第11話 あたしだけを見て欲しい!

*11*


「すげーんだよ! 神部先輩」


 屋上でホットドッグ片手に二条は口元をケチャップ塗れにして、いかに神部が素晴らしいかを力説した。


「神部先輩?」と聞き返すと、二条はホットドッグにかぶりつき「おお」と親指を出して見せた。


「神部雅人。篠笹報道部名誉部長!」


「名誉も何も。昨年報道部は活動停止喰らってるけどな」蓼丸がメロンパンを千切りはじめた。さっきはホットドッグ食べていたのに、二個目。


「いや、ちょー。リスペクト! 廃部の上から「営業中!」と張り紙して、カメラを構えて……やっぱジャーナリストは生徒会に負けちゃだめなんだよ。蓼丸さん」


「勝手にやればいい。職員室のスクープされた教師たちには同情する」


「おおおお! リスペクト――っ!」何度も「リスペクト」の言葉を繰り返す。


(そういえば、マコと杜野も言ってる。蓼丸さんリスペクトって。男の子ってリスペクトが好きなのかな)


と思いながら、サンドイッチを口に運んだ。


 二条の神部の称賛談義は終わらない。


「どうやって撮ったのか分からない写真ばかりでさ! 一枚、ああ、一枚俺、学祭で買ったんだけど……あー、教室のブレザーだ! 桃原、後で見せてやる。彼氏さんにも後で」


 彼氏さん。言葉に嬉しくなって、「えへへぇぇ」とサンドイッチをふにゃふにゃに押しつぶした。


「生徒会としては困る存在なんだけどな。神部さんは」


 蓼丸は立て膝にした長い脚に腕を乗せて、「ああ」と困惑声になった。ネクタイが緩くて、その上でこういうワイルドな格好をしていると、一瞬眼帯が外れたのではと思ってしまう。さらに三個目のコロッケパンを開けて、口に運びはじめた。健康的によく食べる。


「神部雅人。3年首席争いで、生徒会長の織田とは犬猿の仲。生徒会と報道部はしょっちゅう喧嘩しているけどね。ほら、生徒会長がああいう朝みたいなネタの宝庫だから」


 萌美は朝のいちゃつき男女の姿を思い出して、頬を火照らせた。洋画では平気なのに、実際に見ると、どうしてああ、生々しいのだろう。


「うん……芸能人のスキャンダル追いかける報道の人みたい」


「生徒会の醜聞は売れるから。俺らは、報道部だろ? 広報力が試されるわけ。特大のネタを拾って、学校の広報に載せて、たくさん捲ければ、その分入部も増える。二人っきりってキッツイすよ」


 ――二人きり?


「二人しかいないの? それって部活って言わないんじゃ……」


「だから、神部がぜーんぶ追い出した。しつっこい張り込みや、無謀な撮影。学校なのにそこまでするか! の撮影体勢。先生には睨まれるし、神部は庇わないし。でも、首席だから先生も甘いんだ」


 ん、とコロッケパンを食べ終えて、蓼丸は袋の中からブラック珈琲を手にした。


「あ、珈琲」


「飲む? 桃原の分も用意してあるよ」と出てきたのはやはりお子様カフェオレ珈琲。


「……ありがと」ありがたく受け取ったが、甘味は苦手だ。

(う、甘……。後で口直し、しよ)と思いながら、サンドイッチを流し終えた。


 ふと見ると、二条は三脚の陰になっていた。カメラは三脚にくっついていて、抱えて持ち上げるタイプ。かなり重そうだ。


「二条くん。カメラ、大きすぎない? 三脚抱えてると、三脚にだっこされてるように見えるよ?」


「ウッ」「ははは」二条の詰まり声と、蓼丸の声が被った。


二条は「しょーがねーだろ。俺、ちっちゃいんだから」とチェシャ猫そのものの態度で、背中を向けた。ふさふさのシッポが見えそうだ。


 朗らかに笑っているけど、内心は不満です。


「うー」と唸ったところで、蓼丸が先手を打った。


「二人っきりになれなかったな」

「あ、う、うんっ……でも、楽しいお話聞けたし!」

「楽しい……な。桃原が言うならいいけれど……俺にも困ったもんだ」


(蓼丸?)蓼丸の目は二条を見透かすように研ぎ澄まされていて、萌美は(甘)なカフェオレをちびちびと飲んだ。様子を蓼丸がさっそく見抜いた。


「もしかして、カフェオレ嫌い?」


 潮時だろう。理想じゃないかも知れないけれど、しかめっ面よりはいい。


「あー……甘い物が苦手……かな……苦いほうが好きなの」


「あ、じゃあ、俺と逆か。俺ね、すいません。スイーツ男子です」


 目元を朱くして、蓼丸は「あー」と首を押さえた。「眼帯なんかしてるから、厳めしく見えるのかもだけど、甘い物には目がなくて。このまま交換しよう」


 ――意外。ぱちくり、ぱちくりと目を閉じたり開いたりを繰り返す。


「さっき貰ったの、ブラック珈琲だったよ」

「あげたかな」


 ――あ。萌美は上唇をむにむに動かして、視線を逸らせる。


(そうだ、こっそり飲んだんだった。……それで二条に気がついて……あれ?)


 二条がいない。


「あっという間だな。あいつ、マジでチェシャ猫なんじゃないのか」


「あたしも思った! アレでしょ! 『不思議の国のアリスの冒険!』あれに出てたチェシャ猫に似てるの!」


「はははっ」蓼丸は腕を伸ばして、上半身を仰け反らせる。春の木漏れ日が頭上から降り注いで、蓼丸がいる世界が眩しくて。


 ――あたし、頑張って良かったな。今日も明日も、ずっと幸せ。


 大きな手に触れてみた。やっぱり、隠せない。萌美の心は蓼丸以外にないんだから。

 気づいた蓼丸が視線を萌美に向けた。


「クリスマスって言ったけど……あたし、やっぱり蓼丸がいい。蓼丸に逢いたくて、逢いたくて、それだけで受験も頑張ったんだから」


「それ、涼風も同じなんだよ。見てれば分かる」


 ――なんで、ここで、マコの話が出て来るんだよ。なんで、そう、優しさをみんなに向けちゃうの……。


 萌美は言葉に詰まった。


(何だろう、蓼丸が優しい性格だなんて、今更知ったわけじゃない。ずっと知っていた。この人は誰にでも優しいって。他校の学校祭に潜り込んだ時も、「もう来ちゃだめだよ」って手を振ってくれた。集団だったから、覚えてないだろうけど)


 七人の女子で、「蓼丸見に行こうツアーイン学校祭」先生に見つかって、塀をよじ登るところで蓼丸に鉢合わせした。覚えてないほうが有り難い。


(他の女子はみんな彼氏を見つけて、蓼丸に騒がなくなった。でも、あたしは。馬鹿みたいにこの人を想ってる)


 ――しょっぱな、失態しましたけど!


(一人っ子だから、甘やかされちゃった)


 いつでも、自分だけの愛情を受けてきた。一人っ子で、大切に育てられすぎた。父と母は惜しみなく欲しいモノを与えてくれた。朗らかなお笑い好き、少々ハードボイルドに育ってしまった……。


「涼風に、もう返答する気なんだな」


「ん。だって、嘘はつけないよ。あたしは、蓼丸にぜ、全部……全部捧げるつもりで来たの!」

「さ、捧げる?……っ」


(ええい。ここまで言うつもりはありませんでしたが!)


「あたしは、全部を蓼丸にあげたいのっ! ちゃんと勉強してます!」

「勉強?」

「……少女漫画と洋画で……」


 段々恥ずかしくなって来た。


 でも、蓼丸には、あたしだけを見て欲しい。マコなんかより、あたしだけに優しくして欲しい!


 ……ちょー、嫌な子だ……。


 心で叫ぶだけ叫んで、萌美はどす黒くなった気分で俯いた。顔が熱い。蓼丸に何を求めているんだろう?


「も、やだぁ……」


 ひくっと喉が震えた。両手の指を曲げて、涙を拭う。


「わたし、馬鹿みたいじゃん。1人で喚いて、1人で泣いて、困らせてばっか」

「そうだな」冷ややかな声に顔を上げると、蓼丸は肩を竦めて困惑笑顔を向けているところだった。


「可愛くて、困る。困る姿まで可愛いって詐欺だろ、桃原。珈琲交換。間接キスだけど」


(すでに掠めちゃってます!)とは言えず、罪悪感で珈琲を交換した。


 ……待ってれば良かったんだ。神さまのいじわる。


 しかも、今は萌美が飲んでいたものを蓼丸が飲むというエロティックなおまけつき。


(わわわ……唇がむずむずする)


 かーっと顔が熱くなった。体温はきっと急上昇。工事のヘルメット被った萌美がきっと心臓で、「ただいま渋滞です!」とか棒振ってそうだ。


 心拍数、測るんだっけ。

――明後日の健康診断が頭を過ぎって行った。

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