【短編】イン・テンポ

ぽんちゃ 🍟




もんだいです。


それは 4がつの はれたひのこと でした。


ある ひとりの しょうねんが いました。


かれは おうだんほどうを わたろうと しました。


しんごうは あお です。


そこに くろの おおきなくるまが やってきました。


それから どうなるのでしょうか。




 *  *  *




 きいっという音がした。耳が痛い。


 おそらく、近くを通る車から発された音だと思うけれど、それにさえ僕は、怯んだ。



——馬鹿みたいだ。


 自分を嘲笑するように、声にならない声を呟く。ぜんぶ、馬鹿みたいだ。



 いつまで、引きずっている? 



 手を伸ばせば届きそうな快晴の、あの日のこと。その青に吸い込まれて消えた、なにか。



 あの日を境に、僕は変わった。変わっている。きっと、悪い方向へ。



 道路なんて、普通に歩けたはずだ。車が横を走っていくことを恐れたこともない。


 それが、なんだ。


 何も考えずに足を進められた日々を『昔』と呼ぶほど、変わった。1人じゃろくに歩けない。前に進まない。車から遠ざかりたくて壁に沿って歩いていたら、飛び出している木の枝にぶつかった。



黒瀬くろせ君?」



 後ろからの声。


 僕の名前が呼ばれたような気がした。分からない。


 分からない、けどこの声は知っている。


 穏やかで暖かいような、声。欠けた僕に嵌まり込むような言葉と存在。


 

 たちばなさん、だ。



 後ろを振り返った僕と目が合うと、黒髪の彼女はふわっと笑った。



「久しぶり」

「……うん」


 本当に久しぶりな気がした。ゴールデンなウィークがはじまったのは昨日で、会っていないのはたった1日なはずなのに。1日、24時間って、そんなに大きかっただろうか。



「橘さん、お出かけ?」

「うんまぁ、そんなものかな」



 風が吹いて、彼女の黒髪を揺らした。


 僕は、心が揺れた。



「黒瀬君、どっかに行くの?」

「……いや、」



 どこにも行きたくない。


 僕のこたえは、それだけだ。



 ちょっとでも外に慣れようとして、玄関を開けた。橘さんに迷惑をかけないで歩けるようになりたくて。



「……男の事情、かな」

「えーなにそれ、乙女の事情みたいな」



橘さんは、笑う。それをそっとさらうように、風も吹く。



 彼女の優しさの泉は、どこにあるんだろう。


 たくさんの優しさをもらっている。ひとりじゃとても持ちきれないほど、たくさん。山盛りに。


 僕はそんな泉も優しさも持っていないから、橘さんに何かをお返しすることなんて、できないのに。



 僕なんかに渡して、彼女は後悔しないんだろうか。


 後悔されたら、僕はどうしたらいいんだろうか。



「というか、黒瀬君、場所覚えたの?」

「え? …‥ま、まぁまぁ?」



 嘘だ。分からないってか全然覚えてない。いつも橘さんに任せすぎていたせいで、現在進行形で迷子だ。いや、どこだし。



 今ここで分からないなんて言ったら、また橘さんに迷惑をかけてしまう。彼女に迷惑をかけないために外に出たのに、意味がない。


 けれど、来る保証もない助けをここで待つという勇気もなかった。きっと、僕を助けてくれるのはいまこの瞬間、橘さんだけだ。



「……本当は、分からないんだ。ここがどこだか、分からない」



 分からないことは、山ほどあった。



 僕がここにいるべきなのかも分からないし、いる資格があるのかも分からない。


 橘さんの隣にいてもいいのかも分からないし、橘さんがどうして僕に話しかけてくれているのかも分からない。



 僕の生きる意味も、分からないままだ。



「じゃあ、一緒に帰ろう」



 そういってほほ笑む彼女に、僕はなんど助けられたんだろう?


 今日もまた、きみの笑顔に救われた。懐かしいようなその言葉を記憶に探しても、見当たらないのに。

 


 高校生にもなって男女一緒に歩いていたら、それっぽい噂が広まるかもしれない。


 でも僕は、橘さんの隣を離れて、拒否することはできなかった。



 だって、僕は。



 存在しているだけで、顔を合わせるだけで、言葉を交わすだけで、僕の中に持っている棘で、橘さんを刺しているから。


 僕がいるだけで、悲しそうにする橘さんがいるから。




 まだ太陽は真上にある。空は、きっと青かった。

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