第13話 安西-あんざい-⑴

 「どうかされました?」校門のレールをまたぎ、敷地内に入った瞬間、作業服を身にまとった若い男に声をかけられた。軍手をした手には、落ち葉拾いによく使われる箒を持っている。


 背を伸ばす。


「私、本日からこちらでお世話になります、安西です」


 俺は自己紹介をし、頭を下げる。


「あぁ! お話は教頭先生から伺ってます。どうぞこちらへ」


 案内されるがまま、教職員用玄関から用務員のカードキーで中に入って向かった先は、校長室だった。応接室的機能もあるのか、縦に長い部屋の中央にはガラス張りのテーブルを挟み、2人掛けのソファの対面に1人ずつ座れるソファが2席あった。壁の上の方には、歴代校長の胸上写真が濃い白黒木からモノクロ、はたまたデジタル加工のカラー写真も。窓側には、校長の座る席がある。背もたれの長い高そうなレザーでできた椅子や木目が至る所にある木の机、その上には緑のでかい下敷きみたいなのが敷かれ、冊子の数々が置かれている。ドラマとかで見るのと似ていた。


「こちらで少々お待ち下さい」


 そう言い残し、用務員はガラガラと入口のドアを閉めながら去っていく。部屋をぐるりと見回しながら、椅子に座る。そのまま背もたれに背をつけ、力を抜く。今だけは安西ではなく、便として待つことにした。


 やはり、問題の第2段階、つまり教師としての採用は叶わなかった。そもそもすぐに入れるような臨時採用枠がなかったのだ。これに関してはマニアの能力を持ってしても、不可能。相手は必要ないと言っているのだから。

 何か他の案を考えなければ、と渋々思った矢先に一筋の光が差し込んだ。生徒、つまりは依頼主の息子の飛び降りは校庭側で起きたことであったこともあり、実際に見た生徒が多数いたのだ。学校側は心のケアを目的とし、緊急処置的に臨床心理士会にカウンセラーの派遣の要請をしていたそうだ。


 とりあえず学校に潜入できればいい——俺らはそれを利用させてもらった。

 マニアには学校はもちろん、その他の団体にもハッキングしてもらった。複数の団体に学歴や資格習得などの経歴詐称をしたデータを忍ばせておき、学校側には臨床心理士会からの推薦者が急遽来れなくなったと、心理士会には要請自体の取り消しをした。これで万全だ。

 そして今日水曜と金曜、月曜の3日間限定という条件はつくものの、スクールカウンセラーとして潜入することができた。


 ふと時計を見る。ここに来て、言い換えれば物思いにふけってもう10分が経過。


 ……帰りたくなってきた。


 そう思った瞬間、ガラガラと扉が開く。


 そこに結構歳のいった男2人がいたのを目でとらえ、すぐさま立ち上がる。


 「すいませんね、お待たせして」と2人はこちらへ近づいて、すぐそばまでやってくる。


「私、金戸高校で校長を務めております、西川と申します。こちらは教頭の東山です」


 紹介された教頭が頭を下げる。


「安西と申します」


 俺も頭を下げる。続けざまに俺は「それで大変申し訳ないのですが、今、名刺を切らしておりまして……」と話す。もちろん、嘘だ。そもそも作ってない。


 「あぁ大丈夫ですよ」手を軽く上げて、俺の前にある1人掛けソファに体重をかけて座る校長。一方の、教頭は隣で立っていた。


「事前に頂いた資料から大体は把握してますから。かなり優秀な方みたいですね」


 「いや……そんな」まあそれも魅力的に見えるように嘘を嘘で塗り固めるという細工をさせてもらったからな。


「そんなご謙遜をなさらず。優秀だっていうのは体から滲み出てしまうものですから。私みたいにね」


 自分で言って自分でガハハハと笑い出す校長。教頭も横でハハハハと笑う。異様な光景だったが、参加しないで表情を変えず、ただむすっとしてるというのもおかしいと思ったので、俺も同調し口角を上げる。笑うことに慣れてないからか、頰が硬い。


「昨日の今日で大変だったでしょう。何やら前の方は急に来れなくなってしまった、とかでしたかな」


 深く座り肘掛けに乗せ、まさにふんぞり返っているという表現がぴったりな姿の校長に、「はい。諸事情で少し。その代わりに私が」と浅く座り膝掛けに乗せないで俺は返す。


「まあ……カウンセラーの方も色々と大変だということですな」


 そう話す校長の目が動く。何かに気づいたように、俺の口元をじっと見ている。

 もしかして、バレたか?——そう嫌な予感を感じながらも俺は「どうかしましたか?」と平然を装って訊ねる。


「あぁいや……そのヒゲが気になりましてな」


 意識せず勝手に俺の眉がピクリと動く。


「随分と手入れをなさっているみたいですな」


 「えっ?」思わず動いた眉が上がり、口が開く。


「実は私も昔ヒゲを蓄えていた時期がありましてな。ですが、なかなか上手く整わず、結局諦めましたねぇ。それに比べ安西さんのは非常に綺麗に揃ってらっしゃる。いやぁー羨ましい限りです」


「あ、ありがとうございます」


 まさか褒められるとは思っていなかった俺は再びぎこちない笑みを浮かべ、軽く頭を下げた。よかった。つけ髭だとバレたのかと思った……




 俺は違和感を感じ、マニアのそばまで向かう。見覚えのある顔に違和感のあるパーツ。

 気になり、「なんだこれ?」と尋ねる。すると、マニアは「つけ髭とメガネです」と返してきた。さも当然かのように静かなトーンで。


「そんなのいらねえよ」と吐き捨てると、マニアは「えっ」と再び手を止めた。


「てことはなんですか。もしかして、そのままの姿で潜りこもうとしてたってことですか?」


「ダメか?」


「ダメですよっ! 学生だったら何とか誤魔化せるかもしれませんけど、教師たちは無理ですって」


「杞憂だよ」


「杞憂なんじゃないですって」


 言うこと全て否定するマニアは「いいですか?」と続ける。


「ドラさんはタイガーさんと毎日喧嘩してたんです。で、そのタイガーさんが通ってたのがこれから潜入する金戸高校。ドラさんが学校まで乗り込んだりもしてたってことはつまり、そこに勤めている人たちは普通の一般市民よりも知っている可能性は高いんです」


 マニアは椅子を俺の方に向けて、さらに続ける。


「しかも、先生が異動しない私立は尚更そう。変装くらいしなきゃ絶対にバレますって。それにですよ、杞憂ぐらいがちょうどいいんです。それに、これからやろうとしてるのは法に反することなんですよ?」


 マニアの主張は間違ってはいない。


「あと、言葉遣いにも細心の注意を払って下さい。あっ、あと服装もスーツとかそういうのに変えてくださいね」


 俺はそのまま服を買いに行った。俺は季節が変われば服も少しは変えるぐらいにしか思ってないほど服には興味がないから、店員に適当に見繕ってもらった。結果、買ったのは上下茶のスーツにチェックのワイシャツ、黒の靴下と革靴。その時はその道の人間が決めたんだからいいのだと思っていたが、よくよく考えてみるとこの格好。教師とかじゃなくて——




「できるビジネスマンみたいでカッコイイですな」


 案の定。やっぱ言われた。教師向きな格好じゃないよな。


「でも、背の高い方が着ているとやはり映えま——」


 「校長、そろそろ……」隣にいた教頭が校長に一声かける。それで何かを思い出したのか、ハッと表情を変えた。


「つい話が長くなってしまい、申し訳ない。では、これから宜しくお願いしますね、安西さん」


 校長は立ち上がる。俺も少しだけ遅れて立ち上がる。


「こちらこそ宜しくお願いします。1日も早く元の生活に戻れるよう、精一杯努めさせていただきます」


 俺は腕を体の側面にまっすぐ付けて、頭を下げた。なるべく綺麗に見えるよう、少しオーバーなぐらいに。


「おぉーそれは心強いですなぁーなぁ、教頭?」


「ええ、校長」


 ガハハハとハハハハが部屋をこだまする。体を起こした俺は作り笑顔で2人の顔を見る。短気な俺にとって、こんな時間は苦痛以外の何ものでもない。

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