キミの為にレベリングしてみた。

ちゃちゃ

デブでオタクとか、無能すぎでしょ。

そのいち。

――死にたい。


 自宅の一室。時刻は夕暮れ。射し込む夕日に照らされ、僕の部屋は橙色に染まる。壁に掛けられた二次元キャラクター達のポスターや、棚のフィギュア達も、僅かながらその色に染まっていた。

 閉ざされた扉。施錠は二つの鍵で行われ、厳重と言える。二階なので窓から覗かれる心配もない。完全なプライベート空間。しかし仮に赤の他人がこの部屋の装いを見たら、十中八九「うわぁ……」と溢して顔をしかめるだろう。

 一人用ながらも大きめのベッドには、愛らしいキャラクターがプリントされた抱き枕。更にフィギュアと漫画で容量がオーバーしつつある本棚。一人部屋にあって然るべき箪笥の横には、瞳が大きな少女のポスター。そして開かれたノート型のパソコンが乗っている学習机がひとつずつ。実にオタク的な空間だ。我ながら思う。

 その内パソコンの電源は入っていて、中で電子的な美少女が肌を露わにして、身体を妖艶にうねらせているのだから、この部屋の装いを遺憾この上無いと言いながらも受け入れてくれている家族にさえ、現状を見られたら不味い。仮に見られたら自殺ものだ。しかしながら、肝心のパソコンの側面から伸びているヘッドホンは僕の耳に当てられておらず、床に打ち捨てられていて、そこから卑猥なボイスをほんの微かに響かせていた。

 そして僕は、二次元エロリズム漂うこの部屋のど真ん中で土下座をしている。

 目の前に転がるティッシュペーパーの箱に向かって、それはそれは恭しいと言えるだろう姿で頭を垂れていた。しかし、この土下座は本来の土下座が示すような、誠意を表しての事ではない。


――死にたい。


 綺麗な形で次のペーパーが顔を出している箱の横には、丸い形のゴミ箱。お世辞にも容量が多いとは言えないその箱には、今しがた僕が行ったアレな残骸が入っていたりする。

 僅かに熱気が残る室内。ゴミ箱からほのかに漂ってくる残念な匂いは、報われない数億の魂が死んでしまった証だろうか。

 ゴミ箱と、ティッシュペーパーに土下座を見せ付ける僕。つまるところ所謂リアルorz。土下座ではなく、盛大に落胆していた。

 そんな僕は先程の行為の名残で尻を丸出しにしたままだ。薄く開いた目は死んだ魚のような瞳を宿しているだろうし、唇からはまるで呪詛のように「死にたい」と言う言葉を無意識の内で吐き出していたりもする。

 それもそうだ。


――僕は今、産まれて初めて、三次元の女の子をオカズにしてしまった。


 僕の名前は柴田しばた 純也じゅんや。年はこの春高校二年になったばかりの一六才。自他共に認めるキモオタ男子。身長一七〇センチに対し、体重は九〇キロを越える。汗っかきでは無いものの、見ているだけで暑苦しいと妹に揶揄されるような見た目。趣味は勿論、アニメ鑑賞やネトゲ。学校と食事風呂以外のタイミングでは、家族に呼ばれない限り部屋から出ない引きこもりだったりもする。

 つまり、三次元に恋をしたところで報われないのなんて分かりきった事なんだ。それどころか僕みたいな奴が恋をしているだなんてクラスのヤンキーにバレたりでもしたら、それをネタに目をつけられて、脅されたり、体の良いサンドバックにされたりするかもしれないんだ。見てくれが巨漢だし、コミュ障が転じて威圧的に見えるらしいから、目立った虐めを受けずに暮らして来れたと言うのに、これはなんと言うフラグだろう。そう思う。

 だからこそ今まで僕は二次元の嫁を汚すだけで生きてきたし、これからもそのつもりだったのに……。


「死にたい……」


 なんで、なんで二次元の嫁でオナってた筈なのにクラスメイトの女の子が現れるんだよ!?

 そう、それは正に今発射しようかという自家発電の真っ最中だった。隣の部屋が妹の部屋なので、出来るだけ静かに、加えて妹の部屋に近いベッドからは降りて、床で胡座を組んで、必死の形相になっていた時だ。

 パソコンの画面に映る年齢的に不味い動画を、出来る限りリアル趣向に染め、僕は妄想を爆発させていた。

 僕の目に映る少女は、紺のブレザーを肩までずらして、緩んだリボンの下でワイシャツの第三ボタンを両手で開けつつ、平たい胸を露わにしていた。かと思えば上は程々に、今度は赤と黒のチェック柄なプリーツスカートをたくしあげて、純白の下着をほんの少しだけ見せて来ていた。そこまでは二次元の嫁の顔をしていた気がする。むしろこの次のタイミングまで、三次元で見慣れた学校の女子の制服を着た二次嫁とのまぐわいだとか、そんなシチュエーションだったんだ。

 だけど唇を開いて、言葉を溢した瞬間。


『気持ち悪い』


 僕の目の前妄想には三次元リアルのクラスメイトが立っていた。


――うわぁぁぁあああぁああ!!


 違う。僕はドエムじゃない! ドエムじゃないんだ!! 誰に釈明しているのかは分からないけど言っておく。これは彼女が、深月みづき 陽菜ひなさんがとんでもなく口が悪いからなんだ!!

 息子の元気が溢れているのも違う! 多分違う! 単純に見知った彼女が半裸だったからなんだ!! 発射しちゃったのはもう止めれないところまでいっちゃってたからなんだよぉぉおう!!

 ああぁあぁぁあああ!!

 僕は声にならない奇声を上げて、のたうち回る。肉付きの良い身体は毛の短い絨毯の上を止まる事無く転がり、右へ左へ回って見せた。所々肘や膝を床にゴツンとぶつけるが、肉付きが良いせいで痛くない。だけど調子に乗りすぎた僕はやがてベッドの足に後頭部をぶつけた。これは痛い。


『兄ちゃんうっさい! 私勉強してんの!』


 そして更に隣の部屋から妹の歯切れの良い怒声が聞こえ、僕は痛いのと怒られたのとで動きをピタリと止める。とりあえずうつ伏せのまま、ズボンは上げた。鍵を掛けているから覗かれる事は無いけど、僕の中の良心がそうさせた。

 ふうと息を吐き、何処か冷めた心持ちで学習机へと目線をやる。すると未だ異彩を放つ髪色をした女の子があんあんと喘いでいた。ヘッドホンからもほんの微かにその音が聞こえる。

 僕はそんな光景を呆然と見詰め、小さく唇を開いた。


「別に可愛くないのに……」


 それは深月さんの容姿に対する感想。

 そもそもこうなった理由が分からなかった。怖いもの見たさで三次元女子をオカズにしようと思った事はあったけど、今までは自家発電はおろか、妄想さえ出来なかったんだ。

 エロを醸し出すのに必要な要素は画像を検索すれば幾らでも出てくるし、そういうものに対してエロス自体はしかと感じる。息子だって元気にはなる。なりはするんだけど、なにか違う。年齢的に不味い動画を見たって、安っぽく見えて自家発電には及ばない。

 そう。僕にとっては、二次元よりもよっぽどリアリティが足りないのだ。

 妄想するにはシチュエーションが分からないし、まともな会話をした事がないから三次元女子がどういう風に喋るのかも分からない。年齢制限で見ちゃいけない筈の動画だって正しくそのもので、自分には決して与えられない機会だと虚しくなるだけなんだ。

 なのに何故、自分は態々あのタイミングで彼女を彷彿してしまったのか。そう考えるとあまりに突拍子もない漠然とした答えが降りてくる。


――僕は何時の間にか深月さんに恋をしていた?


 切っ掛けなんて思い付かない。むしろ好きになるにはあり得ないタイプの筈。だって深月さんは身長こそ僕好みな低さだけど、体型は豊満でもなければ貧相でもないし、顔も性格も普通なんだ。唯一目立つのが、女の子らしい明るい声には似合わない『毒舌』だろうか。

 思い起こせば、まあ、良く耳にする声だ。クラスにいる迷惑なヤンキーに向かって「社会適応出来ない残念で哀れで無能な奴」と言い切るし、定期テストで学年首位を取った眼鏡君を「将来の夢に東大入学なんて書いてる時点で無能丸出しだね」と切り捨てるし、更に喧嘩をしている男子生徒二人に「折角親が高い金を払ってくれてる学校生活の時間で殴り合い? 暇なら学校辞めて働けよ。無能ども」だなんて言うのが彼女。

 可愛くないけど、言っている事はいつも正しい。決して自分に向けられたい言葉じゃないけど、応援してやりたくなる。ついでに自分に向いた時の反論を脳内で考えたり……。


「…………」


 思い当たる節があるじゃないか。

 よくよく考えてみれば、三次元女子の中で一番僕の脳を埋めている子だった。

 そう思い直せば、自ずと先程の疑問も答えが浮かぶ。彼女においてのみの答えだとも言えた。


――僕が仮にドエムならば、彼女に踏まれてよがっている自分が、想像できてしまう。


 ナニソレコワイ。ワラエナイ。

 いや、まあ仮に本当に三次元の女の子へ恋をしたとするなら、それこそワラエナイ。妄想出来ちゃうからなだけだったり、認めたくないけど実は僕にドエムの素質があったり、はたまた単純に一番印象に残ってる女の子なだけだったり。そんなのだったらまだ良いんだけど……。

 でも、何となく思ったんだ。


――明日、学校に行ったら僕はこの恋を本当に恋だと自覚してしまうって。


 そして翌日。

 全然寝られず、目の下にどす黒い隈をつけた僕がいる。一階にある洗面所で鏡を見てみれば、元から丸い顔が浮腫むくんで更に隈までつけてるものだから、まるでパン菓子の某有名ヒーローが悪落ちでもしたかのような顔付きだった。肩まである髪の毛を丸刈りすれば、多分そっくりだろう。

 仕方無いと肩を落としつつ、まあ別に元から優れた容姿じゃないんだしと開き直る。顔を洗った僕は、気だるげにリビングの扉を開けた。普通の一般家庭よりは広くて、和室と繋がったリビングの中央には大きなテーブル。四人掛けの席には既に僕以外の家族が揃っていた。


「おは――ぶふぉっ!」


 警察官で朝が早い父さんは、既に制服を着ていた。僕を見て新聞紙に珈琲を吹き出して、慌てて制服に垂れていないか確認している。普段から茶目っ気溢れる人だから、反応が少しオーバーなのは仕方無い。


「あらやだ。何時にもまして悪人面じゃない」


 むしろ母さんが酷い。非常勤の医者をやっている癖に、僕の不調さ溢れる形相を悪人面の一言で片付けるなんて……。母さんも母さんで茶目っ気溢れる人だからだけど。と言うか、両親二人がドラマの中の人達みたく、職業病宜しく厳しい人達なら、僕はオタクをやっていないだろう。弛い。この家は超弛い。


「うわぁ。兄ちゃん何時にもましてキモい」


 そしてそんな弛い家で、一番厳しいのが妹の亜弥あやだ。僕の事を『柴田家の恥』と常々言っていているのだから、どれぐらい厳格かも察せることだろう。

 まあ、キモいだとか悪人面だとかは、言われ慣れていたりする。むしろキモいオタクなのに、悪人面で巨漢だから、僕は虐められたりしてこなかった。学校で休み時間にゲームをしていても、誰もが怯えてからかって来ない。陰口を叩かれるくらいは、まあ、仕方無いとして。

 僕は溜め息混じりにおはようとだけ溢して、リビングの椅子に着いた。こんな嫌な朝の風景を前にしても、昨日のショッキングな事が脳裏を埋め尽くしていても、僕の食欲だけは衰えないらしい。座るなり腹がぐうと音をたてた。


「純也、お前、体調が悪いとかじゃないんだな?」


 その音を聞いた父さんが確認するように聞いてきた。

 僕はうんと頷いて返す。

 心配そうに見てくる父さんには悪いけども、僕の様子を確かめるように見詰めてくる視線は素直に嬉しく思う。だって父さんは僕にとって一番の味方だから。

 亜弥は僕を嫌っているし、母さんは別に僕がどんな趣味を持っていようが健康なら良いって人。だけど父さんだけは違って、僕がゲームに夢中になっていたら一緒に肩を並べてくれる。休みの日なんて「外に出よう」って連れ出すのに、向かう先はいつもゲームセンターなんだ。一緒にガンシューティングをやったり、レーシングをやったり、父さんのおかげで僕は引きこもり『予備軍』で済んでると思う。

 食卓に用意されていたパンを、僕がひとかじりしたところで、父さんは珈琲まみれになった新聞紙を折り畳んで、ゆっくりと立ち上がった。


「さて、それじゃ父は行く。純也も亜弥も、学校はしっかりやってこい」

「うん。行ってらっしゃい」

「はーい」


 父さんに頷いて返す僕と、気だるげに返す亜弥。言わずもがなだけど、亜弥は僕の味方をする父さんとあまり仲が良くない。この日の顔付きもまるで今に「さっさと行け」と言わんばかりに見えた。

 僕の所為ってのは少し罪悪感があるけど、亜弥も亜弥だとは思う。僕も亜弥がそんなに好きじゃないけど……。

 まあ、亜弥はこの春で中学三年生になったばかりだ。父さんも思春期だからって大して気にしてないらしい。難しい時期だって、この前ゲームセンターに行った時、そう溢してた。

 そして父さんがリビングから去れば、母さんが見送りに出て行って、ここは僕と亜弥の二人だけになる。いつもはこんな感じになったとて交わす言葉は無いんだけど、この日は珍しく亜弥から話し掛けてきた。


「兄ちゃん」

「ん……」


 僕は妹の珍しい様子に、少し目を見開いてから顔だけで向き直る。

 長い髪の毛をポニーテールに結った姿。染髪には父さんが反対だからって、亜弥は勿論、僕だって髪は真っ黒だ。だけど似ているのはそこだけで、亜弥は細身で華奢な体つきをしている。最近になって目立ち始めた女の子らしい部分はしっかりと成長していて、年齢不相応にあたるぐらいだと思う。母さん曰くこの前クラスメイトに告白されて振ったんだとか。

 容姿はまあまあ可愛い。妹だから改めてそんな風な感想を持つ事は無いけど、目鼻立ちはしっかりしているし、それでいて印象的過ぎない感じだ。唇はいつも桜色で、剥き出しのうなじは真っ白で細く、如何にも庇護欲をそそるんじゃないかと思わせる。

 もう一度言うけど、妹だ。改めてそんな風な感想を持ったとしても、割とすごくどうでもいい。

 亜弥は小さな唇をハッキリと開いた。そして真っ直ぐに僕を見詰めて、声を出す。


「昨日ゴソゴソやってたけど、私の部屋覗こうとかしてないよね?」

「してない」


 如何にも不名誉な事を問われ、僕は間髪入れずに断言した。如何わしい事はしたけど、僕は妹萌えじゃない。妹に欲情のよの字も浮かばない。


「そ。なら良いけど。いい加減キモいからオタクとか辞めてよね」

「辞めない」


 そして更にキッパリと断る。

 何でそんなに口煩く言うのか訳が分からない。妹に迷惑が掛からないようにって外で偶然会っても他人のふりをするし、肩を並べて出掛ける事もない。加えて妹の志望校も僕の通う学校とは随分離れた学校らしい。無論、僕から関わりに行くつもりなんて毛頭ない。そこまで弁えてるのに、何が不満なのかさっぱりだ。


「まあ、どうでもいいけどね。御馳走様」


 捨て台詞宜しく、妹はそう言い残して席を立つ。皿を流し場まで持っていくようだけど、まあ僕も亜弥にどう思われようとどうでもいいので、捨て台詞は無視しておこう。どうでもいいなら言うなよ。とは思うけどね。

 そんな事より考えなくちゃいけない事もあるし……。


「はぁ」


 僕は亜弥に聞こえないように溜め息を吐く。食欲がほんの少し失せた気がした。

 食パン三枚とスクランブルエッグ、サラダとウィンナー。全部残さず食べたけど。

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