疾風怒濤

@aliens

第一話 鷹の目の少女

 夕暮れ時の繁華街を一人の少女がさまよっていた。彼女は能間美雪、千葉県にある日向女子高等学校に入学したばかりの高校一年生だ。


「ついてないなぁ……」


 美雪は茜色の空を見上げて溜息をつく。

 楽しいスクールライフを夢見ていた美雪だが、入学式の前日にインフルエンザに感染した時点で夢は終わった。春休みから温めていた自己紹介も無駄になった。ちなみに、こんな感じの自己紹介だ。


『みんなのハートに笑顔届ける愛の速達便、能間美雪、華麗に参上! 私が美人だからって気兼ねしないで仲良くしてね。趣味は読書です』


 素晴らしい、可愛さとユーモアに満ちた完璧な自己紹介だ。これさえ披露できていれば、今頃クラスの人気者だったはずなのに、悔やんでも悔やみきれなかった。


 だが、自己紹介できなかったことより、ずっと大きな問題がある。

 入学式の一週間後の今日、ようやく美雪が学校に登校すると、彼女の机の上に鷹のような鋭い目をした女が座っていた。

 あの時のことを思い出すと体が震える。「どいて下さい」と言おうとした美雪に、その鷹の目の少女はこう言った。


「なに睨んでんだ、殺すぞ」


 高校生活初日、初めて言われた言葉がこれである。その後のことはよく覚えていない。気付いたら終業のチャイムが鳴っていて、記念すべき登校初日は終わっていた。

 放課後は部活の見学に行こうと思っていたが、そんな気分にはなれず、美雪は逃げるように教室を飛び出し、泣きそうな顔で帰路に着いた。


 そして、道に迷って、繁華街をさまよっているというわけだ。


「なんなんだ、この仕打ちは……」


 美雪は不幸の連続に腹が立つやら、哀しいやらで、俯いて歩いていた。それがよくなかった。


「痛いなぁ、どこに目つけて歩いてんですか!」


 人にぶつかって尻餅をついた美雪は暴言を吐いてしまった、よりにもよって金髪の大男に。その大男と、彼の友人と思われる坊主頭が、ギロリと美雪を睨み付ける。


「あぁ、何言ってんだ、てめえがぶつかってきたんだろーが」


「うわぁあああああああああああああああ!」


 美雪が悲鳴を上げると、通行人は足を止め、男二人は呆然とした。


「な、何だよ、急に悲鳴なんてあげやがって」


「殺されるぅ、誰か助けて、殺されてしまうぅ!」


「そんなこと一言も言ってないだろ、ふざけんな!」


 血相を変えて近づいてくる金髪に怯え、美雪は目を閉じてしまった。


 ドンと大きな音がして、地面が微かに揺れた。


 誰かが倒れた音だ。フフ、バカな男だ。慌てたせいで転んでしまったのだろう。そのアホ面を堪能しようと美雪が目を開くと、背の高い少女の背中が視界を塞いでいた。


「何やってんだ、能間」


 日向女子高等学校の制服を着た女は、背中越しに美雪を睨む。


「あ、藍川さん」


 その女こそ、初対面の美雪に殺害予告をした藍川昴だった。


 藍川の足元には、金髪が倒れている。藍川がやったんだ。しかし、自分より大きな男をどうやって倒したのか美雪には見当もつかない。


「なんだ突然、俺達が何をしたっていうんだ!」


 坊主頭が叫ぶと、藍川はペッと唾を吐いた。


「女子高生を虐めてただろ。いいから、てめえもかかってこいよ」


「いい加減にしろ! もういい、こうなったら警察に突き出してやる!」


 坊主頭は意味不明なことを言いながら突進してきた。


 藍川は逃げない。自分の胸倉に伸びてきた男の右手を左手で掴む。さらに右手で殴るように男の胸倉を掴み、回転して美雪の方を向くと、お辞儀をするように腰を前に折り、右足を真後ろに跳ね上げる。


 次の瞬間、風を巻き上げて坊主頭が宙へ吹っ飛んだ。


 まるで竜巻だ。

 藍川に投げ飛ばされた坊主頭は、宙を一回転して、美雪の足元に背中から落下した。美雪の長い髪を、その投げが巻き起こした風が揺らす。


「何が警察に突き出してやるだよ。こっちのセリフだ、クソッタレ」


 藍川は歩道に大の字になった坊主頭にそう言い放った。


 何時の間にか周囲には人だかりができていた。その人だかりを掻き分けて、二人の警察官が駆け寄ってくる。美雪が事情を説明すると、警察官は床に倒れた男を無理に立たせて交番まで連れて行った。美雪と相川もついて行く。


 そして、交番で行われた事情聴取の結果、全ては美雪の勘違いであることが判明した。


「ちょっと待って下さい、なんで私が悪いみたいになってるんですか?」


「大体はお前が悪いだろうが、いいから謝るぞ!」


 美雪の発言に藍川は怒鳴り、一緒に謝れと命令してきた。なんで善良な市民の私が頭を下げなければならないのか、美雪は不満だったが、藍川が怖いので逆らわないことにした。


「すみませんでした、藍川さんが勘違いして投げ飛ばしちゃって」


「お前も投げ飛ばしてやろうか、クソ女。ともかく、本当にすみませんでした」


 二人がペコリと頭を下げると、金髪と坊主は気にしなくていいよと言ってくれた。これにて一件落着、警察官に注意を受けた後、二人は交番を後にした。


「ったく、とんでもない目にあったぜ……」


 そんなことを呟く藍川の顔を、美雪は不思議そうに見つめる。


「どうして助けてくれたんですか? 結果的にはいらんお節介でしたけど」 


「一言多いんだよ、てめえは。まぁ、その、なんだ、たまたま通りかかったら、お前が困ってそうだったんでな。それに、ほら、朝にとんでもないこと言っちゃったろ?」


「そうですね……なに睨んでんだ、殺すぞって言ってました」


 そんな女が自分を助けた。きっと何かあるぞ、と美雪は身構えた。


「そう、それ。てっきり他のクラスの女が喧嘩を売りに来たって思ったんだよ。すまんかったな、ヒドイこと言っちゃって」


 まさか謝られるとは思ってもみなかったので、美雪は面食らってしまった。悪魔のような女だと思っていたが、口が悪いだけなのかもしれない。


「じゃあ、俺はバスで帰るからよ。また明日な」


 駅に向かう美雪にそう言って、藍川はバス停に向かった。


「待って下さい!」


 その背中に美雪が叫ぶと、藍川は怪訝な顔で振り返った。


「大声あげんなよ、ビックリするだろ。どうかしたのか?」


「一体どうやって、男の人を投げたんですか?」


 藍川が男を投げたのは美雪にも分かる。だが、どうやったら投げられるかは分からない。


「柔道だよ」


 藍川はそう言うと、背を向けて歩き出した。その背中を、美雪は羨望の眼差しで見つめていた。その背中が人混みの向こうに消えても、美雪はそこから動けなかった。


 藍川は美雪とは正反対の女だ。勇敢で強い。きっと逃げ出したことなんて一度もない。そんな人間に美雪はなりたかった。でも、なれるはずがないと諦めていた。


「柔道か……」


 だが、藍川が巻き起こした風が、美雪の諦めを吹き飛ばしてくれた。自分もあんな風に勇敢で強い人間になりたい。いや、なってみせる。


 美雪は前を向いて歩き出す。その眼には闘志が赤く燃えていた。

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