「あかり先輩についてカメコの僕が知っていること」

コイデマワル

第1話 木曜日

 4月の風が心地よい。僕はレフ板を持って、黒髪が風に揺れるあかり先輩を見つめていた。


「レフ、もうちょっと右に」


僕は、写真部部長の山口の穏やかな声にハッとして、レフ板を右に傾けた。


「これでいいですか?」


「いいよー。あかりちゃんも、いい」


 山口のカメラがシャッター音を間欠的に発し、木陰をつくる頭上の落葉樹の葉が、シャッター音を吸い込んでいく。


「ストロボは、もう3歩下がろうか」


「了解です!」


 僕と同じ大学1年の佐々木が、指示通りに動き、シャッター音が続いた。


 今日は写真部部長のための撮影会。本当なら撮影の補助は写真部のメンバーがするが、「カメコの勉強になるから」というあかり先輩の考えで、オタ研1年生の僕と佐々木が、撮影補助を任されていた。


 中庭に1本だけ立つ落葉樹の影も、ずいぶん伸びてきた。カメラのシャッター音が途切れて、山口が口を開いた。


「風もひんやりしてきたし、今日は終わりにしようか」


「ほんとは、もうちょっと撮りたいんじゃないの?」


 あかり先輩が、尋ねる。


「うん、まあここからが良い時間だけどね。でも、あかりちゃんが風邪を引いても困るし、今日はおしまい」


「じゃー、飲みに行きましょうか!」


 あかりは、赤いワンピースの上に革ジャンを颯爽と羽織った。




 撮影会の打ち上げと称して入った店は、大学から駅に続く学生街に何軒かある安飲み屋のひとつだ。お世辞にもきれいな店とは言えない。しかし不思議な居心地のよさのある店だった。まだ開店して間もない時間だったので、僕達4人は店の奥のテーブル席に座り、飲み物と食べ物を注文した。


 ほどなく、生中2杯と、コーラ、ジンジャエールがテーブルに置かれて、4人でカンパイした。


「撮影補助をしてみての感想は何かある?」


 にこにこしながらあかり先輩が、僕と佐々木に尋ねた。


「そうですね……」


 返事を考えようとする僕をおいて、佐々木がしゃべり出した。


「今日でストロボはバッチリです!俺も早くあかり先輩をモデルに撮りたいっす!」


「佐々木君は頼もしいね。じゃあ今週末のコス撮影会は期待しちゃっていいのかな?」


「もう、バッチリ撮りますよ!任せてください!」


「ふふ、来栖君は?どうだった?」


「はい。レフ板で光をおこすのは分かりましたが、山口先輩の写真の仕上がりを見てみたいです。どんな感じに撮れているのか、見てみたいです」


「なるほど。なんだって、山口君」


 あかり先輩は、そういって山口先輩に話をふった。


「まあそうだよね。実際自分で撮ってみないと、違いは分かりにくいと思うし、写真編集でも変わってくるからね。来週くらいに、仕上げた写真をプリントしてくるよ」


 山口先輩はそう言ってジョッキを手に取り、少しビールを飲んで、つづけた。


「2人とも触りはわかったと思うから、それを試してみることが必要なんじゃない?部内撮影会を開いてみるとかさ」


「いいっすね!やりましょう!モデルはもちろん、あかり先輩!」


 佐々木が俄然乗り気になっている。お酒を飲んでないのに。


「そうだなぁ」


 あかり先輩が、ちょっと考えるように言った。


「なんでも復習するのは早いほうがいいよ?」


「そうですよ!」


 山口先輩の意見に、佐々木が乗っかる。


「じゃあ、やりましょうか。せっかくだし」


「やった!」


 佐々木が椅子から立ち上がった。


「佐々木、落ち着けよ」


 僕は、ため息をつくように言ったが、内心ガッツポーズしたいくらいうれしかった。


「しかし、そこまで撮影がうれしいなら、オタ研じゃなくて写真部に入ればよかったのに」


 山口先輩が、だし巻き卵をつまみながら言った。


「だめだよ、山口君。有望なオタ研新入生を引き抜いちゃ」


 あかり先輩がジョッキを右手に持って、くぎを刺すように言った。




 オタ研の正式名称は、視覚文化研究会というサークルだ。あかり先輩が部長で、世界を救うオタクを輩出することが、サークルの目標になっている。しかし実際には、アニメやマンガ好きをはじめとするオタクの集まりである。


 僕は高校時代、写真部だったけれど、コスプレイヤーのカメラ小僧(カメコ)として腕をあげたくて、オタ研に入ったのが、表向きの理由だ。


 佐々木もカメコがしたいとサークルに入った口だが、カメラは大学生になって初めて買った初心者。高校を卒業した春休みの内からバイトして高級コンデジを買い、撮影会にもちょくちょく行っているらしい。


「佐々木君と、来栖君は、なんで写真が好きなの?」


 そう言った山口先輩をあかり先輩が見やる。


「いや、純粋な興味というか……。そこから、写真上達の道筋が見えたりするんだ!で、なんで?」


「どうして?」


 あかり先輩も、山口先輩に同調した。


「俺はカメコで世界一を目指したいんです!」


 また佐々木が、先に口を開いた。


「世界一かぁ。夢が大きいね。じゃあ、学生のうちにいっぱい写真撮らないとだね」


「はい!ひとまず今週末の撮影会で、あかり先輩をバッチリ撮ってみせますよ!」


 あかり先輩が、にこにこし始めた。


「じゃあ、来栖君は?」


「僕は……、モデルさんをきれいに、かわいらしく撮りたいです」


「それは大事な基本だね。忘れちゃいけないことだ。でも、来栖君はもっと上を目指せると思うな」


「そうなの?」


 あかり先輩の頭の上に、クエスチョンマークが見えた気がした。


「あかりちゃんや、佐々木君は知らないかもしれないけど、僕は来栖君の高校時代の写真を見たことがあるんだ」


「へぇー、そうなんだ。良かったの?」


 あかり先輩が、山口先輩と僕を交互に見た。


「いや、ああいう写真はまぐれで撮れるものなので……」


「そう?まぐれで雑誌のコンテストに載るような写真じゃなかったと思うけどな」


「なんだよ来栖、そういうこと内緒にすんなよなー」


 佐々木が、むくれつつ言った。


「いや、ま・ぐ・れ、だから」


「謙遜かよー」


 僕と佐々木のやり取りを見ながら、あかり先輩が、またにこにこしながら言った。


「よし、じゃあ佐々木君も、来栖君も、力を合わせて、世界を目指そう」


「写真部に入れば、宇宙一が目指せるかもよ?」


 山口先輩が、いたずらっぽく言ったので、あかり先輩はすかさず山口先輩の頭を軽くチョップした。山口先輩は、「テヘ」と言った後に続けていった。


「まあ、二人ともカメコを目指すなら、きれいなモデルさんを、ただきれいに撮るだけがカメコじゃないことを知っていって欲しいな。でもこれは、まだちょっと難しいかな?」


 今度は、僕と佐々木の頭の上にクエスチョンマークがでた。


「山口君は、たまにそういう分からないこというよね?」


 あかり先輩は、ジョッキを見つめながら、髪をかきあげた。


「写真を好きな人間に、いずれ分かってほしいことだから。あかりちゃんはそのままでいいんだよ」


「ふーむ」


「さ、みんな次の飲み物は何にする?まだこんな時間だよ?」


 店内が学生でにぎわい始めた居酒屋の壁時計は、まだ19時前だった。

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