第18話 キスは、決して乱暴にお願いするものじゃない
*18*
「コロッケパン! 二個お待ち!」
「クリームパンは売り切れたよ!」
「ホットドッグあと2つ! カツサンド? もうないよ!」
おばちゃんが二人、生徒をてきぱきと追い払っている。
「雫、無理じゃない?」
雫はふん、とばかりに仁王立ちになって、短いスカートからはみ出たニーソの足をだん、と開いた。
「噂には聞いていたけど。しゃーない。泣いてるあんたのためだ。バレー部のしごき、舐めんな。桃、何が欲しい? 桃」
「……ホットドッグ。蓼丸と食べたい。あと蓼丸が大好きなメロンパン」
「却下! おばちゃん、適当にそこの残り3つ詰めて! おかずパンもうないの?!」
雫はバレー部の時の声を張り上げて、詰めかけた生徒の渦に飛び込んだ。何とも勇ましい友達だと思って眺めていたら、ショーケースの横で蓼丸を見かけた。
「あっ……」
しかし蓼丸は萌美を見たはずが、ふいっと背中を向けてしまう。
「待って!」
泣きそうになって追いかけようとしたけれど、運動部の先輩たちの壁に阻まれて、あっというまに見えなくなった。
まるで生徒たちが石の壁のように冷たい。がやがやと壁が消えた後に、蓼丸の長身は見当たらなくて。
(いなく、なっちゃった……)としょんぼりしたところで、腕を引かれた。蓼丸だった。
「蓼丸! あれ? さっき、そこにいたのに」
「後ろを廻ったんだよ。購買の渦に飛び込んだら、桃原は小さすぎて助けられないから。放課後は来週の「生徒総会」準備で帰れないからね。探してたんだ」
「探してた?」
(こんなお馬鹿さんを? 八つ当たり、したよ?)
「俺、待ってたんだけど、急患が出て付き添ってた。生徒会役員はこき使われるからね」
(待ってた? こんなお馬鹿……そうだ、この人はこういう人だった。絶対に人を怨んだりしないの。マコのことだって、大切にしてるの)
オトナ、だな……。幼稚園児がワーワーしてごめんね蓼丸。一丁前に恋なんかもしちゃって。
ぼーっと見ていると、蓼丸は「なに?」と首を傾げて「おいで」と萌美を廊下の窓に誘った。
腕を窓に掛けて、桜並木を直視する。可愛い桃色も段々凛々しい緑に変わる、4月の午後。
「桜ももう終わり。桃原が「カレになって!」からもうすぐ一ヶ月。何事かと思ったよ。フフ、想い出すと胸が温かくなるな」
気にしているのか、誤魔化そうとしているのか。蓼丸の眼帯側からは顔色は読み取れない。ただ、萌美はなかったことにはしないでほしい、と思った。喧嘩をなかったことにするなら、はっきり怒って欲しい。好きだから。ちゃんと、向かい合って欲しい。
(まず、お馬鹿さんは謝ろうよ)思いっきり頭を下げた。
「蓼丸、あの……ごめんなさいっ。や、八つ当たっちゃった」
きょと、とした視線。謝らせて貰うんだからっと顔を上げた時、眼の端にふっと微笑んで親指を出し、踵を返した雫の後姿が見えた。
ブ、ブーと鳴ったスマホには「放課後、おやつあるよ。お菓子パンいっぱいだぞ」優しいお友達だ。
「だれ? 涼風?」
「違うよ。雫美香ちゃん。さっきの委員長だった子で、あたしの親友なんだ」
「ああ、やけに落ち着いてた。バレー部だったか。新入生にしては筋がいいって」
「えへ。そうなんだよっ。中学でも格好良くてね! あ、蓼丸は一番だよ? オトナで格好良くて、あたしには勿体ない」
「それは買いかぶりすぎ」と蓼丸は耳を赤くして、「俺も大人の振り、出来てないな」と独りごちた。
「カッとなったからな。桃原が謝る必要はない。だってそうだろう? キス、横取りされるなんて思わなかった。涼風が本気なら、俺も本気で行かなきゃならない」
また腹の中で虫がむくりと起き上がった。イライラピリピリ虫。
「享受なんて言い出したの、蓼丸じゃん。恋は戦いなんだよ!」
ほら、また怒る。桃原萌美のおこりんぼ。いばっちゃってなにさ。自己ツッコミしたけれど、このほうがいい。
「恋は戦い……な」
「蓼丸には嘘はつかない! あたしは、蓼丸に……」
「こっちきて」
ぐいっと手を引かれて、階段の踊り場に連れて行かれた。蓼丸は踊り場の下から、辺りを見回すと、念の為、とまた階段を下がった。
「二年、三年の教室に近くなると、ややこしいから。神部やら、織田やらね」
「蓼丸、お兄さんたちに好かれてるから」
「どこが」蓼丸はは、と肩を落とすと、パンを下げた袋を置いた。
「取りあえず、さっきの八つ当たりのお返しする」と萌美の両肩を大きな手でぎゅっと掴むと吐息がかかる距離で静止した。
「桃原。目を閉じてくれないと」
顔を傾けるような素振りをして、動きを止めた。と思うと、一気に唇を押しつけられた。
望んでいたとおりになっているけれど、蓼丸との初めてなのに。こんなの、いやだ。
八つ当たりのお返しになっちゃったのは、萌美が八つ当たったからだ。幸せなキスをくれようとした蓼丸の気持ちを受け止めてあげられなかった。
「うっく」
階段の壁に押しつけられたまま、萌美は唇を震わせて、ぎゅっと双眸を強く閉じた。
「ホラ見ろ。だから、嫌だったんだ。でも、「キス出来ない蓼丸が悪い」と言われたら、こう為らざるを得ない。あの時、桃原が言いたかった言葉は分かった。「涼風にちゅーされたんだから、蓼丸もして。蓼丸がしてくれないから」……違うだろ?」
大きい手で頬を撫でられて、うっくうっく、と嗚咽を増やした。
心のどんよりは無くなったけれど、今度は世界が霞んで歪む。幸せなキスにはほど遠い。
「ごめんなさい」
ぽふ、と蓼丸は小さい萌美の頭を抱き寄せた。
「涼風だって、必死なんだ。桃原が好きだから」
「知ってるもん……」
「冷たくして、ごめんな。俺、やはりそういうキャラじゃない。それに、桃原、平然と俺に初めて逢ったような素振りしてるけど、覚えてるから」
――え?
泣いたカラスが目を見開くと、蓼丸は照れたように、あどけない笑い顔を見せた。
「中学の時、ウチの学校に忍び込んだ女子グループがいてね。その都度先生に追い立てられて逃げながらも、何度も何度も振り返って、前髪を抑えてずっこけた女の子とか」
(うぎゃ!)
萌美はあたふた言い訳をした。
「あ、あれ、あれは! みんなでイケメン見に行こうって。蓼丸有名だったから。眼帯なんかしてるんだもん。でも、手、振ってくれたよね」
片眼を細めて、蓼丸はにーこり、と首を傾けた。
「うん。で、告白間違えた時に、(ああ、あの子だ)って思って可笑しかった。桃原」
「ん」
「追いかけて来てくれたんだな」
座って目線を同じくして、丸い頭を撫でられた。「ん」と微かな吐息と同時に顔を傾けられて目を閉じる。冷たい唇が触れた瞬間、(あたし、馬鹿だ)と涙が零れた。
蓼丸は、優しい。キスは、決して乱暴にお願いするものじゃない。
誰かが先とか。涼風に負けたとか。そんなものは要らなくて。
「うん、いまのキス、好き!」
「そう?」と蓼丸は笑いを噛み殺している風で。
ほらね。
お互いの気持ちを交換して、体の部分で、心を確かめ合う第1歩なんだって――。
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