酒は憂いの玉箒

明神響希

上編

 ひだまり荘、共同リビングにて。電源を入れたテレビからはまた、「年末スペシャル!」という最近テレビで良く見る女優のタイトルコールが聞こえた。最近はいつでも年末、年末、騒いでいる。少し前までは赤と緑のクリスマスカラーだったショッピングモールは、いつの間にか赤と白の紅白が強調されていて。こういうのを見ると、日本人のイベント好きの具合がよくわかる。

 年末、と騒いでいるが、私達刑事にとっても大事な時期だ。そう、ボーナス。私はボーナスがなくともそこそこの収入を得ているが、若手刑事にとっては大事なようで。正月家族と過ごせるように、と大きな事件が起きなきゃ良いな、と皆が口を揃えて言う。私も勿論、その部類だ。正月は恋人の部屋か、はたまた自分の部屋か。どちらかで過ごすのだろう。まだ話題として上ってはいないが、明日にでも聞いてみようか。


 なんて、心踊らせていれば階段を降りてくる音が聞こえた。階段の方へ目を向けると、赤い髪が見えた。

「おっ、先客!」

 発せられた声は男らしく近付くにつれ鍛えられた筋肉が伺える。蓄えられた顎髭がその男らしさを強調させた。こういうのを、貫禄があると言ったりするのか。

「おん、どうも」

 首だけで小さな会釈を交わし、彼が隣に腰を下ろした。彼はテレビに目を向ければ、先程タイトルコールをしていた女優を見て口角を弛ませた。

「この娘、CMの子だろ? 可愛いよなー」

「せやな」

「.....関西人がせやな、って言う時は話聞いてない、って聞いたぞ」

 私は関西人じゃないが、とここで言っても面倒になるだけだ。そんなことあらへんでーオニイサン、とおどけて笑い声を上げる。

「ホンマか?」

「ちなみにそれ、関西人が嫌うやつですよ」

「知ってるー」

 人当たりの良さが伺える濁りがない晴れた笑い声が続いた。外見通りというか、意に反してというか。筋肉量が多いため威圧的に見えるが、こうして笑っているところは威圧なんてこれっぽちもない。


「せや、お兄さん名前は?」

 思い出した、という風に彼が口を開いた。彼の言葉は聞いていて気持ちが良い。不快感を生まない音。途切れがしっかりしていて、鮮明に耳に届く。

神酒ミキ 寿コトブキです」

「ミキ? コトブキ?」

 聞いたことない苗字と名前なのだろう。こうして聞かれることも多い。彼との間合いを詰め、手のひらを彼に見せた。

「神様の酒、って書いて神酒ミキ寿コトブキはそのまんまです」

  自分の手のひらの上で名前を書く。その字を見て、彼は明るさを灯した音で笑う。

「めでたい名前だな」

「せやろ? お気に入りなんです。で、おじさんの名前は?」

 おじさん、と呼ばれた事に目を見開き、口角が上がる。ころころと面のように変わる表現。恋人にも見習って貰いたい。

桐谷キリタニ アカシだ」

 そう告げれば、彼は先程私がしたように手のひらを天井に向ける。起伏の大きい手のひらは彼の筋肉がわかる。豆の潰れた後を見る限り、大工やエンジニア、つまりガテン系の仕事なのだろう。

キリタニトモシビって書いてアカシって読むぞ」

 指がすらすらと文字を描いた。彼も珍しい名前だ。字面だけだったら『トモシビ』とか『トウ』とか検討違いの読み方をしてしまっていたことだろう。

「似合いますなー、名前と外見が」

「お兄さんも似合ってると思うぞ」

「あんがとさん」

 回るように変わる表情。目の奥に宿る光は芯が通っていて。こうして話すのも彼となら楽しいかもしれない。会話を続けよう、と口を開くと私の喉から音が飛び出す前に電話の呼び出し音が鳴った。

「...ん? あぁ、俺か。悪りーな、ちょっと外す」

 小さく宣言すれば、彼は通話のマークを押すと同時に立ち上がった。5、6歩離れれば正確な音は届かなくなる。聞き耳を立てる、ということはしないように無理やり意識をテレビに戻した。


 横にまた、空気の震えを感じた。横には先程よりやや沈んだ顔をした彼がいた。どうしたん、と声を掛ける前に私の視線に気付いたのか彼は困ったように眉を下げて口を開いた。

「年末ってのに仕事入ってよ。休みだった筈なんだがな」

 わかりやすい原因。同情しか出来ない理由。それを表に出す前に、彼は沈んだ気を吹き飛ばすように立ち上がった。

「.....寿、お前、酒どんくらい飲める?」

「酔ったことないです。多分ザルやと思います」

 返答する。その音が彼の耳に届いたかどうか危ういところ。彼は私に背を向けると台所の方へ行く。冷蔵庫の開閉の音。金属同士とビニール同士の擦れあう音がして。戻ってきた彼の腕の中には沢山のアルコールと、その肴であるおつまみが収まっていた。


「酒は憂いの玉箒たまはたきって言うだろ!? 付き合え!」

 テーブルの上には大量の缶が並べられた。麦酒は勿論、爽快さをゴリ押ししたラベルの酎ハイ。女子が好みそうな赤やピンクの色でまとめらてたカクテル。種類と量はえげつない。

「ええですけど.....」

「あとそのかった苦しい敬語も禁止! 無礼講だ無礼講!」

 捲し立てるように私へ告げたあと、また最初の位置へ座り彼は銀色の缶を両手で持った。片方の物を私へ差し出してくる。受け取れ、ということなのだろう。断る理由もなく、受け取れば彼はまた満足気に歯を見せた。


「乾杯!」

 2つの声がリビングの天井に木霊する。こうして、行きずりの晩餐は幕を開けた。

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酒は憂いの玉箒 明神響希 @myouzinsansan

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