第23話 カレからのtelephoneメッセージ

*23*


「萌美、随分残しているわね。あの子の大好きな豚肉なのに。どうしたのかしら」

「苛められているわけじゃなさそうだよ、ママ。あとで食べるって言うよ」

「そうね……」

ママが椅子を立って、一枚も食べられなかった豚肉にラップをする音。


 とぼとぼと階段を上がるときの会話が耳に届いたけれど、萌美のしょんぼり雨雲は家に帰っても、好物の豚のショウガ焼きを目にしても霽れる機会はなく。



 ――ぼすっ。



 ベッドにうつぶせで倒れ込んだ。音が大きく部屋に響く。「うっ」と胸を押さえながらごろごろ転がって、壁にぶつかった。


「痛いよぉ……あ、いたいよぉ……っ!」


 泣きじゃくってスマホのキーホルダーを引っ張ってグスグス言いながら画面を確認するけれど、異常なし。


「メッセージもくれないんだ! けち! けちけちけちけち。……ううん、判ってるよ」


 頭では判っているけれど、一人になると寂しすぎて。


(蓼丸の携帯番号、なんで聞いておかなかったんだろ……マコなんかどーでもいい。いや、良くないけど、でも、聞いたら絶対かけて、お邪魔をするに決まってる)


 気晴らしに枕元の漫画雑誌を開いたけれど、同じ制服を着た二人が笑い合ってて、オマケに「幼なじみ」の文字。むかついて閉じた。


 ――いいですね。お幸せで。彼氏、普通の生徒ですものね。幼なじみですか。ふーん。


 コチコチコチコチ。

 うつぶせになったまま、萌美はじっと動かず、部屋の時間が過ぎていった。


 中間考査が近いから、勉強しないといけないのに。それに昨日買ったばかりの買い物たちもまだ部屋に並べていないし、ごはんだってもっと食べたかった。


 すべてのやり方を覚えているのに、動けない。

〝やまんば〟の和泉の言葉を思いだして、萌美は顔を生まれたての子猫のように、布団に押しつけた。両眼からじわっと水滴が出て、シーツを濡らしていく。


「勉強、しなきゃ……」と起き上がったところで、スマホが動いた気がした。が、気のせいだとハンドタオルを取り出して、「サル」の絵柄に顔を顰めた。


(完全やる気ない。このまま生徒会総会が終わるまでこうしてようかな)と不可能な事項を想い描いて――、とまたベッドが小さく震動した。メールかと思ったが、長い。もしや、と思って出て見ると――……。


『桃原萌美さんの携帯ですか?』とあきらかに営業の男の人。(うんざり)と「用ないです」と切ろうとしたら


『ちょっと待て? よそ行きで喋ったから、判らないとか?』と含み笑いがした。


『女子の部屋に、夜に電話はどうかと思ったんだけど、杜野から聞いて』


 がばっと萌美は起き上がってスマホを握りしめて叫んだ。


「ど、どうしてあたしの番号知ってんの――っ!」


『杜野が涼風に聞いて、俺に』


 蓼丸リスペクターズが動いたらしい。蓼丸は「焦ったよ」といつもの口調になった。


『杜野が「桃原が凹んで死にそうです」とか俺に言うから、本当は逢いに行きたいんだけど、こっちは地獄でね。生徒総会の段取りが合わないし、選挙管理委員会は矢の催促だし。やっと帰ってきたところでね。声だけでもいい?』


「たでまるぅ……」


 ぼたぼたと涙が唇を伝わった。


(神さま、イイコにしていたから、蓼丸に電話貰えるようにしてくれたのかな)


『悪いな。桃カレ失格』

「うふふ。そんなことない」


 ぐ~っと腹が鳴り出した。(蓼丸と電話中!)と言い聞かせて、ごろんと横になって、目の前の鏡のやまんば状態に櫛を手に取った。


「頑張ってるんだなぁって判ってるんだけど、こんなに逢えないと忘れられそうで」


『いや、俺は桃原のカレだから』


 初日の言い間違いにぼふっと顔から蒸気が噴き出た。


『泣き止んだか? 王女様』


(あ、眼帯外しているな)とバクバクドキムネのドキドキムネムネ……ともかく、一人オーケストラのジャーン! のシンバルが震え出すように、全身の血が廻り始めた。


「蓼丸、眼帯外してない? あ、たしの心臓転がっちゃうから」


 電話の向こうは、無言だ。やがてわさわさ、と音がして、蓼丸は普通の声音に戻り始めた。


『生徒会なんだけど、どうしても杜野と涼風は当選させたいんだ。とはいえ、何も出来ないから、杜野から桃原が涼風を応援するって聞いて、嬉しかった。生徒会は結構複雑な組織で、心のおけない二人がいると、俺もちょっとは気が休まる』


 杜野の言っていた通りだ。杜野は言っていた。萌美の頑張りは、涼風を押し上げて、蓼丸を助けるって。


 ――そっかぁ……ねえ、蓼丸。人と人って、本当、助け合いだね。うん。


(あたしは寂しいなんて泣いてないで、涼風と書いた鉢巻き撒いて、みんなにマコの良さを伝えること! 雫と相談できるかな)


『ただ……試練があるんだけど』


「試練ってなぁに?」とヘアスプレーを吹っかけながら、萌美は静かに聞いた。


『ああ』と蓼丸は話したく様子で。(んんん?)と思っていると、『泣くかも』の一言。


「泣かない! あたし、今から「涼風応援団つくって、みんなに票をお願いして廻る」


『それ、選挙違反。桃原たちの監査の二人は厳しいから……まあ、俺のせいなんだが』


 放課後出逢った選挙管理委員会の二名を思い浮かべた。


 宮城滝一と和泉椿。秒単位で動くアンドロイド監査ズ。


「蓼丸のせいって?」

『俺が現行の役員だからだ。先日の健康診断の一件で、密やかに桃原と俺の交際がばれてて、報道部を締め上げて片付けはしたんだけど、宮城たちは勘づいたらしくてね。選挙管理委員会の中でも、涼風に関しては、一番厳しい結果が出ている』


 ――また、マコ!

「マコ、何やったの?」


『何も。ただ、杜野は俺の手下っぽいし、その涼風と桃原は幼なじみで、俺と付き合っているとなれば問題はダンゴだ。一辺倒にならないよう、不正が出ないよう、あちらさんも必死。なので……桃原、選挙が終わるまで一緒にはいられないわけで』


 たとえれば、稲妻が頭の天辺に落雷した感じで。


「やだー!」『やだじゃない』「やだよ! 蓼丸、生徒会なんか辞めちゃってよ! 漫画のみんな、幸せそうなのに! なんで寂しい想い……」


 萌美は足をジタバタさせて、ピタリと止めた。


(違う、そうじゃない。ジタバタなんかしてる場合じゃない。またそうやって口からぽんぽん我が儘したら蓼丸は)


『わかった』

(ほら! キスで懲りたでしょう! 優しいから判ったって言っちゃうんだって)

『目、閉じろ。我が儘王女様』


 ――うん?


 ぎゅっと目を閉じると、ふっと吐息がするが判った。近くにいると変わらない。耳の近くの蓼丸の妖精がちゃんと言葉を届けてくれる。


『――……*』


 どわあっとスマホを放り投げて、慌ててキャッチした。


『ハイ、聞こえたか? けっこー恥ずかしいな、これ。二度とやらん』


 ぼぼぼぼぼお~と頬を今度は火事にしながら、萌美は涙顔を上げた。


 スイッチが入った感じ。ゆっくりと丸まったままの心も伸びてハートに戻るような。


「うん! 今の蓼丸の恥ずかしいちゅー想い出しながらなら、頑張れる! 蓼丸! あたしやること出来た! 切るね。ごはんも食べてなかったの。でも、もう大丈夫!」


 蓼丸は嬉しそうに「そっか」と声を和らげ、後ろで「兄貴、メシ!」と弟らしき声がした。「俺はカノジョと電話中です」と言い返す声。「諒兄、一緒に食べようよ」と女子の声。


『あー、ハイハイ。じゃあ、桃原、しっかり涼風の応援しろよ』


「任せてよ! 蹴り飛ばし慣れたお尻蹴って、生徒会に送り込むから!」


(弟さんと妹さんがいるんだ……)とほんのちょっとのプライベートの覗き見が嬉しくて、幸せな気分で「がんばろね!」の言葉で電話を切って5分後――。



『おう、桃。俺の声聞きたくなった? 俺んち今日サンマだぜ~。でもお袋が大根下ろし』



 暢気な声をぶっ飛ばすようにスマホに大声を叩き込んだ。


「あんた、絶対生徒会入ってよね! あたし、力一杯押し上げたる! いい? そのサルっぽい足でしっかり蓼丸助けてやってよね! また明日! 作戦練ろ!」


『は? 応援? 俺何も聞いてな……』


 一人蚊帳の外だったサルこと涼風への喝入れも終わらせて、立ち上がった。


「がーんばーるぞー!」


 途端に「そろそろいいですか」と胃腸からの催促。


(うん、空腹なんか忘れちゃってたけど、食べて、チカラつけて頑張らなきゃ)


 やまんばなんて、お馬鹿ちゃんなんて言わせない。


「ママー! さっきのショウガ焼きまだある? これから食べる!」


勢いよく階段を駆け下りた。

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