中学二年生の心を忘れない主人公が大げさな比喩を多用する『記念日』

*一応は気をつけましたが、それでも長いし、読みにくいです。

――


 結婚生活における旦那の役割というものは、我慢することにある。古代ギリシアの哲学者ソクラテスがクサンティッペを妻に迎えた頃から変わらない現実である。

 俺、高柳宗太は、今朝がた真奈が見せた男に対する憎悪を含んだ瞳を思い出し、ロウ引きの靴ひもを乱暴に締めあげた。


「行ってくる」

 

 俺の発した宣言はしかし、伽藍洞のようにも思えるリビングに吸い込まれただけだった。いつもなら愛すべき――ときに悪魔のようでもある――真奈の声がある。

 いま返ってくるのは虚しい時間の経過を伝えようかとする壁掛け時計の無機質な足音だけだ。


 どうやら真奈は、未だ尻尾を撫でられた猫のように不機嫌らしい。

 目眩がするような苛立ちを覚えるが、それを口にしたところで俺は狭量な男だと宣言する以上の意味をもたないだろう。


 俺はチャコールにビクトリアン・レッドを混ぜたようなブラックチェリーの床に手をつき、鉛のように重くなった躰を持ち上げた。玄関に置かれた姿見に負け犬の姿を映す。生意気にもダークブルーのトレンチコートを身に纏うさまは、まるで禁酒法時代に地下酒場に出入りしていた探偵のようでもある。

 

 真奈が選んでくれたボルドーの赤ワインのような深い色を地にしたロイヤルクレストのタイは、俺が選んだものより遥かにセンスがいい。ドット柄のハンカチについた一点の同色の汚れのように些細な不満ではあるが、刻まれたマークがスタンダード・シュナウザーであることが気になる。真奈は、俺のことをお髭の生えたワンちゃんとでもいいたいのか。


「行ってくる」

 

 返事が返ってこなければ独り言になる。だが言わずにいれば沈んだ思いが胸を突き破り躰の外に落ちてしまいそうだった。出がけに彼女の夏の訪れを告げる木々のざわめきのような声を聞きたかった。待つのは男の役目とはよくいったものだが、それなら返事をしないのもまた、女の仕事ということになるのだろうか。

 腕時計の短針は冷酷にも七を指し示し、長針は一歩おくれて後を追っていた。

 これ以上おあずけを食らった忠犬のように待ってはいられない。


 俺は長らく雨の降っていない泥地のようになった唇を舌先で湿らせ、後悔という名の錘がついたドアノブを回した。

 なじまパークサイドを背に、事務所に出るため護送車の止まる地――バス停を目指した。大して歩いたわけでもないのに、女々しくも彼女の姿が名残惜しい。見上げた愛の巣は、いまの調子じゃ残り五十年はかかりそうなローンのせいか、王宮かなにかのようにも思える。


 ――俺は漫然と飼われながら主人に噛みついた犬のようだ。


 心の裡で吐露した疑念は、キングエドワードの短靴に泥のようにまとわりつく。弱音を吐けばそこで終わり。厳冬を示す浅い角度の無駄に明るい日差しは、アスファルトを銀鉱脈のように輝かせる代わりに、人を絆すような熱を持たない。氷の中に閉じ込められた石のように瞼を閉じ、人々が生きた証拠を積み上げる音を探す。耳朶まで触れるものはなかった。

 俺は凍りついた路面を蹴りつけた。


 利用しているバス停には、まるで独裁国家の国境のように多くの人々が並んでいた。俺が市井の人々と同じように公共交通機関を利用する理由はいくつかある。ひとつには尾行を避けるため、ふたつに犬の世界だけでなく、人の世界に片足を踏み込んでいたいから。最後に、俺のボロいビュイックは、いま腕の悪い医者に診てもらっている。


 ひとときの一般社会人の振りを楽しむために、俺は両手をポケットにつっこんだ。おあつらえむきに、陽だまりは目の前で途切れることで、俺を嘲笑している。

 茶色いコートを着込んだ中年男の背中までの人々だけが、お天道様の恩恵を受けているというわけだ。温もりなど感じられない陽光であっても、陰の下から白日光を見ると、まるでガラス窓越しに決して手に入れられない真鍮色に輝くサックスを眺める子供のような気分を、いやがおうにも実感させられる。


 こんなときにしておくべきことは、疲れ果ててベッドに寝転んだ時とおなじようにひとつしかない。肩をすくめて旧時代ファンク・ミュージクに乗るかのように躰を揺する。ウィスキーをしこたま飲んだ酔っ払いとよく似た動きではあるが、しかし、ただ突っ立って寒風に耐えるのに比べれば、空気の冷たさに抵抗しているような気分に浸れるのである。ついでにいえば、神に恨み節を吐く言い訳もできるのだ。


 身を切り刻むような寒さのせいか、いつも以上にバスが遅れてきたようにも思える。薄い油膜が張られているかのようにヌメり気のある車窓の奥には、日毎に訪れる不快への諦念を浮かべた女が座っていた。表情かおの理由を推測するのはインディアン・ポーカーの勝負で手札を読むよりも容易い。頭越しに目につく、着ぶくれた労働者たちの絶望だ。どいつもこいつも同じように背を丸め、まるで足元に落ちている希望の砂金粒でも探すかのようにのようにうつむいてる。どれほど長く見つめていたとしても、つま先の前に転がっているのは六十過ぎまで変わらない日常という名の舗装路でしかないというのに。


 ゴルゴダの丘への移動をスムーズにするために用意されたかのような車内に乗り込み左右を見渡す。疲れた人々が連なるバスの車内には、染み込んだ雨水が抜けきっていない腐った土に似た臭いが立ち込めている。干からびてしまった防風林の木々にまぎれるように、隙間をみつけて躰を滑り込ませるしかない。


 俺はまともな人間と言い張れるほどのものではないが、それでも死刑囚に気を使ってやるくらいのゆとりは持ちあわせている。ぶつかれば無用な争いが起きるし、争いが起きればただ漫然と非難を受け入れられるような寛容さをもたないからだ。

 だというのに、ふいに死刑台へと続く廊下を歩く囚人を囲む看守のように誰かが背を押してきた。人を効率的に一点に縛りつけるために取りつけられたかのような手すりに掴まる乗客に、肩が触れた。


「すまん」


 俺はネクタイの柄にあやかりマンションで家飼いされているミニチュア・シュナウザーのように可能なかぎり小さな声で呟いた。謝罪といえるほどの、後悔を孕んだような複雑な意思はない。血気盛んな若者であればすすんでぶつかってやるくらいはしたかもしれないが、俺は若くもないし、大声で怒りが収まるわけでもない。

 文句があるなら俺を押した間抜けにどうぞ。

 そう目で言い添えてやるくらいしかできない。


 瞑想するかのように深く息を吸い込み目を閉じる。大容量のヒーターによって暖められた車内には、泥まみれの豚小屋に甘ったるいオードパルファムを一瓶ぶちまけたような臭いが立ち込めていた。つまりは、清潔に保とうと試みられた家畜輸送車の臭いだ。


 誰もが好き好んで豚小屋の臭いがするスレイプニルに乗っているわけじゃない。人々はそれぞれが自らの矜持のために六つ足の馬車に乗るのだ。ヴァルキュリアに連れられて逝く英雄たちほどではないが、たいしたものじゃないか。人が人であるためならば、吊革を握りしめることも、腕に体重の二割ほどを任せることも、苦ではなくなるのだから。


 積乱雲を裂いて降りてくるそれのように窓から差し込んでくる日の光。俺は無色の暴力に双眸を焼かれた。陰に入った一瞬、窓に、この世の絶望を一身に引き受けたフリをするかのような自分の姿が映った。

 なにがお前の眉間にクレパスのような皺を刻ませているのか。


 金のために暗愚に傅く自尊心を捨てた騎士のように頭を下げることだよ。

 

 俺は思わず自嘲するかのように鼻を鳴らしてしまった。

 とはいえ己の信念以外の全てを排斥する暴君のように不満だからといって頭をさげないわけではない。真奈との生活においては、結婚するより前から、イタリアあたりの戯曲群のような一幕ができあがるよりも早く、すぐに頭を下げてやったきた。


 たしかに真奈も慈母のような態度を取ろうとするのは認めよう。だが、それがセロリで出汁をとっていないポトフのように気に入らない。いつから俺は大公様になったのかと思わされる。惚れた弱味というべきか、あるいは俺の傲慢なのか、とにかく、彼女が謝る姿をみるくらいならいくらでも汚泥に塗れる覚悟がある。


 だからこそ、今朝、真奈が見せた憂いの目が、俺の心臓を内側から突いてくる。

 朝食を終えるまで林檎の存在を知らないアダムとイブのように変わりはなかった。

 コーヒの泥水のような濃さについて、


「ちょっと濃すぎじゃないか?」


 と、一言つけたのが悠久の大地を崩したのだろうか。

 しかし真奈は、


「そう? 宗太の淹れるコーヒーが薄いんじゃなくて?」


 と、まるで自分が全人類を代表しているかのように返した。

 産まれたばかりの子猫を抱くようにマグカップを両手で包み込み、それに向けるものと同じ微笑みを浮かべて、そう言ったのだ。

 正直にいえば俺は腸が煮えくりかえる思いではあった。けれどそれを口にしたところで、俺は全人類の枠内にはいれてもらえはしない。


「そうかもな」


 振り落ちる雨粒を眺める釣り人のように、それだけ言葉にすれば十分だった。

 痛みを引き受けるのは今朝にはじまったことではない。俺との生活が真奈の中の真奈を奪ってしまわないようにと、俺の時間を真奈にささげた。もしかしたら、チップを取れないホテルのボーイのように迷惑をかけたかもしれないが。

 しかし、どれほどの屈辱であっても、それが彼女に魅せられた男の宿命だ。


 俺は、今度こそ、ヘドロのような溜め息を吐いてしまった。

 ベージュのコートを着た若い女が蔑むような目でこちらを見た。声を押し殺すようにして嗤っている。自分もじきにそこに放り込まれることには目を伏せ社会の汚れを笑うところから察するに、大学生だろうか。


 女は俺の視線に気づいたらしく、怯えたように視線をそらした。しかし授業参観を待ち望んでいた子供かなにかのように背もたれ越しにこちらの顔を覗き、隣の男に笑いかけた。

 と、まったく同時かのようなタイミングで。

 男は俺をちらと見て、呟くように女になにか言った。女は憮然とした様子で座りなおした。


 そうすることで強い男であることをアピールしているかのようだ。弱い男の俺にそう思わざるを得ないよう仕向けているかのようですらあった。口の中には濃すぎるコーヒーの苦みが、足元の床に黒くへばりつく吐き捨てらたガムのようにへばりついている。

 そういえば、俺もまるで親にでもなったかのように真奈を叱ったことがある。

 色褪せた八ミリフィルムのようにノイジィな記憶だが、仕事で使う書類を汚されたときと、学生時代から持ち続けてきた靴を捨てられたときだ。たしかにあのとき、躾けのいきとどいていない駄犬のように声を荒げてしまった。


 しかし、駄犬は自らの情けない咆哮にしゅんとした。

 仕事で使う書類を長期休暇前の小学生のように持ち帰ったのは俺自身。それが髪のご加護によって汚されることはないと信じてでもいたのか、置きっぱなしにしたのも同じだ。靴にしても、ろくに手入れもせず履くこともなかったのだから傍からみればゴミのようにしかみえない。


 天秤の片側に真奈を乗せるのなら自分ももう片側に乗って釣り合いをとらねばならない。声を荒げてしまったことも含めて、悪かった、とまるでしこたま慰謝料をせびられた浮気男かのように謝った。それは眦に涙をためて謝る真奈の姿に、躰を引き裂かれたからではない。

 真奈を謝らせたのは俺で、それ以上の意味を求めるのは破れた紙皿を金接ぎするようなものだ。


 視界の端でさきほどの若い男が手を伸ばし、女の髪を慈しむようにそっと撫でた。一言か二言つぶやいて、叱られた子供のように小さく頭を下げる。逆に女は母親のような頷きを返していた。どうやら彼も、俺と同じく天秤の片側にのったのだろう。


 ふいにバスが投げ縄をかけられた牡牛のように急制動をかけた。

 帰宅途中の子供が振り回すランドルセルのように躰を振られた俺は、人の指を認識した蟹が鋏をもちあげるように反射的に肘をあげていた。ビニールがかけられたままの羽根布団のようななにかにぶつかった。護送される囚人のような乗客の背中だ。ぶあついクッションのようなダウンを着ている。

 ダウンを着た乗客は、まるで首から下が動かなくなってしまったかのように目だけを動かし、力強い牡牛に振り回される哀れな俺を、蛇のような目をして睨んだ。


「すまん」


 野良の動物たちと同じように、合わせた視線は決して外してはならない。謝罪の言葉であっても音声に変わりはなく、それは鳴き声と同じ。ダウンを着た男が鼻白み敵意を失うのを確認した俺は、今朝までの俺と真奈のようなあるべき姿を保つカップルに目を向けた。やはりかけた秤は片側に落ちてはならない。


 まるで枯れた木々の間に若芽をみたときのように頬が緩む。昔は俺も、ああだったのかもしれない。

 風一つ吹かない湖面に揺蕩う一枚の草葉のように止まったままのバスは、まるで自らの巨大な体躯はそこにあるべきと言わんばかりに動きだそうとしない。

 吸い寄せられるかのように左手に巻いた腕時計に目を落とす。盤面上のシンプルな字体の数字に挟まれた長針は、まるで日常に抵抗しようとしているかのようによく見知ったそれより数ミリ先に進んでいた。


 ドストエフスキーがうけた穴を掘って埋めるという拷問とも似た労働を課される刑場へとつづく道は、混んでいるようにみえない。哀れな囚人を新たに拾っているのだろうか。


 俺は舞踏家のごとく背中を反らせ、乗車口を覗きこんだ。新たな乗客に透明人間が含まれているのでもなければ、一人もいないといえるだろう。ふたたび腕にまとわりついて無機質に時を刻む残酷な現実に目を向ける。どうやら一本か二本、刑場へと引かれた線路に乗るのを遅らせる必要があるらしい。


 まるで安楽椅子でパイプをくゆらす大学教授のように鼻で息を吐きだし、車内前方の電光掲示板に目をやった。表示されている死刑宣告は一分と変わりはしない。違う時計を認識したからといって、シュレーディンガーの猫よろしく観測自体に依存して電車を逃す未来に変化がおきるわけでもない。


 掲示板の表示が場末のスナックのネオン看板のように切り替わる。×月××日という無味乾燥とした表示が無機質さを強調するかのようだ。。

 俺は前に向き直り――安っぽい俳優がそうするように慌てて時計を見直した。石板に刻まれているかのように×月××日という表示に間違いはない。電子と光で構成された物質世界で光速度を得ていない俺は日付をずらすことはできない。凍てつく外気に晒されているかのようだ。


 ――誓いという名目で首に巻かれた鎖、すなわち結婚記念日。


 正直、美しい輪を重ねるダマスカスのような確信はもてない。推測がたしかならば酒を呷り前後不覚となったトールのように失敗をしたのはこちらとなる。

 俺は今朝、食事を終えてすぐ真奈に、冤罪を訴える犯罪者のように言った。


「悪いんだけど、今日、遅くなるから。夕飯いらないし、先に寝てていいからね」


 真奈がギリシャ神話で語られる女神ヘーラーのように不機嫌になったのは、その瞬間からの気がする。いや、すでにその系で世界が説明されるニュートン力学系ほどには間違いないのではないか。


 ――やっちまった。


 俺が真奈と似ているように、真奈は俺に似ているところがある。天秤の両端とはよくいったのもので、互いに譲り合ってしまうのだ。できることなら、真奈に暴力的な夫に悩むような真似はさせたくはない。だからこそ、籍を入れた日の夜、二人で鋼鉄の鎖よりも強く、約束をしたのだった。


「結婚記念日くらいは一緒に過ごすことにしようか」

「一緒に過ごすって、どれくらい?」

「どれくらいって、そうだな。えっと、睡眠時間を含めて十二時間以上、とか?」

「なにそれ。八時に宗太が家をでたとして、帰ってから四時間? 残業あったら?」

「そんときは、えーと、風邪でもひくよ」

「本気で言ってる? まぁ、私はいいけど。っていうか、ちょっと嬉しいけども」


 近年普及しはじめた4K映像なみに鮮明によみがえる頬を染めた真奈の笑顔に、まるで自分が幽霊であることを知らされた亡者のように血の気が引いた。古代から独裁的な王が英雄と契約を取り交わしては反故にしてきたように、自分で取りつけた約束を自分で破ってしまうとは。


 次の瞬間、俺は甘夏の皮にも似たオレンジ色の降車ボタンをジャブでも打つかのように叩いていた。乗客のみなさまお忙しい時間に申し訳ない、と心中で呟き、俺は何かに突き動かされるかのようにバスを飛び降りた。

 神が気まぐれに愚者を救い上げようとでもしたのか、バスとなじまパークサイドは月と地球程度の、遠くみえて天文学的には接触しているに等しい距離しか離れていなかった。

 まずは歩き出し、犬のように足を速め、馬のように駆けだしていた。

 エレベーターシャフトのなかに油でも満たされているのではないか思う位に遅く感じるエレベーターを待っていられず、螺旋を描いて昇る絶壁のような階段を駆けあがり、真奈への到達を拒むかのような岩戸のごときドアを力任せに開いた。


「真奈!」

「えっ? なに!? どうしたの!?」


 部屋の奥から聞きなれた春の訪れを告げる一陣の風のような声がした。

 帰宅した主人を出迎える猫のように小走りででてきた真奈は、目を丸くしていた。

 俺はまるで幼児が砂山崩しに使う山に刺した棒のように頼りない膝に手をつき、愛車であるビュイックのエンジンキーを雪の中で捻ったように荒い呼吸をくりかえしていた。


 かつて尊大な王たちもそうであったように運動不足だ。変声期を超えてしまった少年青果多用のように、その声を出そうにも出やしない。ただ止まっていた冷気の中であったのに、駆けてしまったことで自ら吹雪に足を踏み入れてしまったかのように喉も耳も痛む。


 真奈は、夕暮れにディオニス王の前にたどり着いたメロスのように肩で息をする俺の耳を、そこに産まれたばかりの卵でもあるかのように優しく両手で覆った。


「うわっ、冷た!」


 まるで誤って赤熱する鉄塊に指をふれでもしたかのように素早く引っ込めた手に、ほう、と吐息を吹きかけ、再び俺の耳を掌の中で氷を解かすかのようにつまんだ。


「どうしたの? 忘れもの?」

「ちがくて、そうじゃなくて」


 気づけば俺は涙型のすあまのようにたしかな存在感をもつ柔らかな真奈の手を握り、その温かさをに励まされるようにして顔をあげていた。


「ごめん、忘れてた。ちゃんと、定時で帰ってこれるようにするから」

「へ? そんなこと言うために帰ってきたの? 電話は?」

「えっ」


 見上げた真奈は――実際に撃ったことはないし豆鉄砲というのが何かもしれないが――鳩が豆鉄砲を食らったかのように、きょとん、としていた。閉じられた唇の端が上弦の月のようにじわじわとあがっていき、ついにはこらえきれなくなったか、インターネット上で散見されるコーヒーを噴きだす探偵物語の松田優作の写真のように噴き出した。


「もう。宗太は昔っから、変なことばっかりするよね」

「なんだよそれ。慌てて帰ってきたのに」

「っていうか、定時って? なんで? なにかあったっけ」

「はぁ!? いやほら! 今日、結婚記念日だろ!?」

「は?」


 真奈の眉が、まるで要領をえない電話越しのセールストークを耳にしたかのように寄った。かつてヘーラーがそうであったように怒れる女神と化した。

 いやそれよりも、俺の予測が施条ライフリングの刻まれていないライフルと同じであったのなら――、


「じゃあ、なんで今朝は不機嫌だったんだよ」

「えっ?」


 しばし考えていた真奈は、指先を揃えて、空手家よろしく頭に手刀チョップを落とした。


「痛って」


 俺はそうすることが自然のように思える程度のいわば漫才におけるツッコミのような意味合いを含む微かな痛みに、頭を押さえた。


「なんだよ。朝、機嫌悪かったじゃんか」

「もう、バカだな。そっちは憶えてるのに、こっちは忘れるんだ?」

「だから結婚記念日に――」

「そっちじゃないってば」


 そう言って、真奈はアメコミヒーローの立ち姿と同じように両手を腰に当てた。さらには俺を見下ろすかのようにして、たん、たん、とまるでスリッパをバスドラムを打ちつけるフットペダルに見立ててでもいるかのように、リズムまで取っている。


「二人で約束したよね? 結婚記念日は宗太の約束を守って――」

「あっ」


 彼女の与えてくれたヒントによって、4K映像で再生される結婚記念日の約束をした会話、そのエンドロールで流れる台詞を思いだした。

 あの日、真奈は、まるで往年のフランス映画の女優のような調子でいった。


「じゃあさ、結婚記念日から半年後は、我儘デーにしよっか?」

「はぁ? なにそれ?」

「一緒にいてくれるのはいいけどさ。それだと、宗太ばっかり大変でしょ?」

「そうか?」

「そうだよ。だからさ、ちょうど半年後は我儘デーにして、宗太は気をつかったりしないで、我儘いってもいい日にしよう?」


 そう言って、真奈は、猫がそれは自分の持ち主であることを示すためにマーキングをするかのようにして頬をすり寄せてきたのだった。

 真奈はにんまりと笑い、両肩に挫折を乗せた俺の肩を叩いた。


「思いだした?」

「思いだした」

「それじゃあ、問題。なんで私は、不機嫌だったのでしょう?」

「……俺が、悪いんだけど、って言ったから」

「正解!」


 弾むような声をあげ、真奈は俺にまるで数年ぶりに再会した夫にするかのように抱きついてきた。


「いつもありがとう。宗太」

「もういい。俺、今日は風邪ひくわ」

「我儘デーは、会社の人には通用しないよ?」


 俺の背中をさする真奈の手は、飼い犬に対してご主人様がするそれだった。



 投げ出したくなるほど大変だった。途中の比喩が力抜けしているのは勘弁してください。キツいです。なにを想像していたのだか分からなくなります。こんな文章をすらすら書けるような人は尊敬に値すると知りました。

 私は、したくない。

 

 文字数にしておよそ四千字分くらいが増量されています。

 目的が比喩だらけの文章なのでしかたないないのですが。

 

 失敗したなぁ、と思うのは、比喩をいれようとしすぎて宗太くんがキャラブレしているっていう。このあたりは注意がいりますね。

 あと私は、致命的に一人称に向いていないらしい。キツかった。

 次回は変な文体にしたいなり。


一応、誤字とりしました(2月14日)

やっぱり慣れない文体は、誤字でも目が滑りやすい。

……単純にチェックが甘いんだろうね。

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