異世界を守るために必須の古文書は日本語だった!?

軌跡

エピソード1

序章 新天地、セプテム帝国

第1話 生きるため

「くそっ! しつこい奴らだな……!」


 傷だらけの身体を酷使して、森の中を駆けていく。


 痛みを訴えない部分はどこにもない。裂傷、打撲、骨折――満身創痍と言っても過言ではない。左目も大きな切り傷が入っており、視界そのものが断たれていた。


 諦めた方が、きっと楽。敵は直ぐにでも俺を殺してくれるだろう。


「っ……!」


 でもそんな弱音は、頭の隅に蹴り飛ばす。

 雑念に気を取られていたら、後ろにいる少女を助け出すことなんて出来ない。


「ぐっ!」


 突然、掴んでいた手が離れてしまう。


 どうも彼女が転んでしまったらしい。度重なる拷問で破けた服も、いっそう酷いことになってしまった。


「立てるか?」


「は、はい……」


 振り返って手を伸ばした先には、金髪の少女。


 髪も肌も汚れきっているが、それでも生来の美貌は健在している。……真っ当な精神の持ち主なら、きっと助け出したいとも願うだろう。


 そして俺は、その衝動に身を任せた。


「……ミコトさん、もう私のことは放っておいてください」


「な――」


 彼女は俺の手を掴まない。気力を失った目で、淡々と生きるための方法を口にする。


「もとより私は囚われの身、死ぬ覚悟は出来ております。ですが貴方は――」


「そんな言い訳はもう飽きたぞ! いいからほら、立て! 君にだって戻りたい国があるんだろ!?」


「ですが――」


 彼女の向こう側、追手の気配が強くなる。


 承諾を待たず、俺は彼女を抱き上げた。……このままじゃ二人揃って殺されると分かっていても、今は逃げることしか考えられない。


 助けようと思ったから。


 この世界に来て初めて、誰かの役に立てると信じたから。



―――――――――



 きっかけは、数日前のことだった。


「今日から貴様に、捕虜の警備を命じる」


 いけすかない声が、いつものように断言してくる。


 俺はいつものように生返事。……意見したところで、こちらの考えが尊重されることはない。彼らにとって、俺は奴隷でしかないのだから。


 目の前にいる痩せ気味の男に従って、冷たい地下へと降りていく。


 牢獄が並んでいる部屋の入り口には、軽く武装した男が二人立っている。――彼らは俺の前にいる男へ恭しく礼をするが、こちらに対しては何もしない。これ見よがしに舌打ちするだけだった。


「……アニュトス様、捕虜とはどのような人物ですか?」


「ふん、下らん質問だな。その目は何のためにある? ああ?」


「――失礼しました」


 分かり切っていたことだけど、やはり頭に来る対応だった。


 アニュトスは俺を一度睨んでから、奥の牢獄へと向かっていく。辺りには血の臭い。他の牢獄を覗いてみると、血塗れの男達が何人もいた。


 これから俺が見張る人物も、遠からず同じ目に遭うんだろうか。あるいは、もう――


「ここだ。ここにいる女を見張れ」


「女……?」


 想定していなかった言葉に驚きながら、俺は鉄格子の向こうを覗き込む。


 ……そこには薄暗い闇しかない。なのに一瞬、光があるように感じてしまった。

 理由は捕虜の髪にあるんだろう。人のモノとは思えない、金箔で塗られたような見事な金髪だった。


 肌は雪のように白く、気易く触れることを躊躇わせる。……もし町で見かければ、十人中十人が振り向くような美少女だった。


 でも、そのお陰で。

 肌に刻まれた痣と切り傷が、目を逸らしたくなるほど痛々しい。


「……」


 牢の中にはベッドなどあろうはずもなく、彼女は床に座ったまま。瞳も閉じており、生きている気配を感じさせない。


「おい、帝国人!」


 アニュトスは苛立ち紛れに怒鳴りつける。

 金髪の美少女は気だるそうに目蓋を開けた。やや鋭い眼光が俺達を睨む。


 情けないことに、アニュトスはそれだけで怯えていた。……きっと彼女に余裕があれば、視線一つでこの小物は悲鳴を上げたかもしれない。


「い、いいか!? これから王国最強の魔術師が見張りにつく! 逃げようなどとは考えるなよ!?」


「……」


「ちっ、何だその生意気な目は! ……まあいい。おいミコト、この女を絶対に殺すなよ? 奴隷の貴様より格下の存在ではあるが、重要な情報を握っているんだからな」


「――了解です」


 最後に唾を吹きかけて、アニュトスは地下牢から去っていった。


 彼の蛮行に嘆息しつつ、俺は改めて金髪の少女を見る。……なんだか、ひどく嫌な気分だ。自分たちよりもずっと価値のある存在へ、泥を投げ付けているような。


「……なあ、君」


「――」


 少女は答えない。

 それでも俺は勝手に話を続ける。自分の中にある、訳の分からない感情へ従いながら。


「ここからさ、出たくないか?」


「!?」


「帝国だっけ? そっちまでは俺が責任を持って送り届ける。これでも腕っ節には自信あるんだ」


「……何を言っておられるのですか?」


 初めて聞いた彼女の声。どこまでも透き通る美声で、嘘や偽りを許さない力強さも秘めている。


「知っていますよ、貴方は王国でも有数の魔術師だと。……その栄光に背を向けてまで、私を助ける理由があるとは思えませんが」


「でも聞こえたろ? 俺、奴隷みたいなもんなんだ」


「……王国の意のままに扱われている、ということですか?」


「そう。だからさ、こんな国とっとと出ていきたいんだよ。まあ一人でやれって話なんだろうけど、逃げた後どうすんだ、って不安があったからさ」


「その不安解消に私を利用すると?」


「……まあ、そういう言い方もあるな」


 直後。

 彼女の眼差しが、より厳しいものに変わっていた。


「ふざけないでください。それが貴方がたの罠である可能性もある。……だいいち貴方は、王国により異世界から呼び出され、力を与えられた存在でしょう? 感謝の念はないのですか?」


「そりゃあ、あるけどさ……おこがましい連中だぞ? 従うのは当たり前だって、いつも偉そうに言ってくる。人のことを奴隷呼ばわりまでして、散々だ」


「……故に、しっぺ返しをしてやりたいと?」


 頷くしかない指摘だった。


 しかし他にも理由はある。それを示すため、俺は一度かぶりを振った。


「君を助けたいんだ」


「――は?」


「いやだから、君を家族の元に返したい。このままこんな場所で死ぬなんて御免だろ?」


「それは……」


「だったらさ、俺に一度チャンスくれないか? ああいや、二度目なんて無いんだろうけど。失敗したらあの世行きだろうからな」


「――」


 刃のようだった視線は一転、唖然としたまま固まっている。


「……目的は何ですか? 私を助けることで得る、貴方の利益は?」


「連中の顔に泥を――って、聞いてきたからには、これ以外の理由だよな? それなら――」


「それなら?」


「一度でいいから、自分の好きなことをやりたい」


「……今まで無かったのですか?」


「ああ、無かったよ。こっちに来る前はどこにでもいる子供だったからな。まあこっちに来たって自由にはなれなかったんだが」


「……」


 少女は沈黙を選んだものの、真剣な表情で俺を見ている。

 期待していいのかどうかは分からない。断られたら断られたで、俺のくだらない日常が続くだけだ。


 死なないけど、生きていると胸を張ることも出来ない日常が。

 

 とすれば俺にとって、この少女は女神様かもしれない。

 理由を与えてくれる存在。宣言したことを成すことが出来れば、初めて生きている実感を与えてくれる人。


「分かりました」


 今度こそ、物語の幕を開ける言葉。


「私はイダメアと申します。――帝国まで、どうかよろしくお願いします」


「――ああ!」


 戦いが始まる。

 自分の足で、道を進むための戦いが。

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