第3話 スウェーデン・クォーター王子
*3*
(どうしよう、どうしようどうしよう。ほっぺにちゅーされた、絶対)
頬を押さえてにやり。くすくすふっふっふ。でも恥ずかしくて真っ赤になって腕を直伸ばして早足でグラウンドを横切って。
逢えると思ったが、先に行ったはずの蓼丸の姿には出逢えず、講堂前の集団が見えて来た。
「あっ……桃! 」
真っ赤になって講堂に辿り着いたところで、「おーい」と友人の雫美香が手を振っているが見えた。雫は親友だから、今日の『蓼丸特攻告白実行計画』を話していた。
「どうだったんだ? どうだった? 泣いてるな。……うん」
――はあ。と萌美は息継ぎを繰り返して、顔を上げた。頬が涙で濡れているのは緊張したからなのか、嬉しかったのか、緊張が解けたせいかはわからない。
右上で髪を縛った雫は少々男言葉。さらに困った趣味があり。
「お」と萌美がどもるやいなや、「お? 女の子は好きじゃない? 蓼丸隠れ攻めだったか」言動はこの調子の完全腐女子。
「なんでよーっ」と萌美はぽかぽかと雫を殴って、息を整えた。
「OKだって! 俺の顔、ちゃんと見えたかって! ほっぺにちゅ、って!」
「落ち着け」とばかりに右肩をぽんぽん叩かれるが、萌美の報告は止まらない。
「格好良かった! ちょー、間近で見て、何て言うのかな。空気が違うの。あっ! アイドルを間近で見た感じ? 違う。アイドルがアイドルの顔を一瞬素にした……? ああもう、巧く言えないけど……」
〝おい、桃原のカレになる俺の顔、ちゃんと、見えた?〟
(あんな男っぽい喋りもするんだぁ…… 見えました、見えました)
聞くなり雫は、小さな萌美をぎゅー、と抱き締めてくれた。
「やったな! 桃! そっかぁ、あの海賊王子蓼丸の姫かぁ……うん、お似合いだよ。良くやった! 頑張ったな?」
「えへへ」と頭を撫でられたところで、「おまえらまたジャレてんの?」と声がした。
――再び出たな、疫病神め。涼風真成! 萌美の可愛いおでこの敵。
幼少時、萌美は水疱瘡にかかってシクシクと泣いていた。そこに、マコがやって来た。
まだぶつぶつが残っていて、痒いと萌美は泣いた。「俺に任せろ。うりゃ」とマコが額のぷっくりを潰し……見事に痕が残ってしまった。
(許すまじ。お陰でおでこが出せないじゃん!)
幼なじみのエピソードなんて、ロクなものではない。萌美は以来、幼なじみの漫画は絶対に読まなくなった。
根に持っているのである。生え際、1センチ足らずの萌美の火口を。
「ところで、あんた、何、その頭。床屋さんで失敗したの?」
見れば涼風はサルのような短さの髪型に変わっていた。
「これはベリーショートと言って、男の心意気の現れだ。お陰でスッキリした」
真成ことマコは幼稚園からの腐れ縁の少年である。両親同士が仲が良いので、「幼なじみ」と言えるのかどうか。それに心意気なら丸刈りだろう。度胸なさすぎだ。
「マコじゃなくて、サルって呼ぶよ。ねえ、どうしよう、かっこ良かったよぉ」
「おい、桃」
「あー、どうしよう……あたし、間違っちゃったのに、いいよって。大人なんだぁ……」
「桃! 俺の話を聞けよ!」
萌美は雫とのお喋りを邪魔されて、「なんですか」とむっと振り返った。涼風は蓼丸と違って、まだ萌美と同じくらいか、ちょっと背が大きいくらい。胸を張ると、たじろいだ。
「何よ。講堂に行かなきゃなんだから、早くして。あたし、まだ許してないんだからね。おでこのコレ!」
「おまえ、俺と付き合えよ、桃!」
そう。今日は、なだらかな春の始まり。私立篠笹高校一年、桃原萌美が入学式を控えた朝の出来事……。
(は?)と脳裏ごと一瞬世界が止まる。見れば涼風は萌美の細い手首を掴んでいるではないか。当然、萌美は吼えた。
「ちょ、なんであんたと付き合う話になるの! あの、申し訳ないんですけど」
「好きだからだよ! 決まってんだろっ!」
雫の口笛が「ヒュウ」と響いた。篠笹高校は高台にあるせいで、非常に太陽の光を浴びやすい。きらきらと陽光が射し込み始めている。
「あんだって?」〝な〟と〝あ〟の合間の微妙な発音は柄が悪い。怒りを滲ませた萌美に勘づいたのか、涼風はわたわたと言い訳を始めた。
「ほら、よく、あるだろ。好きな子苛めちゃうってヤツ。あれだよ、あれ!」
(へー。あれが、苛めちゃう、ねぇ……ほほぉ……)
一気に腸が煮えくりかえった。後ろで「蓼丸と涼風は絵になるよな」と雫の独特な呟き。
「絶対嫌っ」
鞄をぎゅっと抱き締めて、萌美はぷいっと顔を逸らせた。
「あたし、許してないって言ったでしょ! 可愛いおでこ返せっ」
「悪かった。俺、女の子の顔に傷作らせたこと、めっちゃ後悔してる。俺、プチプチ好きだったから、つい……だから、決めたんだ。予定通り、桃を嫁にする」
涼しい春風が吹き抜けた。ぶっと雫が噴き出した。
「予定通りって聞いていないんですけど。あの、マコ……」
「悪かったから!」
涼風は慌てるように土下座の体勢を取り、蹲った。「なんだなんだ」と生徒がジロジロ見ながら講堂に入っていく。顔をばっと下げたきり、頭、上げやしない。今度は「頼む!」と土下座を深くされて、さすがに恥ずかしくなった。
(こいつは! どうしていつも恥かかせるのよ!)
「あ、あのさ……うん、はい、わかりました。許さないけど、許してあげます」
「じゃあ、俺と付き合ってくれるか?」
(なんでそんな思考になるんだ!)と萌美は足を上げかけて、すいっと下ろした。
そうだった。涼風はバカ一直線の熱血タイプ。萌美は「はっきり言うね」と繰り返した。
(もう……良い気分だったのに、いっつもコレだ。だから、高校教えなかったのに。お母さんたちが喋っちゃったんだろうな……)
膝を揃えて、スカートを確認して,土下座のままの涼風に屈み込んだ。砂がふわっと萌美のスカートにお邪魔をする。
「さっき、あたし、彼氏決めて来たばかりなんだ。えへ、追いかけて来たんだよ。蓼丸。あんたも知ってるでしょ? 隣のS中学で生徒会長だった……」
名前を口にしただけで、どうしようもなくなって、萌美はそそっと鞄で顔を隠す。頬がぽわんとポイント的に熱くなった気がして。
「ずっと、憧れてた。ねえ、あたしの恋、応援してね」
雫は無言で、2人のやり取りを眺めていた。涼風はふらりと立ち上がった。ほ、と胸を撫で下ろす前で、「分かった」と一言。
涼風はすぐに泣く。幼稚園でも、小学校でも。今でも。だから何となく萌美が強くなった。男なのにずびずびずびずび。それだけでも、もう勝敗は見えている。
「ね? 蓼丸相手じゃ勝てないでしょ? マコとはいい友人でいたいから。分かってくれた?」
涼風はずっと鼻を啜って、頷いた。感情が脆いのか、優しいのか、堪え性がないのか。多分どっちもだろうけれど。
涼風はいつになく強く萌美を見詰めて、ざっと立ち上がった。
「俺が納得しないことが分かった。蓼丸は確かに同性から見てもカッコイイ。それは認める。けど、桃原のカレに相応しいかどうかは別だ。それに、間違って頷いたかも知れない」
「間違った?! あんたねえ! 見なさいよ、このおでこ!」萌美は髪をばっと持ち上げると、おでこを見せつけた。涼風は「ごめん」と告げて、額に顔を寄せた。
――ぽわ。
凹んだところに唇を押しつけて、「入学式、遅れる」と萌美の前を歩いて行く。呆然としていると「おまえら遅れるとまずいよ?」と振り返って、またスタスタと綺麗なスニーカーで進んで消えた。
「確かにな。講堂に向かうか。桃? 桃? 生きてる?」
(なんだ、あの、サル――っ! ……すっごい男の子っぽいことして! マコのくせに)
頬に当てられた蓼丸の唇と、額の凹みに当たった涼風の唇の感触が脳裏を往き来して、心が早くもくたっとなった。
何度も何度も擦りながら、萌美はイライラとワクワクを噛み締めていた。
「カレにしてください」の失態しつつも、蓼丸の優しい声に救われて、ほっぺにキス貰って。今涼風にブチ壊しにされた。微妙な気持ちがたゆたっている。
〝けど、桃原のカレに相応しいかどうかは別だ。それに、間違って頷いたかも知れない〟
「間違いなんかじゃないっ! マコのバカ! 山に帰っちゃえ! 雫、急ご!」
「はいはい。桃、桜並木が綺麗だよ。ここ、春・夏がいいんだってね。なるほど」
振りかえると、本館と一号館を結ぶ並木は、全部桜一色だった。篠笹高校の名物は桜と竹。ちょうど神社の鳥居のように二つの校舎は繋がっていて、真ん中にさきほど駆け込んだ生徒会と理事会の「本館」がある。
植え込みはまさにパンダが棲んでいそうな笹に覆われていて、七夕祭りは地元の人もやってくるんだって。見れば校章も桜と竹が巧く絡んだ英国風味の校章だ。
「ここで、3年間過ごすんだね……」
本館の対角に綺麗な建物が見える。これは図書館で、昨年新築したばかりだそうだ。まだ書店の名前のトラックがたくさん止まっているから搬入が終わっていない。その奥に部活用の赤い屋根のクラブハウスが並び、手前に講堂と体育館が並列している。最後グラウンドに瓦屋根は格技場らしく、これも結構大きい。奥の青い屋根は体育系のクラブハウスか。手前にたくさんの野球部のユニフォームが干されて揺れていた。
グラウンドも相当広い。テニスコートも。……あ、トイレ発見。
「文武両道、というだけあるねぇ」
見えるバックネットを振り返りながら、桜並木を突き抜けた。今度は青竹が出迎える。
「わ、すごい竹。筍獲れるんだっけ」
「孟竹らしいよ。若竹祭があるって。ふうん、桜は女子へ、竹は男子への贈り物、ねぇ」
すっかり観光気分である。自分の過ごす高校の初日ほどウキウキする瞬間はないでしょう。
萌美と雫は地図を見ながら、一回り。また講堂までやって来た。景色が楽しい。講堂は白亜の音楽堂。芸術の生徒たちがよく出入りするらしい。
「桃カレ発見。さっそく看板役かい」と雫が肘で萌美を突いた。
『入学式』と立てかけてある前に、蓼丸が立っていた。すらりとしたスラックスに、やっぱり眼帯。目立つことになれている様子だ。
「桃原たち。遅いよ。始まったらうちの講堂は入りにくいんだ。資料館があるからな」
「蓼丸のほうが早かったね。逢えるかなと思ったのに」
蓼丸は「ああ」と裏道を指した。
「本館からなら、二号館を通り抜けた方が早いんだ。桃原、グラウンド沿いを通って来ただろ。図書館が出っ張ってる分、グラウンドが押し寄せているからさ、どうしても回り道になるんだよ。先に教えれば良かったね」
蓼丸はプリントを出すと、地図に赤いペンで、今度は萌美の校舎、一号館への道順を書いてくれた。
(優しいなぁ……やっぱ、この人以外にカレは考えられない)
ぽん、と額が熱くなった。マコの呪いのキスを思い出して、ぎゅむ。と押さえる。
(……考えられないんだってば。ごめん、マコ……)
ぽん、と蓼丸が萌美の頭に軽く手を乗せた。「ん?」と覗き込まれて、心臓が跳ねた。マコごめんもどこかへ吹っ飛んでいった。
蓼丸は片眼だけでも充分魅力的だ。どうして隠しているのだろう。それに、視線を逸らさない。じっと目の前を見るは癖らしく、どんどん頬が火照ってきた。
「悄気る話じゃない。放課後、クラスにいて。一通り案内したいし、朝どこで待ち合わせるかも決めたいし、なるべく俺を知って欲しい。生徒会は今日はないから。返事は?」
「あ、うん、桃原、待っています」
「イイコだね。あと」と短く切って、蓼丸は振り向いて、足を止めた。
「女の子が、俯いちゃだめだよ。前を向いたほうが綺麗だ……と、呼び出しか」
次々とフェミニストぶりを発揮していたが、蓼丸は誰かに呼ばれたらしく、イヤホンを押さえて「じゃ」と笑って講堂に向かっていった。
(前を向きます。どんなときでも、目をキラキラさせて、蓼丸見ています)
呆ける萌美の前で、雫が感嘆の息を吐いて見せた。
「はー。さすが、クォーターだわ……桃? 桃? あー、だめだ。どこ見てンの?」
「前を見てるの」
「ハイハイ。講堂行くよ。はい、足出して、ほら、始まるから!」
萌美は雫に腕を引かれて、やっとの思いで、講堂に踏み行ったのだった。
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