第15話 槇嶋⑵

「お前が……あの、シザードールだな?」


 逃げられないと思ったのかゆっくりため息をつきながら天を仰ぎ見る男。そして——「そうです」

 「なんでこんなことを?」訊いたのは海陸。


「鬱憤ばらしですよ。俺は会社で下僕的存在でした。それが嫌で……優越感に浸りたかったんです。上から見下してみたかったんです」


 「それで、人を追いかけ回したってのか?」ロングコートの男性がそう問うと、地面に寝っ転がる状態だったシザードールは上半身を起こして片膝座りになり、「ええ」と答えた。


 「だけどよーわざわざこんな格好する必要があったか?」コートの男性は腕を組みながら尋ねる。


「今はそこらじゅうにカメラがある時代です。街中の監視カメラにしろケータイにしろ、撮られちまえば一巻の終わり。それに、この格好の方が寄ってくるのがいますし」


 「寄ってくる?」そんな人がいるはず……

 すると突然、「あっ!」と声を上げる海陸。驚く俺と怪し見る男性。「な、なんだよ?」俺の声が届いていないのか無視しているのか分からないが、一心不乱にバッグの中から何かを探し始める海陸。


「あぁ……どおりで見たことあるって思ったんだ」


 そう言って海陸が取り出したのは、5歳児から貰った『どうぶつキャッチ』のシール。見比べてみる。確かに、そう言われば同じだ。ん? 待てよ??


「てことはもしかして、被害者に小さい子が多かったのって……」


「この姿を見たら、警戒心なくあっちから近づいてきてくれるからですよ。それに、そういうもので脅かしたほうが恐怖は倍増すると思ったんです」


 なんとも悪趣味な発想だ。


「最初、少ししか追いかけてませんでした。あとは相手がビビって逃げてくれますから。俺にはそれで十分満足だったんです。けど、それを何度も繰り返していくたびに『両手にハサミを持ってる』とか『永遠と追いかけまわしてくる』とか、特徴から何からどんどん誇張されていってしまって。最終的には、“シザードール”なんて名前をいつの間にか付けられてしまうまでに……」


 つまり、逆輸入のような形で、シザードールは形成されてったわけか。


 「それじゃあ捕まえて、拷問をしたりとかは?」という海陸の問いに、シザードールは目を開きながら「そんなことするわけないですよっ! それをやったら本当の犯罪者だ。そしたらおしまいです」と全力否定。

 都市伝説とかの類いは往々にして人から人へよりオーバーに、よりホラーに、よりオカルティックに伝わるのだとなんかの記事で読んだ。改めて、都市伝説を怖くしてるのは、人であるということを実感した。


「俺、引くに引けなくなって……最初はあんなことまでしようとは、これっぽっちも思ってなかったんだっ」


 「だったら、お前の手でさっさと止めりゃよかったろ」コートの男性が訊ねる。


「怖かったんです! 噂が消えたらってなんか俺も消えちゃうような感じがして……凄い怖くなって……」


 人を怖がらせるために始めたら、人によって自分が制御できないほどに怖くなり、止めることさえ恐怖になってしまった——これこそ、ホラーだ。


 「覚えてるか、俺のこと?」半分話題を変えるような感覚で俺は、一番聞きたかったことを訊くと、「は?」素っ頓狂な顔を浮かべるシザードール。


「一昨日、お前に追いかけられた」


「そ、それは、俺じゃない」


 えっ?


「ほら、俺の隣に制服を着た女子がいたろ?」


「違う……一昨日は片付けないといけない仕事があって、夜中まで会社に缶詰で」


「そんなはずない……俺も早乙女愛も確かに追いかけられた。西区の通りで14時に——」


「確かに昼間は12時から1時間は昼休みですけど、俺の会社は東区のはずれにあります。行き来だけでも1時間弱。仮にダッシュで向かったとしても、着替えて襲ってまた着替えて、そして戻るなんて無理ですよ。到底不可能に決まってます。退社だって早くても夕方からしかできません。下僕な俺には14時なんて無理です」


 「だから夕方からしか出ない、か……」呟く海陸。


「で、でも確かに見たんだ……見たんだこの目でっ!」


「やってないものはやってない! 会社の勤務記録だろうが監視カメラだろうが調べてください。俺は一歩も外に出てないって分かるはずですから」


「でも見たのは間違いっ——」


 あれ? シザードールだからと決めつけていたが、そう言われてみれば確かに前の時と異なっている点がある。


 まず、見た目。今回のは全身にウサギを身にまとっているが、前のは頭だけだった。頭だけを使ったのかとも思ったけど、耳の間に帽子が挟まるように置いてあり、着脱は不可能。くっ付けたような感じでもない。

 それに、状況。前は追いかけられたが、追い回されることはなく、すぐに姿を消した。途中で警官を見たからだっていう見方もできるけど、俺達でさえ、角から出てきた警官にぶつかるまで気づかなかった。距離の離れていたのに、それを認識するのはできない。

 そう考えると、なおさら疑問だ——あのシザードールは何者なんだ?


 あっ。


 「お前は本物なのか?」俺は詰め寄り、訊いてみた。


「は?」


「本物のシザードールなのか?」


「あぁ……俺が最初に始めたから……そのはず、です」


 やはり——前のは模倣犯である可能性がある。で、その模倣犯が捕まえて拷問を……まあそれは流石にオーバーだとは思うけど、それに近い何かをしてたのかも。それで、本物のシザードールに噂に尾ひれがついていたのは、模倣犯がやったことによるものなのかも。だって、誰かが故意に流したとは考えづらいし、そんなの誰も得しない。


 「昨日も似たようなのに追いかけられたのか?」男性からそう尋ねられた。


「かと思ったんですけど、見た目などがいくつか異なっているので、もしかするとこのシザードールとは別に模倣犯がいるのかもしれないです」


 「えっ!?」一番驚いているのは、シザードール本人。「模倣犯、か……」男性は視線をそらす。眉も少し中央に寄っている。


「……どうしました?」


「いや。その模倣犯のことは西区で見たんだよな?」


「そうです」


「詳しい場所を教えてもらってもいいか?」


 なぜそんなことを?——って思ったけど、別に隠すようなことではなかったので、目撃したあの一本道について教える。


「了解。ありがと」


「いえ……」


 すると、電話が鳴った。相手は翁坂さん。ある意味、ちょうどいいタイミングだ。流石は記者さん。


「もしもし?」


『もしもし? 翁坂です。さっきさ、シザードールを目撃した人とコンタクト取れたんだけど、一緒に来るかい? 無理にじゃない。もし暇があればでいい。あとね、ちょっと聞いてみたところ、また学生だったらしい。でも、一昨日みたいに男女ではなく、今回は男子2人だったみたいなんだ。で、どうする?』


 「あぁー、そのシザードールなんですけど——」俺は今の状況を話した。




『じゃあ、10分だけ待ってて!』


 切れた。ポケットにしまうと、待っていたように「とりあえず、警察に連れて行くから、2人も一緒に来てもらえるか?」とコートの男性が語りかけてきた。


「あっ、いやっ、あのー……俺たちだけ大丈夫です」


 コートの男性は眉をひそめ、「2人だけで行くってことか?」と尋ねる。


「いや。えっと……」


 嘘をつくのは良くないと思い、俺は事情を全て話した。


「じゃあ、その雑誌記者がこれから来るから、まだ連れていけないってことだな」


「はい……それが終わってから連れて行くとかはダメですかね?」


「いいんじゃないか」


 やったぁ!


「ありがとうございます!」


「ただ……今はちょっと時間がなくてな——後は任せるんでもいいか?」


 一応、ハサミはハンカチに包んだ状態で、海陸が持ってる。気をつけていれば、何か変なこともしてこない。

 これから翁坂さんも加わり監視体制が2人から3人に変わる。おそらく大丈夫だろう。


「分かりました」


 「じゃ」大通りの方へ向かう男性に俺は、出る寸前「あのっ!」と去り際に声をかける。「ん?」振り返る男性。


「助けていただき、ありがとうございました」


 フッと1回微笑むと、背を向け、左手を軽く上げて去っていった。


 「あっ」海陸が意味ありげな一言を呟く。


「どうした?」


「名前を聞くの忘れてたな」


 あっ……


 それから約束通り10分、しかも弱で、翁坂さんがやって来たのには驚いた。

 どこから来たのかは分からないが、ヒューヒューと今にも死にそうな呼吸をしている上に、「年相応の、スピードじゃ、なきゃ、ダメだね、やっぱり……」となんかよく分からない言葉を口にしてはいたことから、相当走ってはいるのだということは十分伝わった。




「よしっと!」


 シザードールへの単独取材を終えた翁坂さんは意気揚々としていた。凄いな、記者って。路地裏だろうがどこでも仕事するんだ。


「いやぁー、2人ともありがとう。これで記事が書ける。世間が注目してる騒動の犯人の独占インタビューだから、売り上げも絶対上がる。それもこれも君たちのおかげだ。ありがとう」


 「いえ……」注目されてるの?


「でも、よく捕まえたよね。怖くはなかったの?」


「いや、実はですね……そのぉー、捕まえたの俺たちじゃないんです」


「えっ、じゃあ誰が?」


 「それが名前を聞くのを忘れて……」俺は頭を掻く。


「男性です。目にも留まらぬ速さの足蹴りを繰り出していました。邪魔になりそうなぐらいの黒いロングコートを着てたのに、それを物ともせず」


 海陸が続けて話すと、「足蹴りに黒いロングコート……」と翁坂さんは、視線をずらして、ブツブツと呟く。何か心当たりがあるのだろうか?


「それってもしかして、頭がボサボ——」


 「あのぉー……」声のした方を見る。発したのは地面に座っているシザードール。


「取材で色々赤裸々に語ったんで、そのー……逃がしてくれる的なことっていうのは?」


 ぎこちない笑みを浮かべるシザードール。


「「「あるわけねぇだろ!」」」


 まさかの言葉の一斉射撃に「ですよね……」と首を窄めるシザードール。

 直後、俺は海陸と翁坂さんと顔を見合わせる。俺たち相性いいかも……

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