第10話 ここまでイライラするオークは見たことが無い

 広場に戻ると、台車に人型の豚が寝かされていた。台車は車軸も車輪も含め全て木製のようで、金属は使われていない。これだとすぐ車軸が歪んで修理が必要になるだろうなあ。

 いや現実逃避している場合ではない。そう、人型の豚が寝かされている。人型の豚はぐったりしているが、胸が上下しているので呼吸はしている。見たところ外傷もないようだけど。

 一体何が? 台車に縋り付くように豚を見つめているベリサリウス様、教えてくれません?


「ベリサリウス様、一体どうされたのです?」


 俺が顔を引きつらせながら聞いてみると、


「おお、プロコピウス。戻ったか」


「はい。今戻りました」


「この麗しいご婦人はオーガを見に行く途中で倒れられていたのだ。急ぎ台車を出して連れてきたというわけだ」


「は、はあ」


 麗しい......誰だ。この豚? 人型の豚は、顔は豚を微妙に擬人化した風で、人間の美観からすればあまりよい部類には入らないと思う。下あごから伸びた牙がチャームポイントなんだろうか。

 鼻ももちろん豚だし、肌の色も豚らしくピンク色だ。あ、野生に戻った豚ってすぐ茶色になって毛が生えるんだぜ。イノシシみたいに。しかし、この豚はピンク色だ。ほんとどうでもいいが。


 いや、ベリサリウス様、いくら豚のようなお方が好きだと言っても、これはない。これはないっすよ。顔が豚ですよ。そのものですよ!


「私が見たところ、外傷はないように見受けられます。行き倒れでしょうか?」


「おお。プロコピウスがいれば心強い。このご婦人を任せてもよいか?」


「え、ええ。了解しました」


 豚をベリサリウスに押し付けられてしまった。どうしよう。この豚がお亡くなりになったりしたら、俺がとんでもない叱責を受けるんじゃないのか。


 と、とりあえず台車を押してベリサリウスの家まで戻ろう。


 その前に、ここまで仕事をしてくれた二人にお礼を言わないと。二人とも唖然とした顔で豚を見ている......


「ティン、ロロロ、今日はありがとう。また明日頼む」


「はい!」「ああ」


 俺は今日頑張ってくれたティンとロロロに礼を言ってから、俺はトボトボ台車を押しながら帰路につくのだった。



◇◇◇◇◇



「ちょっと! 何オークとか連れてきてるのよ!」


 この豚はオークという種族らしい......

 家の前に台車を置くなり、ものすごい形相でエリスが詰問して来る。まあ、そうだよな。俺だってこんなん連れてきたら怒るわ。

 ふふふ。だがね、エリス。俺は君を納得させる言葉を持っている。


「俺も連れて来たくはなかったんですよ。でもこの......オークであってますか? オークはベリサリウス様が私に面倒を見ろと」


「ベリサリウス様が! ちょっと、プロなんとかさん。何そこに突っ立ってるの? 二人でオークさんを家に運び入れるわよ!」


 うわあ。分かりやす過ぎて、逆に怖いわ。ベリサリウスの名前を出すと、コロリとすぐチョロくなってしまうエリスなのであった。


 俺とエリスは人型の豚――オークの両側に立ち、足を引きずりながらも家の中へ運び込むことが出来た。

 見た目通り重い。身長も人間並みにあるし、体格は言うに及ばずもう全身が肥え太っておられますよ。

 そらもう、ベリサリウス様好みにね。


「エリスさん、これどうしましょう?」


「これとは何よ! プロなんとかさん。この人はベリサリウス様のお客様でしょう」


 このあからさまさがもう笑えてきたよ! 笑うと殴られそうだから笑いを堪えるけど。


「見たところ、外傷もなさそうですし、ほっといていいんじゃないでしょうか?」


「そうはいかないわよ! そうね。精霊に聞いてみましょうか」


「精霊?」


「あなたたち人間の魔法のようなものよ」


 ダークエルフのエリスさんは、精霊とお話しできるのか。魔法に似たものということは、魔法や精霊がどんな効果を見せるのか至近距離で見ることが出来る。

 ファンタジーな世界に来たんだから、俺はこういうのが見たかったんだ。昼間見た空からの景色も格別だった。

 景色を見たり、未知の魔法とやらを見たりするだけなら、どれだけ楽しい生活になっていたことか。

 現実はこの豚のために精霊を使うというやるせない気持ちだけだよ。きっとその豚、おなかすいてるだけに違いないって。


 俺が豚を恨めしそうに睨んでいると、エリスが木製コップに水を入れて戻ってきた。いつの間に移動していたのか全く見ていなかった。だって豚を見てたからな。

 俺がコップを見ていると、エリスが精霊について説明しはじめてくれた。


「プロなんとかさん。精霊を使った精霊術は人間の魔法と違って、精霊ごとに媒体を用意する必要があるのよ」


「そのコップの水がそうなんですか?」


「ええそうよ」


 魔法を知らないから比べることはできないけど、エリスはこれから水を使って精霊術なるものを施行するみたいだ。何が起こるのか楽しみだ!


「まあ、見ていなさい」


 エリスが水の入ったコップを豚の首元に置き、目を瞑り、手をコップにかざす。

 すると、彼女の手のひらからぼんやりと水色の光が湧き出てきて、コップの水に絡みつく。

 水色の光が水を絡めとり、豚の顔を覆っていく。被写体が豚であることが非常に残念だが、この映像は神秘的で心を揺さぶられるものだ。


「うーん、お腹がすいてるだけみたいね」


 やっぱ、お腹すいてただけじゃねえか! この豚!


「水の精霊が教えてくれたんですか?」


「ええ。そうよ。水の精霊にオークの体調を調べてもらったのよ」


「精霊術ってすごいんですね!」


「あなたたち人間の魔法ほどじゃないけどね」


 エリスはそう言って自分を卑下するが、少なくとも俺はさきほどの水の精霊術に感動したんだぞ。人間の魔法って便利なのか。機会があれば見てみたいものだ。


「エリスさんの精霊術、感動しましたよ。素晴らしい」


「もう。私はベリサリウス様以外見てないから、褒めても何も出ないわよ!」


 そういいつつも照れ臭いのか、頬が少し赤みを指していた。ともあれ、豚が目覚める前に食べ物を準備しないとだな。

 俺とエリスさんは急ぎ食事の準備をすることになった。俺はこの世界で食事をつくったことがないから、エリスさんの指示どおり、ほんのちょっとお手伝いしたに過ぎなかったけど。



◇◇◇◇◇



 もう一心不乱に食べている。誰がって? 豚だ。

 ベリサリウスが狩猟してきた肉がたくさんあったので、香草焼きと肉とキノコのスープを三人前出したが、もう完食しそうな勢いだ。

 そう、俺たちが料理の準備を終える頃、豚の目が覚めて一言目「腹へったブヒ」だった。語尾にイライラしつつも、ベリサリウスの顔がチラチラと俺の脳裏をよぎり殴りつけたい衝動を何とか抑えることができた。

 エリスも顔に青筋がピクピクしてたので俺と同じ気持ちを、ベリサリウスへの愛で抑え込んだんだろう。彼女はすごい、若干顔が引きつりながらも笑顔で豚に応じている。


 全てを完食した豚は、器をレロレロして名残惜しそうにしている。俺は拳を握りしめ奴が満足するのを待つ。


「助けてくれてありがとブヒ」


 もう限界だ! 俺は豚へ殴りかかろうとすると、エリスが後ろから俺を羽交い絞めにしてきて、あえなく断念した。

 エリスの胸の感触で少し冷静になった俺は、この豚に事情を聴こうと、奴と机を挟んで向かい側の椅子に腰かけた。


 しかし、豚の次の一言が、


「ブーは、オークのマッスルブというブヒ」


 くそがあああ! またしても俺はエリスに押さえつけられるのだった。

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