終輪 幕が開くとき
剣戟は受けられ、銃弾は届かない。兄妹は、あまりにも巨大な父を見ていた。
――どうした。お前たちの命は、すでに手の内にあるぞ。
総合的な性能で言えば、オースロスはアレスやネーメに及ばない。ただひとりオーナーズの公式の生き残りであるモルガンでさえ、それは覆せなかった。
だが目の前の男はどうだ。エリザとセロウに、その血を分け与えた男。破壊的な力はひとつの恐怖に裏付けられ、いま兄妹の目の前にある。
「エリザ、右」
「だめ、追いつかない」
つばぜり合いの力も、どうしても上回ることができない。確かな性能差があるのに、である。それに加え、十分以上にわたる交戦の中で兄妹が得た気づきは、確かな驚きと絶望を持って突き刺さった。
この機体は、あのバイール終戦から何も手を加えられていない。あの時の最強のまま、最新鋭の機体と渡り合っているのだ。それは異常事態と言えた。
「兄貴、しっかり」
――遅い。
一瞬にも満たぬ心の綻びさえ、アシュリーには筒抜けだった。背後のエリザがカバーする間もなく、セロウの動力部にまっすぐ突き入れる。受けに回ろうとすれば自然と無理な姿勢になり、衝撃で飛ばされた。
「大丈夫ですか」
「少しくらくらしてるが、問題ない。目が覚めるほど嫌な気分だ」
姿勢を取り直すのに時間を要している。リズは懸命にサポートしているが、それでもその次の一撃を受けることができない。追いすがるエリザも、この距離では単純な仕掛けしか届かなかった。加えて、しこりが付いたように動きがうまくいかない。それがどうしてなのか、エリザはわからなかった。
ふいに、サラが呼びかける。
「エリザ」
「もう、今度は何」
「敵はオースロスのポテンシャルを最大まで引き出しているに過ぎない。大丈夫。速さはネーメが、強さはアレスが上だよ」
「だったら、今この状態はどうなの。うちは全然力が出せないし、兄貴も動きが鈍ってる、気を抜けばあんたも死ぬんだよ」
兄貴も。サラはこの言葉が妙に引っかかった。アレスに変更点はないはずだが。そしてひとつの仮説を見出すと、サラは笑みを浮かべた。
「何がおかしいの」
「ふふっ。やっぱ私、ばかだ。エリザ、勝てるよ」
これから言う通り動いて。エリザは頭上に疑問符を浮かべたまま、サラの指示を受ける。それはプログラム通りの基本攻撃だった。マニュアル入力の練習はまずここから始まり、プログラムの調整に繋がっていく。空を穿った銃弾の軌道、虚空を切り裂いたバスタードの軌跡。エリザは数度の試行ののち、すべてを理解した。
「ほんと、サラのばか。うちを誰だと思ってるの」
エリザは不敵に笑みを浮かべ、そして突撃した。その加速は、以前とは全く異なるものだった。
それは間一髪だった。セロウの動力部数センチの位置でその剣は宙を舞った。エリザの左足が間に合ったのだ。アシュリーは最低限の動作でその一撃を取りやめ、予備の剣で必殺の間合いを作る。その見えない壁に触れた者は、全て斬るという構えだった。
「兄貴、行くよ」
「ああ、やるぞ」
セロウの頭も、少しずつ冷えてきていた。怒りで曇った剣では父の真意を穿つことはできない。思えば、後ろにいる少女には何度も救ってもらっている。いなければ、そう考えただけでぞっとするほどだ。
セロウはあえて心を怒りで染め、熱情のままに仕掛けた。その刃の壁に、踏み込む。エリザは後方で剣を構える。父を欺く兄の意図が、見えたのだ。
果たして、父の剣は振るわれた。瞬間、セロウの機体が翻る。防御の壁を設定しそこに対して正確に剣を振るうやり方は、セロウにとって望むところだった。手の甲をぴたりと合わせ、オースロスの方にまっすぐ舵を取る。エリザは既に最高速まで突入している。サラがプログラムにした作為は、いわゆるラウラパッチの改変だった。今のエリザに、可動部の遅延は必要ない。サラはこれに、追加で感度を上げる設定をしたのだ。その数センチを届くように、その数ミリ秒を間に合うように。グレイスの手前声高には言わないが、サラはどうすればエリザが強いかを誰よりよく知っていた。
オースロスの体が開くこの瞬間に、ふたりの一撃が集中する。念には念を入れ、動力部と剣を持つ腕の二点を狙う。エリザは最高速でオースロスの右側を通り過ぎ、挟み込む。全方位に回避を許さない、それは間違いのない連携だった。
であればこそ、セロウは何が起きたのかわからなかった。その剣は、寸前で止まっている。体が開いでいるのは、自分の方だったのだ。
――期待外れだったな。悪魔の子、セロウ。
その一撃を、エリザは決して兄に向けさせない。どこか心の中で、父が本気ではないと信じていた。そして今実の息子を殺そうとしている姿を見て、もはや手段がないことを知った。
だが、その刃さえ父には届かない。父はセロウに一閃を加えると、エリザに手をかけた。その爆風を感じたエリザは恐怖と失望で、手を止めてしまった。刃が、目の前にあるというのに。
「なんで」
「エリザ、回避、回避」
サラの必死の呼びかけもむなしく、その剣は振るわれる。
――さようなら、エリザ。
一合、二合、ネーメの薄い装甲は剣戟を耐えることはできない。サラはかろうじて後退し、その勢いを逃がすことに成功した。とは言え、駆動系の再確認をしなければとても次の行動など打てないだろう。その刃を振るう中で、アシュリーは背後から強烈な殺気を感じた。だがそれが何者であろうと、気持ちだけで止めることはできない。接近して、斬るだけ。そのはずだった。
であればこそ、その手首が切り落とされた事実に驚きを隠すことができなかった。
「許さない。絶対許さないから」
グレイスの口元を震わせるのは怒りだった。生まれてすぐ孤児院に預けられ、家族と呼べるものは四歳で出会ったエリザだけだった。それを殺す、それも実の父が。とても容認できることではなかった。
アシュリーは小うるさいとばかりに左手で二合加える。グレイスはそれを的確に受け、さらに前に出た。オイデのポテンシャルはネーメと同等。であればこそ、グレイスはどれだけでも無茶をするつもりだった。
――貴様は。
「私だって、エリザを守る」
守りたいの。そう叫んだグレイスは、しかし体勢を立て直したアシュリーの反撃を受けることとなる。グレイスはそれを受けた。防御の先を読んでくる敵に対し、ただ目の前の行動を正確に行おうとした。グレイスが持つ力は、真に誰かを守るためにある。彼女はそれを、強く願うことで手にしたのだ。意識の外からの重い剣戟に合わせ、後退せずにぶつかっていく。彼女一流の技術と、気持ちの強さがそうさせるのだろう。
だがそれも、長くは続かない。
アシュリーは、ふと攻め手を止めた。彼女の受けのためではない。それはグレイスの持つ、ある部分だった。無意識化のうちにエリザから隠しているそれは、しかし彼女の中に確かに存在していた。
――奥底に、底のない暗部が見える。貴様、何者だ。
「知らない。私はグレイス・レインジャー・カミオンである前に、エリザの一番だもん」
――カミオン。この器も、砕かれねばならん。
そして悪夢は再開される。セロウですらしのぎきれないその猛攻を受け、グレイスは自分に残された時間がわずかであることを知った。あと一発受け損なえば、もうそこには自分の命がある。であれば、自分は何をすべきか。心に、決めた。
「エリザ、ごめんね」
そう言うと、恐怖が消える。グレイスは笑みすら浮かべ、あろうことか攻撃の剣を振るった。それは、届かないのだ。兄妹は動くことができない。だが、動かねば結果は見えている。
「嫌、いや――――」
エリザはただ、声をあげることしかできない。そのむなしい叫びが耳に届くと、ひとりの搭乗員は胸に手を当てひとつ息を吸い込んだ。放心の四人が機影を見たのは、その直後のことだった。
左のつま先を頂点とし超音速で進む巨人は、その衝撃波でオースロスを切り裂く。そのまま左で反撃の剣を払い、右で突き入れた。彼女の表情に色はなく、ただまっすぐに敵を見据えていた。
「ごめん、遅くなった」
「どうして」
「どうして、ですって。あんたが無茶するからでしょ」
でも女狐、今日だけは感謝してあげる。オースロスと息もつかせぬ剣戟を交わしながら、シスルはもう一段階ギアを残しているようだった。
「セロウを守ってくれて、ありがとう。私の見立てでは、もう大丈夫」
お父様。シスルはその声をアシュリーに向けた。アテネの駆動部からあふれ出す靄は、シスルの激情を末端まで伝達しきっていることの証明だった。
「今の私、虫の居所が悪いの。下がってくれます?」
地を這うような低い声で、シスルは凄む。敵の損傷は決して軽くない。プロペラントもかなり減っているだろう。頑丈なアテネならば、今の自分ならば。シスルには自信があった。
――なんだ。そんな男ならば、貴様にくれてやる。目的は果たした。ここまでだ。
そう言うとアシュリーは、踵を返す。ようやく動力を起動できた兄妹は、それに追いすがる形となった。
「親父、どこ行くの」
――案ずるな、撒かれた種よ。お前たちがそうである限り、また会うこととなる。
ではな。そう言って隠し港の方角へと向かう。セロウは声をあげることができなかった。機影が消えたころに、リズに促されようやく操縦桿を握り直す。過ぎ去った嵐は、兄妹に爪跡を残していった。四機の巨人はグースへと向かうが、アテネだけは南側へと舵を取った。
シスルは呆然としつつも、小さな満足を得ていた。ああ、自分はこれでいいのだ。であればこそ、奇妙な沈黙の中で巨人は粛々と行動した。
レナは窮していた。自分から踏み込む力はない。だというのに、一瞬でも隙を見せればもう彼女は自分の命までたどり着くだろう。
一方のアイリスも、見た目ほどの優位は感じていない。確かに、レナが一歩引いたのは完全に失策だった。それにより格段に自由度が増し、対応できない箇所からの攻めが可能になるからだ。だが妙だったのは、造作もなく殺せるはずなのにその一歩が出ないことだった。
「あら、来ないのかしら」
レナは微笑を張り付ける。言うまでもなく、こけおどしだ。明らかにアイリスは、レナの内にある何かを恐れている。それは、利用できるものだった。
ふとアイリスが、その氷の殺気を解く。そして茂みの方を向いた。
「どうやら、向こうも片が付いたようね」
「どういうこと」
アイリスはレナの耳元に口を寄せる。
「アドラスティアの犬が、やったようね。あなたのフィアンセも、今はもう」
「ウィシーが死ぬはずないわ」
「強がりを。あの双子は強いわよ」
「わかってるわ。でもあなたも、ウィシーの強さを知っているはずよ」
レナは微笑のまま、確信を得ていた。こういう時、ウィシーはどれだけ格上の相手にも十分に戦ってきた。あとは、自分がしっかりやる番だ。
しかし、劣勢が覆るわけではない。一歩また一歩、命に踏み込んでくる。そうしてついにアイリスの手がレナの首をとらえたとき、二発の銃声が聞こえた。狙いはアイリス。胸の中心をはずして撃たれたその弾は、しかし目標の間をすり抜けていった。
「来たわね」
ふたりは銃を構えていた。アドラスティアの柱は、変わらない表情の中に強い怒りを燃やしていた。
「氷の妖花。今ここで死んでもらう」
「あら、威勢がいいのね。来なさい。あの時と同じように、遊んであげる」
言い終わるや否や、アイリスは姿勢を低くし距離を詰める。狙いどころは読んでおり、当たることはない。だが双子もまた、相手の動きを制限できる場所を的確に狙う。とは言え彼らをして、二対一でようやく互角だった。彼らの誤りは、レナをフリーにしたことだろう。姉ミザリーは逐一警戒をしていたが、しかし動ける余裕を与えたという点では同じだった。
「止まりなさい」
二丁の銃を取り、それぞれ姉と弟に向ける。ふたりはそれを見て、アイリスへ銃口を固定したまま停止した。
「蠱毒のリラ。なぜ邪魔をする」
「邪魔しているのはあなたたちよ。悪いけどあなたたちにアイリスは殺せないし、殺させない」
「それが、大義を抱えるネメシスのすることか。奴は世界を破壊しようとしているのだぞ」
ミハエルが激昂する。その感情が手を鈍らせた一瞬の時間に、アイリスは仕掛けた。
銃を持つ手を取り、背後から抱擁する。耳元にかかる吐息は、ミハエルの全身を凍てつかせた。
「怖がらなくていいわ。少し、眠ってもらうだけ。災厄の忌子、ミハエル・ドーフマン」
ここに来て、初めて表情を見せたのが姉だった。薄くではあるが、その目には狼狽の色が浮かぶ。レナは彼女に近づくと、その銃を下ろし囁いた。
「ここはあなたたちの出る幕ではないわ。その時は、必ず来る」
無責任だと追及されれば、それまでだろう。レナは、アイリスを生かすことで後に起こりうることを予測していた。それは十分、世界を混沌に包むだろう。
だが事実として、レナがたとえピエラと組んで三人がかりで向かおうと、勝てる保証はないのだ。であれば、いまはどうしようもないと思うことにした。
アイリスはそっと手を放す。崩れ落ちるミハエルを尻目に、北の空を見上げた。燃え盛る轟音は止み、鋭い駆動音だけがこだましている。
「時間が来たようね。続きは、しかるべき時に」
では、さようなら。そう言って歩き去っていく背中を、三人は追うことができなかった。
放心した弟を、姉が担ぎ上げる。麻薬でも吸入したかのように、目は見開かれ、足は震えていた。
「戻ったら、エリオに伝えてちょうだい。あの時の形に、戻すかもって」
「承知した」
弟の頬を数回たたき、立てる状態まで気付けをする。そうして荷物があるであろうどこかへと、ふたりは去っていった。
上空に巨人が現れたのは、その直後のことだった。梯子が投げおろされる。
「司令、早く」
状況がつかめないレナは、それでもすぐに掴まった。自動で引き上げられ、コクピットに乗り込む。出迎えたシスルの鬼気迫る表情は、状況がいかに凄惨であったかを物語っていた。
「ごめんなさい、手間取らせて」
「いえ、それよりビルさんと通信繋がってます」
――司令、聞こえますか。海上拠点が爆撃を受けた。至急帰還を。
「敵の所属は聞いてる?」
――いえ、何も。ですがこのタイミングとなると、危険なのは間違いないでしょう。
「そうね。わかったわ、すぐに向かう。守備隊は迎撃を。シスルちゃん、飛ばして」
わかってますよ。そう漏らしたシスルはハッチを閉じ、まだ余力を残すアテネに鞭打った。
グースに着くと、巨人は格納庫に収容され応急修理を受けている。特にアレスとネーメの損害は大きく、連続での使用はためらわれるほどだった。
「セロウ、怪我はない?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
「気持ちはわかるけど、無茶しないでね」
セロウはその言葉に、答えられない。無理もないだろう。シスルには家族の記憶がなく、あったとしてもそれは幸福のうちに手にしたものばかりだろう。言ってわかるとも思えなかった。
他者の手を借りなければ、実の父と渡り合うことすらできなかったのだ。彼は父を、いつか自分ひとりで倒さねばならぬ敵だと断じている。だというのに、助けられ侮られ、自分は何をしているのだ。今のままではいけない、その一念がセロウを支配していた。
一方のエリザは、今になって感情があふれ出していた。ネーメの足元で、グレイスの胸に顔を埋める。
「エリザ、大丈夫だよ」
「うち、もうわかんないよ。なんで」
孤児院から黒い箱に入り、脱走後もリーブスで孤独な日々を過ごした彼女は、家族というものについて憧れに近い感情を抱いているのだ。恐怖の象徴だった母と異なり、父のことは嫌いではなかった。エリザはどこかで、期待していたのだろう。であればこそ、彼女は戸惑っているのだ。
「うちが間違ってたのかな」
「ううん、そんなことない。きっといつか、わかってくれるよ」
「ありがと、グレイス。こんなうちでごめん」
グレイスはエリザを抱きしめながら、自分を顧みていた。アシュリーの言葉は、彼女の意思とは別に胸にしこりを残している。自分には、前に進む場所があるだろうか。エリザだけを見ていては、自分はどこへも行けないのではないか。彼女もまた、強くなるための何かを探していた。
そしてレナは、ウィシーと言葉を交わしたのち水着のままブリッジに向かう。艦内の通信を開くと、神妙な面持ちで言葉を発した。
「みんな。バカンスはどうだった、楽しめた? 残念だけど、これで終わりよ。基地が狙われるのは前例がなく、ゆえに敵が何者なのかも何を望んでいるのかもわからない。もしかすると私たちは、大きな渦の淵に立っているのかもしれないわ。お願い。大義のため、皆の力を貸して」
隊員たちは、無言でそれを聞いている。彼女は大義を用意して、各々の戦いを肯定してくれる。その点において、ネメシスはアドラスティアと同じだった。彼らはレナのために戦うことを、どこかで望んでいた。
バターカップの少女たちは、格納庫で一様に頷く。自分たちも、その大きな渦の中に飛び込む日が来るのだろう。学校には戻れるだろうか、戦いから離れることはできないのではないか。そういった不安を無理やりに押し殺し、目の前の敵に向き合うことに少女たちは慣れていた。このつかの間の休息、短く刺激的な学校生活の中で、十四人は自分自身がすべきことについて考えた。覚悟を決めた者。迷いを残した者。答えは十四通り生まれた。
それぞれの思いの中で、少女たちはこの柔らかな幕間の終わりを感じていた。
幕間 IRON BLOOM 完
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