三章
第17話
■3
佐口という少年が、同級生の深沢のことを知ったのは中学一年の時である。
まだ見慣れぬ生徒が多く戸惑うクラスの中で、佐口が持つ交友関係の延長線上に彼が入ってきていたのだ。
彼は薄い茶色の髪をしているが、それは日焼けのせいだろう。その証拠に初夏ともなればいち早く学生服の上着を放棄し、浅黒く焼けた肌を自慢げに露出させていた。黒い髪に白い肌という佐口とは、ある意味で対極とも言える。
顔立ちも同様に、垂れ目で丸みのある穏健とした佐口に対し、深沢は吊り上がった目と細い頬で機敏な気配を醸し出していた。
加えて性格も比較的に派手だと言え、佐口は当初、それらに苦手意識を抱いていたのだが、趣味は違うが話の調子は合うという奇妙なバランスの下に、一年の終わりにはそれなりの親友関係を築くに至っていた。
時に佐口が哲学的な映画の観賞に誘えば、別の時には深沢がストリートスポーツの体験に誘うという、互いに互いの理解しがたい好みに連れ回すということがあったものの、率直な不理解の感想こそあれ、険悪な諍いが起こることはないという深度である。
しかし中学二年の半ばを迎えたある時、佐口は放課後の校舎の陰で、深沢が全く見知らぬ人物と話しているのを発見した。
遠目でハッキリとは見えなかったが、上級生だろう。学生服の下に派手な赤いシャツを着込み、それが無闇に陽光を反射させていた。
互いにクラブ活動をしていなかったため、その関係ではないだろう。
もっとも深沢にも独自の交友関係があるのは当然であり、佐口は当初、特に気に留めることもなかったのだが。
ただ、深沢がその人物と別れてこちらへ歩いてきたので、佐口は声をかけて共に帰路へ着くと共に、先ほどの人物についての話題を切り出した。
「あれは三年の和久井さんだよ」
深沢はそう答えると、その和久井という人物について少しだけ話をした。
元々は長野に住んでいたのだが、最近になって深沢の家の近くに引っ越してきたらしい。波長が合うのかすぐに打ち解けたらしく、和久井の元いた中学校での武勇伝について、深沢は興奮気味に語った。
それらの話に、佐口は全く興味を抱かなかったのだが、深沢がかなり熱を入れていることだけは理解できた。しかし佐口はそれと同時になんらかの、後ろ暗い予感めいたものを抱き、深沢の語り口がそれを暗示しているように思ったのだが……
そうした些細な、後ろ向きな感情に囚われることは、交友関係を続けるのによくないと判断して、すぐに忘れようと決めた。
ただ、それがなかなか思うようにいかないうち、やがて予感が現実のものになっているのではないか、というある種の不安を抱き始めた。
深沢は次第に、和久井に対し明らかな羨望を見せるようになり、急速に交友を深めているのか、反対に他の友人たちと遊びに出かけることが減っているようだった。そうした減少する交友の中には、当然ながら佐口も含まれていた。
もっとも、それでもまた彼の交友関係の取捨選択に口を出す権利などなく、やむを得ないと感じていた佐口だったが、そのうちに少しずつだが、深沢の言動が粗野になっていることを感じ取るようになった。
最初は些細なものに過ぎなかった。ちょっとした言葉尻、言い回しの類など、単なる思い違いや考えすぎだろうと思える程度のものだ。しかし次第に、小動物や鳥類に対して無闇な威嚇をする姿を見るようになったし、他人の家に石を投げ込む遊びを始めるなど、原始的であると同時に攻撃的な言動が増えていった。
そうしたものも、ひょっとすれば今まで見ていなかった彼の本来の性質かもしれない、と思うこともあったのだが、やはり変化しているに違いないと決定的な確信を得たのは、ある日の昼休みである。
その日、ふたりは教室の片隅で、どうでもない話題に盛り上がっていた。
「お前ってほんとモテないよなあ」
と言ってきたのは深沢の方である。彼は口角を上げて、ニヤニヤと隣にいる佐口に横目を向けながら、小馬鹿にした口調で続けるのだ。
「ひょっとしたらお前、そのまま一生彼女できないんじゃねえの? あっはは!」
これはいつものことであり、話題こそ毎度変わるものの、交わされる言葉の本質は必ず同じである。つまりは相手を軽く貶し、それに対する反駁を受けて笑い合うというものだ。
そのため、佐口はよもや険悪な怒りなど感じることなく、彼と同じ調子で言葉を返した。
「馬鹿、俺はお前なんかより先に彼女つくるっての!」
しかし次の瞬間、深沢から笑い声が返ってくると思っていた佐口は、横目で見ていた彼の変貌に喫驚した。彼は先ほどまでのニヤニヤとした上機嫌ではなく、眉間に深い皺を寄せ、肩眉だけを異様に吊り上がらせ、上唇を上げて犬歯を覗かせる、不愉快そうな怒りの感情を露にしてきたのだ。
そして真っ直ぐに佐口の方に向き直ると、彼は最初、静かに声を発してきた。
「は? どういうことだよ、てめえ」
「どう……って?」
佐口は唐突な変化についていけず、困惑していた。それを無視して、深沢が声を荒げる。
「『お前なんか』ってどういうことだって言ってんだよ!」
またしても唐突に、彼は胸元に掴みかかってきた。そのまま身体を持ち上げんとばかりに、ほとんど喉を締め上げるような力で引き寄せてくる。
佐口は全く当惑し、返す言葉をなんらも思い浮かべることができず、ただ急激な息苦しさに呻くだけだった。その間にも深沢の怒声は鳴り響いており、酸欠を抱く脳は不思議とそれを明確に聞こえさせた。
「てめえ、俺を見下してんのか! てめえなんかがよお!」
次の瞬間、佐口は頬を思い切り殴り付けられ、近くの机や椅子を倒しながら転ばされた。あまりの混乱に、痛みを感じるのは遅れていた。そしてその間に、深沢は追撃を加えようとさらに腕を振り上げたのだろう。佐口は横倒しになった机の上にうつ伏せる形になっており、その光景をハッキリと見ることはできなかったが、恐らく間違いないはずである。なぜならようやく痛みが追いつき、顔を上げた頃、深沢の激昂を目にした周囲のクラスメイトたちが、慌てて彼の腕にしがみついたのだから。
深沢は全く不可解なほどの怒りを露にし、まとわりつくクラスメイトにすら罵声を浴びせていた。その光景は信じがたいもので、彼は派手な性格ではあるものの、こうした全く理解できない唐突な暴力性は持ち合わせていなかったはずである。少なくとも今までは真っ当な友人同士としての会話ができていたのだから、そこに間違いはないだろう。
だからこそ佐口は友人の唐突な、信じがたい豹変ぶりに言葉を失い、倒れ込んだままそれを見上げていた。
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