牛丼と定食⑵
店員も田荘も錦戸も含めた全員の視線が入口一点に集まる。
そこには、体格からして男が2人。目の周りが赤く囲まれた黒い目出し帽を被り、物騒な物を構えていた。
「手を頭の後ろで組んで伏せろ。ちゃんとテーブルに額つけんだぞ」
前にいた背の低い方が指示する一方で、後ろの方にいる背の高い方は後ろポケットから袋を取り出していた。白く中が見えにくい構造になってるポリ袋だ。広げて振って中に空気を入れると、近くにいる店員に渡し、「金、入れろ」と指示している。
田荘はこの2人が強盗目的でやって来たことを認識すると、ふと横目に捕らえた。隣に座っているサラリーマンがテーブルに乗せていたガラケーにゆっくりと手を伸ばしているのだ。だが、タイミング悪く着信が鳴り、皆の視線が集まる。勿論、強盗犯2人も。
状態から全てを理解した小さな強盗犯は目を見開き、「何してんだ!!」と何の迷いもなく持っていたショットガンを上に向けて、 トリガーを引いた。腕が下に肘入れしたように動くと同時に、鼓膜を破る程の炸裂音が店内に轟いた。
直後、飛び交う悲鳴。近くにいたサラリーマンもひいぃ、と怯えながら手をガラケーから離し、身をかがめた。着信はいつのまにか終わっていた。
小さな強盗犯は「うるせぇ!」と一喝すると、銃口をサラリーマンに向け、「次動いたら撃つからな。分かったな?」と脅した。サラリーマンは何も言わず、ただ首を激しく上下させていた。
これで下手に手出しはできなくなってしまった、と田荘は顔を引きつらせる。錦戸は反応せず、面倒臭そうに眉をひそめると、目だけ上に動かし、戻した。
「早く、言われた通りにしろ」
逆らう者は誰もいなかった。あの銃口を自分に向けられたらという身の危険と恐怖を感じたからだろう、変なことはしてないという証拠のようにゆっくりと動く。
「どうします?」
田荘は体だけ少し後ろに傾けて、小声で尋ねた。動いて捕まえるかとりあえず従っておくか、どちらにせよ錦戸の協力は不可欠だったからだ。
「決まってんだろ」
錦戸は置いていた丼と箸持ち、「綺麗に食べる」と、丼の縁に口をつけて箸を動かし始めた。
「いやそっちじゃなくて……」
「何話してんだぁ!?」小さな強盗犯が語気を強める。持っているショットガンを少し構える。
「コソコソ喋んじゃねえよ。てかオッさん、食べてんじゃねえよ」
銃を振る強盗犯。カチャカチャと音が鳴ったせいか、近くの人はより身をすくめた。だが、錦戸は構わず食べている。残り握り拳分ほどの米を残すまいとひたすら箸を丼に擦り付けていた。ちょっと錦戸さん、と田荘のすぼめた声にも反応はない。
「……何食ってんだ?」
錦戸は一瞬手を止め、「牛丼だよ、どこ襲いに来たと思ってんだ?」と挑発する。それが目の合っている自分であると思った小さな強盗犯は舌打ちをして、錦戸の方に体を向ける。
「ンなこと分かってんだよ、このヤロウ。俺が言ってんのは、何で今食ってんのかってことだよ」
言葉強く迫られたが、錦戸は無視して、丼の側面についた米粒たちを器用につまんで、口の中へ入れた。
「ふぅー美味かった美味かった」丼を置いた錦戸は、続けて上に箸を置き、「ごちそーさん」と手を合わせた。軽く頭を下げさえもした。
「いい加減にしろよ」銃を持つ手が力み出す。
「さっきから無視しやがって……おめえ、舐めてんのか? 強盗だって言ってんだ……」
「ったく、うっせえよ寂しがり屋」
錦戸は眉をこれでもかと吊り上げ、小さな強盗犯を睨んだ。
「こっちはよぉ、正月から駆り出されてイラついてんだ」
「いいか?」錦戸との距離を詰める小さな強盗犯。「俺たちはな、強盗なんだよ」
「ん?」錦戸は左耳を向けて、体を近づけた。
「だから」小さな強盗犯は顔を近づける。
「ご・う・とっ」
言い終える前に錦戸は素早く手に取った定食の味噌汁の容器を傾けた。中から茶色い液体が勢いよく飛ぶ。
「あぁっちぃいっ!!」
顔を押さえながら、後退りして苦しむ強盗犯。ワカメが目出し部分にかかって視界が遮られていることも考慮してだろうか、銃口の照準が人を捉えなくなった瞬間、田荘は地面をつま先で蹴り、椅子から跳ねた。
「おりゃあっ!」
田荘は腹の辺りに飛びつく。勢い余ってか、体は浮いた。勢いを受けた小さな強盗も、うぐえっ、と短い呻き声を上げながら、くの字に曲がって倒れた。頭を強く打ったからか、言葉にならぬ言葉を発しながら痛みに悶絶する小さな強盗犯。
田荘は強盗犯の腕を背中に持ってきて、手首に手錠を持ってくる。カチャリと音が鳴る。だが、手錠の音ではない。田荘は聞こえた方に顔を上げる。奥にいた大きな強盗犯が銃を構えていたのだ。
銃のセーフティーレバーに親指をかかるのを見た錦戸は少し目を見開く。そのまま視線を逸らさず、右手で荒く
錦戸は少し歯を食いしばり、投げた。野球のボールのように、回転しながらも見事な直線を描いて飛んでいく。
同時にコートがばさりとなびく音に反応し、大きな強盗犯は顔を向けた。腕で防ごうとするも時既に遅し。パリンッと綺麗な音を立てて、頭に当たった。丼が砕け散る程の衝撃が伝わったのだろう、立ったまま気絶し、そのまま後ろへ倒れた。
錦戸はふぅ、と息を吹きながら、コートを整えて、倒れている小さな強盗犯に近づき跨ぐと、顔の前でしゃがんた。一方小さな強盗犯は、顎を突き出すようにして顔を持ち上げ、目をやる。
「
「あぁ?」
「オレたちねー」錦戸はコートの内側に右手を入れる。
「……あれ?」
変えて左手。しばらく探るが、手を出した。明らかに何かを取り出そうとしていたのに、何も持っていない。
「すまん室長、頼むわ」
錦戸の微笑みを向けられた田荘はため息をつき、続けてスーツの内側から取り出した。一連の動作は、錦戸とは異なりスムースだった。
「こういう者だ」
小さな強盗犯の前に出した田荘。それが、警察手帳であると気づいた瞬間、「け、け、け、けっ」と言葉を詰まらせた。切り抜かれた布から見える目からも動揺しているのは明らかだった。
「そんな、ババア妖怪みたいな笑い方すんなよ」
コートのポケットに両手を入れた錦戸に、「笑ってないです。驚いてんです」と軽くツッコんで、「ていうか、ババア妖怪ってなんです?」と訊ねる田荘。
「知らん」
無責任に一蹴した錦戸は「そもそも、手錠かけた時点で警察だって思うだろ普通」と、呆れ半分嘲笑い半分の顔をした。
確かにそうだ、と田荘は心の中で合点して、立ち上がった。小さな強盗犯も一緒に立ち上がらせた。
「まあともかく」錦戸は続ける。
「正月はな、炬燵でおせちとみかん食って、過ごさなきゃいけないんだ。ここで質問。しないとどうなると思う?」
錦戸は強盗の顔を見る。分からないのかふてくされているのか不明だが、返答はなかった。
「答えはな、バチが当たるんだ。嘘だと思うだろ? これが本当なんだ」
初耳ですけど、と無粋なことは田荘は言わなかった。
「だからほら。今、まさにそうなってる」
錦戸はポケットに手を入れると眉を中央に寄せ、「正月だろうが神様仏様は休まず見てんだ、覚えとけ」と吐き捨てた。
連れて行こうとしたが、店員が110番を既にしており、だったらということで待っていた。ものの数分で来た数台のパトカーが店の周りを囲む。田荘と錦戸は事情を端的に説明し、警官たちに犯人2人を引き渡した。
そっからはあっという間にパトカーの中に押し込められて、連れていかれた。まるで万引き犯かであったかと勘違いしてしまうようなあっさりさだった。
「にしても」錦戸は、セブンスターに火をつけた。先が赤くなったタバコを美味しそうに吸い込む。目を幸せそうに細めている。で、離す。
「小さい嵐だったな」
言葉とともに吐いた息は反対に、そして異常に白かった。だが、すぐに儚く消えていく。
「銃構えた強盗だったのに?」錦戸の発言に疑問を持った田荘は体を傾けて、尋ねた。
「銃は銃でも空気銃。一応はエアガンだ」
「危険性があるのには違いありません」と訂しながらも、「いつからですか?」と尋ねる。
「気づいたのが、か?」
錦戸の問いに首肯する田荘。エアガンである、とやってきた警察官に伝えたのは錦戸であるのだ。
タバコを歯でくわえ、人差し指を立てると、「天井だよ」と錦戸は教える。
「天井、ですか?」
「最初、チビの方がショットガンを上に向けて撃ったろ? あれで天井に跡が出来ていた。だけど、穴は空いてなかったんだ」
「だから、エアガンではないかって考えたんですか?」
「というよりかは、実弾は入ってないって思った」
口につけたタバコを深く吸い込むと、今度は錦戸から田荘に「てか室長、気づかなかったのか?」と声をかけた。
「まあ、犯人の動き追ってたんで……」
「そもそも、本物のショットガンを片手で撃ったら腕死んじまうだろ」
錦戸の指摘に、あっ、と声を漏らす田荘。
まあいいやと言わんばかりに「だがな」と続きを話し始める。
「室長も言ったようにエアガンでも改造されてれば、威力はあるし、人に向けて撃つと危険だ」
「だから下手に動かず指摘せず、隙を見て味噌汁かけたり丼投げたりした」
「そういうこったな」
錦戸はタバコを口につける。
納得した田荘は「エアガンだとしても、まさか銃持ってるなんて……」
田荘は神妙な面持ちで呟くと、錦戸は「何言ってんだ」と片眉を上げる。
「銃ぐらい誰だって持ってんだろ」
「ここはアメリカじゃありません」
「強盗するなら、ってことだよ」
「それでもです」
眉間に皺を寄せ、タバコの先を田荘に向ける錦戸。
「室長も分かってるから釈迦に説法的にはなるけどよ、この島は普通じゃないって言われてんだ。てことは、銃持ってても別に不思議じゃない。違うか?」
言いたいこと言った錦戸はタバコを口に運ぶ。
「違うか、と言われても……」
田荘は困ったように頭を軽く掻いた。こじつけである。日本であって日本でない島ではあるが、法律は日本の法が適用されている。つまり、錦戸の理論は無理矢理で荒唐無稽で証拠のない空虚なものである。
だが、今までにこれまでに身をもって経験していた田荘は全否定はできなかった。それどころか、そうですねという肯定の頷きさえしてしまいそうになってしまった。
「ヤクザがわんさかいるこの島で金やら力やらを得るために、非合法なこともやりかねない。ほら、先月の……先月の……」
錦戸は言葉を詰まらせ、「なんてのだっけ? 色々あったシャブの名前」と田荘に顔を向けて尋ねた。
「ジャンピング?」
「それそれ! シャンピング、シャンピングっ!」
納得するように頷く錦戸に、すぐに「ジャ!」と訂正する田荘。強い口調に「シャブのシに引っ張られちゃったんだって、そんな怒んなよ」となだめる。
「んで、その……ジャンピングは、高校生に作らせてたんだからな」
作らせたのではなく作っていたからという風に順番の前後が違ったのだが、田荘はそこに関しては黙っていた。
「となると、今回は違ったけども、金得るためにモノホンの銃を売ってもおかしくはない。だろ?」
「まあ……そうですね、はい……」
ついに、田荘は折れた。完全なる賛同ではない。賛同3割、面倒7割。だが、面倒くさくなったというのは感じさせないように、言葉を発する。
「田荘」
「はい?」
「面倒臭いか?」
無意味、だった。
「違います違います。全然そんなことないです」
「大体、同じ言葉を続けて2回繰り返すのっては嘘の表れだ」
錦戸の指摘にギクリと肩を動かす田荘。目線をそっと逸らす。
「まあいい」錦戸はタバコをくわえ、深く吸い込んだ。口から離すと、「にしても」と、煙と一緒に吐いた。
「せっかくならもっとデカい嵐が来て欲しかったよ」
妙な愚痴をこぼした錦戸。「だから、錦戸さん」田荘は呆れる。
「警察がそんなこと言っちゃダメですって」
明らかに不謹慎だった言動に今度は、田荘が訂正を。錦戸は「それもそうだ」と、小さくもハハハと声を出して笑った。
「あと1つ」田荘の言葉に錦戸は笑うのを一旦やめ、耳を傾けた。
「タバコの灰は、地面に落とさないようにして下さいね」
人差し指がさしていたのは、タバコの先に付いている長い燃えカスであった。
「いくらコンクリで燃えないからとはいえ、俺たちは警察官……」
不意に風が吹く。突然の強い風。絶妙な安定感を保っていた燃えカスがバランスを崩して、地面にぽとりと落ち、四散した。
2人は目で追っていた。そして、散った後、しばらくそのまま地面を見ていた。若干熱を持ったカスが赤くなっているのが見える。またも風が吹き、さらに細かくなった。
「ま」錦戸は顔を上げる。
「何事もタイミングが大事、ってことだな」
そして、口にタバコを運んで、思いっきり吸った。目はまたも細くなった。
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