刻をしてくれてなかったらこんなことにはなっていなかったかもしれない。ホント、海陸様様だよ。




「じゃあ、御室。ついてこい」


 先生の一言に、肩をがくりと揺らす海陸。いつもは昼休みは喜んでいるが、今日は違った。


「そのー、先生。お断り申し上げる的なのは?」


 先生はにこりと笑う。「あると思うか?」


「ハ、ハハ……ハハハハ……直ちに参ります」


 海陸はゆっくり席を立ち、先生の後をついていく。肩は垂れ下がった状態で、脇に強力な瞬間接着剤でも付けられているのかってぐらいに両腕がピタリと体にくっついていた、


「あの項垂れ方、死刑執行を待つ受刑者みたいだな」


「受刑者……」私は頬が少し動く。「なかなかのワードセンスだね」


「そうか?」眉を寄せる翔。言葉尻が上がる。


「うん、普通は出ないと思うよ」


「そうか……」打って変わり、言葉尻が下がる。「本人が帰ってきたら、確認してみるか……」


 本人に聞いちゃうんだね。私はそう言おうとした。けどその前に、気づいた。


 ん? 帰ってきたらってことは……チャンスじゃない? チャンスだよね!


 私は机に両手をつき、「ねえ」とよそを向いていた翔の首を無理やり動かした。


「今週の木曜って、空いてる?」


「木曜……あぁ、午前授業の日?」


 私が「そう」と頷くと、虚空を見る翔。数秒そのままの姿勢でいると、「うん、空いてる」と返してきた。


 よしっ!


「ならさ」私はカバンに手を入れ、机の上に置く。「ここ行かない?」


 翔は顔を近づけ、書かれた文字を凝視する。


「アイトドス……って、今度北区にできるショッピングセンターだっけ?」


「うん」私は首を縦に振る。


 アイトドス——“どこよりも最先端で最高峰を”というコンセプトのショッピングモールのことだ。東西に長く伸びた4階建てという巨大な施設で、総フロア面積はよく例に出される東京ドーム約2個半。幼い子や中高生は勿論、大人や高齢の人も楽しめるような施設が充実している。例えば、1階から3階まではファッションや飲食やアミューズメント施設など膨大な数のお店が所狭しとあり、4階には常設の屋内型レジャー施設と季節ごとに様々なイベントを開催する大小のホールの大きく分けて2点が備えられている。グランドオープンは、再来週の土曜から。テレビのCMや電車や新聞の広告で大々的に宣伝してる。


「よく当たったね。これって結構な倍率だよね?」


 けど、この先行入場券を持っていれば事前にモールへ入ることが可能。一部のお店だけれども、中には日本初出店のショップもある。だからか、何日か入れる日があったのに、そこそこの人数が入れるはずなのに、倍率はゆうに二桁超えたらしい。それだけ高い関心と注目を集めてるということだ。


「まあね」


 笑って誤魔化したけど、私はそもそも


 ショッピングモールの建設の際に発生した揉め事で矢柄組が仲裁して入ったことへのお礼として、昨日頂いたもの。つまり、抽選ではなくプレゼント、ということ。

 貰った時、私は学校行ってたから、その場にはいなかったんだけど、応対をしていた日岡さんが先方から「お世話になった組長さんに是非」と言われたらしい。

 で、そのまま私に「どうぞ」って回ってきた。なんか予定が入ってて行けないらしい。無駄にするのもというので貰った。


「でも」翔の眉は少し中央に寄っていた。「俺でいいの? 誰か他にもっと行きたいって思ってる人いるんじゃない?」


「大丈夫。聞いたけど、誰も行かないって」


 私ではなく、日岡さん経由だけど。


「……どう?」私は少し覗き込むように、翔を見た。


「うん、行きたい」


「……え?」聞こえてないわけじゃなかった。


「行ってみたいな」


「あ……うん。行こう」


 やった……やったぁ! とりあえずの笑顔から、満面の真の笑顔に変わった。




 やっぱりね、やってみなきゃ分からないことはあるんだよ、世の中には。自分への戒めになったね、今回のことは。うんうん。


 頷く動きを止め、振り返る……気のせいか。一瞬、妙な視線を感じた。なんだろう……


 すると突然、きーんという甲高い音が聞こえる。列の先頭の方からだ。私もスマホを見ていた翔も目を向ける。何かの台に乗ったのか、妙に背筋のいい男の人が下からひょっこりと顔を出してきた。

 オレンジ色と赤色が交互に縦に並んだボーダー柄の服装をしている。ここに並ぶ際、“最後尾”の看板を持っていた人と同じ。てことは、あの男の人もスタッフだろう。


「かれこれ1時間弱。ようやくだ」


 翔は頭の頂部を掻いた。

 けど……口にはしないけど、私には凄く短く感じていた。むしろ、列に並んでいて隣同士に並んでいる方が距離が近くなるから個人的には幸せなんだけど、とも。


 男性スタッフは次に拡声器を高く上げた。そして、空いていた左手で口の部分を数回叩く。とんとん、という軽い音が大きくなって聞こえてくる。大丈夫であることを確認すると、再び口元へ。遠くからでもよく分かるぐらい、息を大きく吸った音が届いた。


「これより入場を開始します。入場の際に、警備員が確認のために先行入場券の確認を致しますので、ご準備をお願いします。皆様が円滑に入れますよう、ご協力をよろしくお願い申し上げます」


 呼びかけにより全員が一斉に俯き、各々仕舞っていた券を手にし始めた。勿論、私と翔も取り出す。私は肩がけバッグから、翔はポケットに入れていた財布から。


「では、14時になりましたので、これよりアイトドス3回目のプレオープンを開始致します!」


 大きな掛け声とともに、行列が進み始めた。

 少し寂しさを感じる。けど、中で1秒でも多く恋人気分を味わうぞ! という並々ならぬ固い決意を胸に秘めて、私は店内へと歩みを進めた。翔とともに。

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