第42話 巨人は染まる
咆哮が聞こえたのはプレグラ遺跡の南。ちょうど港町ヘリオスの方角である。
巣に戻る途中だったのか――と好都合な展開を期待したくなるが、咆哮は既に三度響いていた。その留まっている可能性は十分ある。
出来ればご退散願いたいところだ。こっちは対抗策がないわけで、足止めは出来ても撃破は困難を極める。
『……の割には、結構やる気じゃない?』
「そりゃあ俺の仕事だからな。他の誰かに任せられるわけでもなし、全力でやるに決まってるだろ」
『好きねえ、そういうの』
相棒の精霊・ヘカテに笑われながらも、やっぱり上機嫌なのは変わらない。
――これが他の誰かにも出来る仕事なら、俺は消極的だったろう。昔みたいに、他人がやってくれる、と塞ぎ込んでいたかもしれない。
だが今は違う。力を得て、痛みを感じて、少しは一人の人間になれた。自分を定められるようになった。
敵を厄介に思っても、後ろ向きな気持ちは微塵もない。
「む」
四度目の、咆哮。
聞こえたのは正面にある傾斜の向こう、俺からは死角になる場所だ。……徐々に振動は大きくなっており、ヤツが接近していることを知らせてくる。
精霊の力と、身体に宿している神器の力。双方を同時に展開しつつ、最大限の警戒を向ける。
『とにかく、足止めをすればいいのよね?』
「ああ、クレイプニルもないからな。……でもひょっとしたら、テューイが知ってるかもしれない。あるって言ってたし」
『で、それを今確認しようと、町に人が向かってるのよね?』
「正解」
遺跡に務めている人達と、短い間に決定した行動だ。
後の方針がどうなっているのかは分からない。決定し次第、使い魔を寄こすと言っていたが――それらしい生き物の姿は見当たらなかった。
『……来るわよ』
五度目になる咆哮。
しかし声は、どこか人間じみた叫びに聞こえた。近付いている所為でそう聞こえたのか、はたまた別の理由があるのかは分からない。
戦闘の用意を整える。
直後。
一気に現われた巨影に、俺もヘカテも驚きを隠せなかった。
「な――」
『ギガ―ス!? しかもでかっ!』
遺跡から十分な距離があっても、その巨躯が例外的だと察することが出来る。
町で出会ったギガ―スの倍以上。十メートルをゆうに超えた背丈で、こちらとの間合いを詰めていく。
助走から大きく踏み込んだ彼の手には、巨大な岩が。
そのまま投げる気かと思えば、少し違っている。その握力で細かく砕き、無数の弾丸に変えたのだ。
人間の感覚で言えば大量の小石を投げるようなもの。が、元のスケールが巨大なら、必殺の威力を誇る点は変わらない。
『来るわよ!』
「っ――」
轟音と共に発射される岩の弾丸。
扇状に広がったソレは、俺の背後にある遺跡を広範囲に打撃するだろう。――無論、放置しておけばの場合だが。
「神器、展開!」
自分への命令と共に、足元から複雑な模様を描いた円陣が広がっていく。せまる弾丸へ立ちはだかるように、広く、広く。
陣の到達した地面が隆起したのは、直後だった。
突き出る槍の群。無数の岩を遮り、あるいは砕く目的で、波のように湧き上がっていく。
「久々だけど上手く行った……!」
『でも本体は止められないでしょう? ほら、急ぎなさいよ』
姿なき声に急かされて、自分で作った槍の間を縫って走る。
間合いが狭まる速度は予想した以上のものだ。――巨体を持つ魔獣とは何度か戦ってきたが、ここまで人の形に近いのは初めてになる。
なので油断はせずに。自分の持てる最大限の力で歓迎して――
『オオオォォォォオオオ!』
「!?」
吠える巨人。
何をするのかと思えば、彼は自身の胸に五指を突き立てた。それも間接がすべて埋まるぐらいの深さで。
自ら、胸を裂く。
自殺行為としか思えない行動に、俺もヘカテも空いた口が塞がらなかった。
それでもギガ―スは走る。胸を血に浸して、両手を赤く染めたまま。
「?」
まだ攻撃が届く距離ではないのに、ギガ―スは血で染まった右手を振るう。付着していた血は、直前に投擲された岩と同じように飛び散った。
直後。
「剣!?」
血はまったく別の形を得る。
突然の出来事だが、もう一度神器を展開。今度はより密度を濃くして、槍を文字通りの壁とする。
何本か砕かれはしたが、無事に攻撃は防ぎ切った。
無論、本体までは防げないが。
『アアアァァァアアア!!』
「少しは落ち着け……!」
精霊ヘカテの補助を受けて、ギガ―スとの戦いが幕を上げる。
神器は絶え間なく打ち出されていく。最初にお披露目した円陣を、地上ばかりか何もない虚空に浮かべながら。
轟音さえ立てて飛来する彼らは、ギガ―スを文字通りの串刺しにしようとする。
だが止まらない。
すべて、弾かれたのだ。
「じゅ、呪縛結界!? 魔獣なのか!?」
『見りゃあわかるでしょ! っていうか、アイツがフェンリルなんじゃないの!?』
「どう考えても違うだろ! 狼じゃないし、さっき見た奴とは似ても似つかな――」
話している暇はない。
目前にまで迫ったギガ―スは、思うがままにその拳を振り下ろす。当たればペシャンコ、死ぬだけだ。
ヘカテが持つ力の一部を使って、問題なく擦り抜ける。
「っ……!」
駄目もとでの一撃は胸と狙って。ギガ―ス自ら開いた急所へと、至近距離で槍を射出する。
――結果は、空しい音が何重にも響いただけ。
即座に反撃が始まったので、俺は急いで離脱する。突出した火力と足があっても、この距離で撃ち合うのは危険だ。
「くそっ! どっか攻撃できねえのか!?」
『あるでしょ、まだ!』
「どこだよ!?」
『足場!』
言われて、イダメアが口にした遺跡の構造を思い出す。
パレーネ遺跡には地下空間があるそうだ。……そこにギガ―スを叩き落としてしまえば、深さによっては戻ってこれないだろう。足止めとしては、ある程度の信頼が持てる。
しかし問題は、その理由で遺跡を破壊していいかどうかで――
「うおっ!」
思案へ浸っている間にも、巨大なギガ―スは攻撃を続けていた。
両手に付着している血の危険性は、依然として変わらない。身体から離れた途端に武器と化し、常軌を逸した威力を叩きつけていた。
大地が抉られ、土塊がまき散らされる。剣が振ってきたの一言では、説明することが出来ない破壊力だ。
彼が標的を変えたらと思うとゾッとする。遺跡の建物は一撃で消し飛ばされ、近くに人間がいれば死傷者も出るだろう。
故に、迷っている暇はない。
「退くぞヘカテ!」
相棒に一言告げ、俺はギガ―スから後退する。
敵は迷わず追ってきた。相変わらずの猛攻ではあるが、これなら上手く誘導できる……!
パレーネ遺跡が目の前にくる。――ついでに、激怒するであろうイダメアの顔が脳裏を過ぎった。まあ諦めてもらうしかあるまいよ。
ギガ―スも遺跡の敷地内に入ってくれる。
歴史を感じさせる建造物は、暴虐の限りを尽くす
落とすのが、最優先だ。
「喰らえ……!」
十分に引き付けたところで、足元へ一斉に神器を叩き込む。
遺跡は数秒と耐えきれず、一瞬で内側の地下空間をさらけ出した。十メートルもある巨体の重みにも、当然ながら耐えることは出来ない。
『グ……!』
落ちる。
残っている足場を掴もうとしても、自然と崩れるのが当然だった。どうやら壁も近くにないようで、巨人は空へ手を伸ばしながら落ちていく。
「!?」
突如、俺の足元から剣が突き出てきた。
ギガ―スがまき散らした血だ。何食わぬ顔で残っている敵を、道連れにしようと放って来たんだろう。
一撃では終わらない。次から次へと、剣は地面を貫通する。
「あぶね……っ」
見えていないだろうに、その投擲は正確だった。
ギガ―スの落ちた穴から迷わず距離を取っていくが、追撃が止む気配はない。地上の状況を知らせる連絡役でもいるのか?
遺跡の被害は拡散する一方。俺達が調査をした建物も、何件か破壊されてしまっている。
そして、ついに。
「く……」
避難するより早く、広い範囲で遺跡が崩れ落ちる。
消えた足場の向こうにはギガ―スの姿と、既に発射されている無数の剣。――飛行能力を持たない俺には、打ち落とすしか術がない。
だからそうした。
轟音を響かせる中、数十メートルの深淵へと落ちていく。……抵抗する方法はない。このまま、眼下にいるギガ―スと戦うしか――
『おっと』
「ぐえっ!?」
横から突然、何かの力でさらわれた。
ロキだ。崩落しかかっている足場から慎重に腕を伸ばして、俺をすくい上げてくれたらしい。
『では急ぐか。私の体重では、ここも数刻と持つまい』
「し、下のギガ―スはどうします?」
『奴なら心配あるまい、ここの地下空間は数百メートルの深みを持つからな。……といっても、時間を置けば脱出してくる。早々に遺跡を離れるべきだ』
喋りながらも、ロキは俺達の作った大穴から逃げていく。ぶち抜いてくる血の剣も相変わらずだ。
「み、ミコトさん! い、一体何、が……」
騒動を聞きつけてきたイダメアは、茫然自失の体で被害を見つめる。……一応全壊はしていないんだが、衝撃の大きさは言うまでもあるまい。
ともあれ長居は無用。全員がロキの身体へ乗って、移動を開始する。
「あ、ああ、あ……遺跡が……」
イダメアは最後まで、崩れたパレーネ遺跡を見つめていた。
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