21 『猫』の狂宴

 今宵は新月だ。プリンシパル・シティの明かりもほとんど消え失せて、町は静まり返っていた。

 その中を、蠢く影が一つ。

 人間業とは思えないような動きで、人影が建物の合間をすり抜けていく。一人、また一人と軽やかに屋根へと上っていった。

 『猫』達は、屋根の上に集まった。暗闇に爛々とした目が光る。町も人も寝静まった真夜中は、彼らの時間だ。

 いま、『猫』の狂宴が始まる。

「シャム」

 ロシが小さく合図して、シャムがタンと屋根を蹴る。次の瞬間、シャムは庁舎の屋根の上に飛び移っていた。手招きをして、ロシが続く。

 ロープを固定して、二人は視線を合わせた。そして同時に屋根から飛び出した。

 音もなく窓のすぐ傍で止まると、シャムは腰につけたポーチから小さな器具を取り出して窓に宛がう。キィと耳障りな音を立ててその器具を回すと、ガラスの窓に綺麗な穴が開いた。

 シャムはそこから手を突っ込み、窓の鍵を外した。ここで通常ならば警報機がけたたましい音を上げるはずだ。だが『猫』のメンバーが遠隔操作でそのシステムを切っている。

 ガラスが割れたことで誰かが来そうなものだが、深夜の庁舎。無人なことは確認済みだ。

 まんまと進入が成功した二人は、ロープを回収してそっと部屋を出た。

 シャムとロシは腰につけたポーチからブルーライトを取り出した。二人は視界の悪い廊下を、迷いのない足取りで進む。目指すは市長室。そこに今回狙う物、薬品があるはずだ。プリンシパル・シティの上水道に混ぜれば僅か一滴で人を死に至らしめる薬品。

 それが市長の手中にあるという情報を持ってきたのはペルシャだった。いつもいつも、こういった重要な任務はペルシャが持ってくる。ボスを疑う訳ではないが、シャムにはそのソースが気になっていた。シティの内部まで入り込んでいないと分からないような情報ばかりだ。

「シャム、余計なこと考えてんなよ」

 押し殺した声にどきりとした。先を行くロシがこちらを振り返らないまま言った。

「俺だってペルシャを全面的に信用してる訳じゃない。隠し事があるのは分かってる。トップってのはそういうモンだろ? だけど、拾ってもらった恩がある。いざという時は自分を優先するけど、今はそのときじゃない」

 右腕・左腕と両極の位置にいるけれど、やはり一番信用の置ける相手。片方が迷ったときにはもう片方が道標になってくれる。

 今までだってそうだったことを思い出し、シャムは口の端を上げた。

「分かってらぁ」

「どうだが」

 前からも笑いを堪える雰囲気があった。

 まだ、大丈夫だ。

 そう思い直したシャムは、相棒と二人、暗い廊下を進んで行く。

 市長室の扉を開けても警報はならなかった。『猫』の確かな仕事に感心させられる。シャムは思わず口の端を上げた。

 二人は部屋の奥に置かれていた机へと近づく。ペルシャがどこからか手に入れてきた情報によると、この引き出しに問題の薬品が入っているそうだ。

「飼い猫に手を噛まれるとはな」

 背後から響いた低い声に、シャムとロシは素早く振り返り身構えた。相手を認識する。

 そこにいたのは、壮齢に差し掛かったと見える男だった。高級そうなスーツを着込み、オールバックにまとめた髪には白いものが混じっていた。

「プリズン・シティ……市長か?」

 低く唸ったシャムに、ロシははっとした。男の目元はどこかヒメに似通っていた。

「半分正解で半分不正解だ。ここはプリンシパル・シティ、間違えるな」

 真面目くさった顔で言う市長に、シャムははっと笑った。

「笑わせるな。なにが『特別都市プリンシパル・シティ』だ。『監獄都市プリスン・シティ』で充分だろ」

 市長は表情を変えない。訂正しておきながら、それを否定されても構わないかのようだ。

「君たちの狙いはこれだろう?」

 市長は内ポケットから小瓶を取り出した。シャム達はざわっと背筋を逆立てた。それこそが『猫』が求めていたものだった。

「……渡してもらおうか」

 シャムは挑戦的な笑みを浮かべた。断ればどうなるか、その表情だけで察することができる。伊達に『猫』でリーダーの片腕を務めているわけではない。

「嫌だと言ったら?」

 だがそれに怯むことなく市長は挑発を仕返した。

「力ずくで奪うだけだ!」

 シャムは地を蹴った。

 振りかぶった拳を、市長は難なく受け止める。デスクワークばかりで腕力など皆無だろうと思っていたシャムは、軽く目を見開く。

 市長の口元が小さく弧を描いたように見えた。次の瞬間にはシャムの眼前に市長の右の拳が迫っていた。シャムは寸前でそれをかわす。

「シャム!」

 ロシの短い呼び声に、シャムは一歩下がる。ロシの蹴りが市長を打つかと思われたが、それも市長はするりとかわした。そしてロシの脇腹に蹴りを叩き込む。それをまともに喰らったロシは壁まで飛んでいき、思いっきり背中を打ってずるずるとへたり込んだ。

「てめぇ!!」

 シャムが吼える。次の瞬間には市長の顔に拳を打ち込んでいた。が、市長はそれを見切っていたようで、左腕で軽々と受け止めた。シャムはすかさず蹴りを入れようとしたが、市長はそれすらも見越していた。

 市長が放った一撃が、シャムの鳩尾に正確に入った。シャムはかはっと胃液を吐き出して床に倒れる。

「呆気ないな。これがあいつの育てた子らか」

 二人は答えることができない。こうもあっさりやられてしまったことが、二人とも信じられなかった。

 コツリ、と靴音が響いた。

「久しいな」

 入り口に立っていたのは、ペルシャだった。市長がぴくりと眉を上げる。

 ペルシャと市長の視線が絡み合った。

 先に口を開いたのはペルシャだった。

「老けたな」

「それはお互い様だろう」

 市長は不愉快そうに返す。

 この状況はなんなのか。ペルシャと市長はまるで知り合いかなにかのように、会話を交わしている。

 疑問符を浮かべるシャムとロシに、ペルシャはちらりと視線をやった。

「二人ともよくやった。立てるか? あとは俺に任せろ」

 そう言われても、はいそうですかと頷ける二人ではない。案の定、噛みついた。

「なんだよそれ! やっぱペルシャは市長とつるんでたのか!?」

「ペルシャ、いったいどういうことなの?」

 二人の鋭い視線に晒されても、ペルシャの表情は揺るがない。沈黙が流れた。

 均衡を崩したのは『猫』ではなかった。小さなため息が部屋に響く。

「話してやればいいじゃないか。仲間なんだろ」

 低く響くその声は、市長のものだった。

「はっ! お前の口から『仲間』なんて言葉が出てくるとはな。……いいだろう。お前らには話してやろう。お前らの見立てどおり、俺と周蔵……市長は前々から繋がりがあった。察しのとおり、プリンシパル・シティの情報はこいつから得ていたんだな。だがそれは『猫』を裏切っていたわけではない。市長が我らに協力していたんだ」

 シャムとロシの表情が明らかに変わった。ずっとシティと『猫』は敵対していたはずだ。思いも寄らなかった事実に、二人は確実に動揺していた。

「だが周蔵はとんでもないことを仕出かそうとしててな」

「それがその薬ってわけか」

 ペルシャの言葉をシャムが引き継いだ。ご名答、とばかりにペルシャは頷く。

「まさかお前にそれが漏れてるとは思わなかったよ。だが残念だったな。薬はここにはない」

 シャムとロシが一斉に市長へ視線を向けた。市長があっさりと手放した小瓶は、固い床に当たって砕けた。ダミーに踊らされていたことに、シャムもロシもぎりっと歯軋りする。

 市長は三対一と不利な状況に置かれているにも関わらず、余裕たっぷりな笑みを浮かべていた。

「こっちも漏れとったとはなぁ」

「お前の考えなどお見通しさ。どれだけ一緒にいたと思ってるんだ」

 今となってはもう、別々の世界で過ごした時間の方が長くなってしまっていた。しかし心を許した相手は互いしかいない。その事実にペルシャは小さく眉を顰めた。

「じゃあ渡してもらおうか」

「私が黙って渡すと思うかい?」

 構えたペルシャと市長に、シャムとロシは立ち上がることもできない。この二人の強さは別格だ。下手に手を出したらこっちが怪我するだろう。

「シャム、ロシ、行け」

 そんな二人にペルシャは命じたのは短い言葉だった。

「わざわざ大将がお出ましなんだ。ブツはここにある。探せ」

 正直、完全にペルシャのことを信用できた訳ではない。だけど今まで見てきたペルシャの全てが嘘ではなかった。今はそれを信じるしかない。二人は立ち上がった。

「おっと、逃がさないよ?」

 市長は胸ポケットからなにやらリモコンを取り出すと、そのボタンを押した。カチリ、と音が鳴って、勢いよくシャッターが降りてきた。

「シャム! ロシ!」

「お前の相手は私だよ」

 二人の方へ駆け寄ろうとしたペルシャの前に、市長が立ち塞がる。ペルシャはくっと足を止めた。

「ここで決着をつけようじゃないか」

 市長は不敵な笑みを浮かべている。

 ペルシャは険しい表情を浮かべた。

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