拾の戦 ≪ そういう役の男 ㊤
『多くの者は考えたくないから本を読む』── ユダヤの格言
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■ 狂犬グループの中層構成員
昨夕のことである。
渋谷、キャットストリート脇の名もなき細道を進んだ先にある古い木造アパートの敷地内にて、狂犬グループの下層構成員、
発見したのは、近所に住むグラフィックデザイナーの男性。外食のために部屋を出た際、ロケット花火のような炸裂音を近所に聞いた。不審に思った彼が音のしたほうをたどってみたところ、5軒隣のアパート、苔の
火薬の匂いが立ちこめていたと言う。
それもそのはず、阿川は、口内に火薬を詰められて引火させられたのだった。その爆破の衝撃で頬肉は無惨に吹き飛び、両の奥歯が剥き出しの状態に。さらには、歯の破折、鼻血、眼球の打撲、脳震盪──目を覆うほどの凄惨な有り様だった。
幸いにも命に別状はなかったが、今後の整形外科手術を考慮すれば、せっかくの青春に水を差されたこととなるだろう。彼の十八番である釣果のない軟派もしばしの間はお預けということになる。
さて。
誰が、なんのために、どのような方法で、どのような種類の火薬でもって阿川の顔面を爆破したのかはわからない。中学生らしき少女と一緒にいるのを見たという目撃談もあるのだが、6部屋からなる件のアパート、その4人の主人たちはことごとく留守中であり、不運にも通行人もおらず、確たる証言は皆無に等しい。事件の真相は闇のままである。ただ、確実に言えることがあるとすれば、阿川ごときの人間にさえも敵視のひとつやふたつはあるということ。それがヒナ高のアイデンティティであるということ。
今さら驚くことではないのである。
それどころか、
(あーあ。駒が減ってしまった)
腑甲斐ない阿川に呆れの念さえも抱く。どのみち使えない駒には違いないのだが、敵軍に対し、1秒ぐらいの足止めとして使用できたはずである。そのわずか1秒の刹那に無限の可能性を模索することこそが軍師の冥利だというのに、よもや駒のほうで自爆してしまったのでは呆れるより他に言葉がない。
(クライマックスの前哨戦を飾ってもらう手筈だったのに)
綺麗な花を咲かせて華麗に散ってもらう手筈だったのに、花火会場に着く手前、ユニック車の荷台で
(
あの女を振り向かせられたと思ったらコレなのである。恋を打ちあげ花火とする重たい比喩が軽い皮肉にさえも聞こえる。
こうなってしまってはもはや、
「まだ動かないでよ。シロ」
「ああ!? ヤベぇ。動きてぇ!」
この獣に託すしか術はあるまい。
「動くなって言われたらよぉ。急によぉ。なんかヤベぇ。急に動きてぇ!」
「急に動くのはやめてってば」
頭の弱いヒナ高のリアルに、絵面清貴は溜め息を
⇒ 20XX/09/12[水]18:XX
東京都中野区中野5丁目
中野ブロードウェイの4階にて
ちょうど1週間前のことである。
『面白ぇ。面白ぇことンなった』
茨城県の暴走族『
確かに、グループの身内のひとりである三枝虹子が倒されたと聞いた時には、やや深刻そうな表情にはなっていたのである。しかし、すぐにもとの緩い姿に戻ったし、面白い事件に発展するとはとても思えず、少なからず落胆を抱えていたものである。
表情が激変したのは、その数時間後。
『桐渓更紗──敗れる』
知る人ぞ知り、知らぬ人ぞまったく知りようもない、大柔術の本家本元、巌桐流の秘蔵っ子の敗退速報を耳にしたジン、
『マジかッ!?』
珍しく大きな声で叫ぶと、速報を持ってきた
『面白ぇ。面白ぇことンなった』
威嚇する餓狼のように、ぞッとするほど凶悪な笑みを浮かべて唇を舐めた。
なにせ、桐渓更紗である。
仲間内へと引き入れるべく様様な手段で勧誘するものの、のんべんだらりとスルーするばかりで絶対に首を縦に振らなかった武術家の原石である。どれだけ
そんなダイヤモンドの原石が、敗れた。
倒した相手は、百目鬼歌帆という厄介な女と見られる。なにが厄介って、極端に喧嘩が強いくせに自分からは売ろうとせず、普段はとても大人しいところか。実際、ヒナ高の偏差値はあくまでも喧嘩の強弱なのである。コレ如何によって生存率が大きく上下変動する。そして多くの生徒がこの生存率をかけて鎬を削りあっている。すると当然、喧嘩の強い百目鬼を打倒することも課題のひとつとなる。しかし彼女は、喧嘩が無敵のように強いくせに生存率には興味がなく、几帳面に授業を受け、必然、成績は完璧に無敵である。つまり、偏差値という点からして、ヒナ高のバカ野郎どもとは明らかに人種が異なっている。
これほど厄介な話はない。
百目鬼は違う。構成員など持たず、自分から喧嘩を売ることもせず、といって放置していいような普通の女でもなく、むしろ乗り越えなくてはならないと強く思わせるほどの圧倒的な巨人である。この女を抜きにしてしまっては、不良学生としての栄えある生存率が──沽券が落ちると。
ゆえに彼女を喧嘩へと誘う。ツラを貸せと言う。すると、嫌がる素振りもなく彼女は従う。誘った側が先導するカタチで仲間の待つ現場へ向かう。だが、その彼が現場にたどり着くことはない。道中の闇で完全失神した状態で発見される。
已むなく、先導する方法は却下し、指定した場所に来させるよう彼女を呼び出す。○○時に○○まで来いと言う。彼女も快諾する。だが、彼女が素直にあらわれることはない。約束をドタキャンするなどして大いに戸惑わせ、そして翌日までの間に、呼び出した連中は闇討ちに葬られている。
已むなく、呼び出す方法は却下し、その場で彼女に喧嘩を売る。立ち合ってくれと言う。彼女も快諾する。快諾した直後、なぜか彼女は逃亡する。唖然茫然となる。で、彼女は戻らず、探しても見つからず、結局は翌朝の登校中に闇討ちに遭う。
已むなく、直接
エゲツない女傑である。しかし普段は大人しく、成績優秀、一部の真面目な生徒たちからは「歌帆さん」と呼ばれ、慕われている。
このギャップ、やはり厄介である。
『あの女が1であり、1が100に等しい以上、勝てるヤツは限定される。この俺でさえも手玉に取られかねない。あー、とどのつまり……』
もともと正正堂堂とした男らしいとされる喧嘩なんて大嫌いなジンである。百目鬼の厄介さに対し、見ている絵面がゾクゾクするほど愉快そうに言う。
『つまり、2以上にしてやり、なおかつ99以下にしてやればいいわけだ』
初めて大草原に放たれたバンビのように
『ひとまず2以上にするのは造作ないが、問題は99以下にしてくれる逸材のほう』
こうして絵面は、
『……キヨ。リサーチできるか?』
犯罪の下準備という大役を任された。
「まだ来ねぇ? こっちから行こうぜ?」
「それじゃ意味がないんだってば」
年季の入った厚紙と、プラスチックと、ラテックスと、熱狂的な客の体臭とが混在したような、奇天烈なレトロフレイバーに充ち満ちる中野ブロードウェイの4階。下階では古本屋やフィギュアの中古店のかたわらに寿司屋や中華料理屋、喫茶店も軒を連ねているから、どうやら食材の匂いまでもがこの階に届いている。
「日本」と言うよりは「亜細亜」と言ったほうが正しいスメル。六本木や表参道では考えられないスメル。
この匂いが得手でない絵面は、自然と眉間に皺の浮いてしまう不快感に
さすがに業務用には興味がない。彼の興味は、あのゲーセンのほうにある。そしてあのゲーセンを、ほぼ毎日のように訪れている女のほうにこそある。
眠れる狂犬を動かした女。
ここで彼女はほぼ毎日、夕方になると、とある中学生男子と格闘ゲームに興じているようなのである。特に親しい中学生というわけではなさそうだが、絵面の1週間がかりの調査によれば、現段階において、彼こそが彼女にいちばん近しく、そして狂犬グループにとっていちばん気安い逸材。重要参考人。
絵面はもう、仕込んでしまった。
もう後戻りはできない。しかし罪悪感がまるでないのは、後のことは頭や幹部がなんとかしてくれるだろうという依存心にも似た希望的観測ゆえ。
彼女に事を伝え、そしてかたわらで落ち着きのないこの獣を解放、そこで絵面の大役は昇華する。なにということもない、実にイージーな作業のはずである。
しかしながら、
「うー。あー。おー」
我慢を知らないこの獣が面倒である。
「あー。ムリ。もうムリ。ムムリム」
ごんごんと、ショーウィンドウを拳骨で突き始める。その向こう、査定に余念のなかった男性店員が異音を察知、こちらを振り向くと同時に慌てて視線を逸らした。
「どーめき。待てん早く来いんテメ」
「ちょ。シロ。やめ」
肩まで伸びた長い金髪を前後になびかせ、巨大な使い切りマスクを顔面に貼りつけた眉毛のない男が、
「テメ。テメ。テンメン」
「やめ。目立つ。やめて」
ご。ご。ご──突くだけでは満足せず、よもやの頭突きを始めるのだから視線を逸らすのも当然である。
「テンメン! テンメン! テンメン!」
「割れるってば。てかテンメンてなんだ」
絵面、華奢な腰に手を回してガラスから引き剥がそうとするも、びくともしない。痩身に見えてこの男、いわゆるボクサー体型のパワーファイターなのである。
名を、
絵面と同じ1年生であり、頭が弱いために下層構成員ではあるものの、喧嘩の腕前に限っては幹部さえも脅かすほど。事実、彼は狂犬グループで唯一のボクシング経験者である。中学1年の時には、U-15のボクシング全国大会に42.5㎏級の正選手として後楽園ホールに立ったことも。相手選手の耳に噛みついて失格となったが。
(地区大会で失格にならなかったことがまず奇蹟でしょうに!)
自分のひ弱な腕ではまったく引き剥がせないのを愚痴に転嫁する絵面である。
「もうすぐ来るから待てってば!」
「メーンテン! メーンテン!」
「今までに僕の計算が外れたことある!?」
「おぅん?」
ようやく頭突きが止んだ。
とても使える獣なのだが、使うまでが面倒な獣でもある。
「寄居だってちゃんと来ただろ?」
「ヨリイ? えーと……うん」
「百目鬼だってちゃんと来るんだってば。そういう計算になってるんだから」
「けーさん」
「僕がGOサインを出せば」
「ごーさん」
「好きなだけ暴れちゃっていいんだから」
馬鹿にもわかるように話してあげるのが凄まじく面倒くさい。
(教育って大変だ)
父は保育士、母は高校教師だった。周囲から常に尊敬のまなざしを浴びる両親ではあったが、息子への教育で一致団結できたことは最後までなかった。あげくの果て、父は
綺麗な個性と厳正な教養、その相反する両方を強いられる少年時代だった。そして少年は、個性、教養を習得するよりももっと早くに、教育する大変さを同情してみせる
おかげで周囲の評価も高かった。
『とてもクールな絵面くん』
『まるで読めない絵面くん』
『素顔の見えない絵面くん』
親戚の助けもあって高校入学できた絵面だが、義援金にも限度というものがあり、だからヒナ高である。そして、だから銀鏡みたいな無学者を教育しなくてはならず、だからより両親への同情を禁じ得ない。
いずれにせよ、絆に対して冷静になっていく自分がいる。反面、暴力的刺激に熱くなっていく自分がいる。強いとされているものへの興味はなくなり、弱さの裏返しとされているものばかりに惹かれる。ようやく思春期が訪れたような気さえする。
「GOって言うから。それまでは待つ」
「んー」
馬鹿には馬鹿なりの主張があるらしく、銀鏡はそこに眉毛があったのかという場所に皺を寄せ、典型的な一重瞼の裏で最後の抵抗を睨んでみせた。だが、やがてマスクの中で細い溜め息を吐くと、
「しょうがねぇなぁ。キヨの計算はいつも
腰に手を添え、やれやれとでも言うかのように頭を左右に振る。何様のつもりだと思わないでもなく、どうせすぐに待ち切れなくなるのだろうとも予測するが、衆目の集まりやすい中野ブロードウェイ、必要のない時にはわずかでも大人しくなっていてもらうに越したことがない。
必要な時がくれば彼には存分に暴れてもらう。別に周囲の客たちを巻きこんでくれても構わない。それで通報され、逮捕されても構わない。なにせ銀鏡は、このステージのためにずっと温存しておいた駒なのだから。
「いい? あの女がやって来る。で、僕が用件を伝える。で、伝え終わったところでGOだ。わかった?」
段取りを告げると、彼はうんと答え、金髪の頭をガリガリと掻きながらガラスの向こう、まだ視線を逸らしている店員にガンを飛ばした。気の毒に思うが、いずれ銀鏡が暴れた時にはあの店員も巻きこんでしまうかも知れず、気の毒に思うだけ心の無駄遣いだと見限った。それから、再び賑賑しいゲーセンへと視線を移す。
目の前を、ふたりの地味な女が通過する。腹の座った声で、火拳のエースがどうのこうのと叫び、はしゃいでいる。
ゲーセンの前を、猫耳の女が不服そうな顔で通過する。どうやらここにはそういうサービスの店があるらしい。
デジカメをさげた外国人男性が、太った日本人女性と肩を並べて歩くのも見える。ジョジョ立ちがどうとかと訴えている。
つ。額から左の頬に向け、汗が1本のラインを引いた。熱狂したる好事家の集う中野ブロードウェイにあっては、各店舗に督促された節電の威光が却って忌忌しさを募らせる。いっそクーラーを切ってくれたほうがまだ諦めがつくというもの。
右手、親指の付け根で汗を拭う。
と──背後から、甘い香りがやって来た。
ほんの微かな風に乗っただけで周囲に原料を知らしめる、それはそれは暴力的な香り。アジアンな世界を一瞬でディズニーリゾートに変える、それはそれは革命的な香り。たったひとりで正面からクーデターを勃発させるような、無謀でありながらも挑発的で、なおかつ英雄的な香り。チェ・ゲバラが憑依したかのような香り。
シナモンである。
瞬時に左を向く。
巨大な背中と出会した。プロレスラーと比較すれば華奢なのかも知れないが、一般女性とは較べるまでもない、たぶん五輪の選手村でしかお目にかかれない非常に逞しいブレザーの背中である。
一気に緊張感が高まる。
(来た。来た。来た!)
百目鬼歌帆が、ついに来た。
ということはつまり、クライマックスがついに訪れたということである。
乾丞秀が敗れて高まった期待感、しかし微塵も動こうとしないジンの姿におぼえた落胆、ようやく動き出した高揚感、決して楽ではなかった1週間がかりのリサーチ、幹部の大隣憲次に妙案を囁いて特赦を得る優越感、優越感の
阿川の暴発は想定外だったが。
しかし、ここまでは順風満帆。
期は熟した。
あとは用件を伝えるだけである。伝え、かたわらの獣を放ち、そして高みの見物と洒落こむだけである。
ひとつだけ固唾を飲み、絵面は動いた。
「歌帆センパイ」
彼より遥かに巨大な体躯、その右隣に追いついて並ぶと、分厚い腰に手を回して呼びかけた。
歩みを止める百目鬼。
「先輩に勝利し続けている中学生クンは、今、ヒナ高のほうに招待しています。またいつものような対戦をお望みでしたら、我我から奪還する以外に方法はないかと」
穏やかな小声で耳打ち。たまにはコレで女らしさを磨け──祖父によりプレゼントされたトルコ産の香水という謎めいた噂もあるが、いずれにせよ、キツく感じていたシナモンもこうして間近で嗅げば不思議と円やかなものだった。
「本館の屋上にて
そして、絵面はもとの位置まで離れ、
「確かに伝えましたからね?」
念を入れた。
ラストの大仕事を果たす緊張感からか、その表情を確かめている余裕はなかった。
彼女はただ、ゲーセンを睨んでいる。
「あ。そうだ先輩」
広い背中に向け、絵面はこう続ける。
「ウォーミングアップはいかがでしょう。武道に準備運動は不要かも知れませんが、この先に待ち受ける者はみな、プロさえも脅かす手練ばかりですので。ある高名な武術家はこう言っていますよ、素人の持つ刃ほど憂慮したるべきものはない──と」
そして、後ろ手で銀鏡のお尻を叩いた。
「おっ? おっ? おおっ!?」
店員を脅すのに夢中だった彼、弾かれたように振り返り、絵面の右隣に並ぶ。
「余計なお世話かも知れませんが、どうか先輩のお世話をさせてください」
右で銀鏡の背中を。
「彼は、僕からの
左の指で百目鬼を。
「シロ……GOぉッ!」
馬鹿とはいえ、さすがは拳闘の百戦錬磨、一瞬にして現状を把握し、一瞬にして臨戦体勢となっていた背骨を叩いて、今、ついにクライマックス──解禁。
【 続 】
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