第七章:矢部桐人と巨影の焼却-1

 無気力な生活であっても生活費は必要であり、いつまでも父に心配をかけ続けるわけにもいかなかったため、新しい仕事を探し、そして今の職に就いた。


 仕事内容を聞いた時、微かな期待があった。

 俺には計り知れないような超常的な何かが、否応なしに俺の存在をこの世から消し去ってくれる日がくるのではないかと。

 だが、その期待は外れ続けた。この前の島の時は、良いところまでいったと思ったのだが、結局俺自身は傷一つ負うことはなかった。


 しかし今漸く、その時が来たのだ。

 諸悪の根源が消去される時が。


 俺はそう悟ったつもりでいたが、結論から言えば、そうはならなかった。

 恐らくは俺の心臓を狙って引き金を引いたのであろうボロボロの手は、発砲の反動どころか、銃の重みにすら耐えきれていなかった。

 本来の狙いには到底届かないように見えたその弾道は、それでも、俺の左脛を撃ち抜いた。

 頭が状況を理解するよりも先に、どくどくと流れ出す血が視界に入る。そして痛みを感じるよりも先に、左脚が体重を支えられなくなり、俺はそのままバランスを崩して転落した。


「何だ、今の音は?!銃声か?!」


 少し離れたところに転がっている無線から響く有馬さんの声で、俺は意識を取り戻した。いつの間にか、冷たい床の上にうつ伏せに倒れている。どうやら一瞬、気を失っていたらしい。そしてその時になって、ようやく、左脚にはしる激痛を自覚した。


 痛い。


 痛いというよりはもはや熱い。

 いや、痛いのか熱いのかもよく分からない。


 あまりの痛みに床でのたうつと、顔の向きが変わったその時に、すぐ傍にある人体模型のような顔と目が合い、一瞬にして血の気が引いた。

 いや、目が合ったと思ったのは気のせいで、その目はもはやどこにも焦点が合ってはいなかった。

 床と接した後頭部からは、血溜まりがじわじわと広がっている。

 発砲の反動に耐えられず、後ろに倒れて後頭部を打ったのか?


 いや、違う。


 うっすらとだが、転落する途中で何かにぶつかったような記憶がある。

 恐らくこいつは、落ちてきた俺を避けきれずに巻き添えを食らい、倒れた時に後頭部を床に打ちつけてしまったのだ。

 死んだのか――。

 そう思った時、そいつはごほっと咳き込んで血を吐いた。ぜぃぜぃという喘鳴とともに、歯を剥き出しにしたその口が言葉を紡ぐ。


「……様、私は役目を……どうかこの世界の未来を……」


 だが、その言葉は途中で止まり、そして、それとともに喘鳴も止まった。元々焦点が合っていなかった目が、急速に光を失っていく。

 後頭部からの血溜まりだけが、あたかも本体の命を喰らって成長する別の生き物か何かのように、その後もじわじわと広がり続けた。

 それが俺に達しそうになり、慌てて俺は体を動かした。その途端に、忘れかけていた左脚の痛みが蘇る。いったん意識すると、さっきまではいったいどうやってこれを忘れかけていたのか自分でも分からないほどの痛みだ。

 その痛みをこらえながら、体を起こして左脚の怪我に目をやる。

 撃たれたのは脛の真ん中よりやや下、足首より少し上あたりだ。そこを中心として、ジーパンがぐっしょりと血で濡れている。しかしそれでも、出血のスピードから考えると動脈を撃ち抜かれてはいないはずだ。特に医学の知識が豊富というわけではないが、仮に動脈が傷つけられたとしたらもっとすごい勢いで血が吹き出るものだと思う。


 俺は、顔を覆うのに使っていた布で脚を縛り、止血を行った。

 やれやれ。

 手を動かしながら、俺は苦笑する。

 これでもう完全に動けもせずすぐに命が尽きるような類の怪我だったら、俺は精一杯頑張ったけどそれでも駄目だった、と言い訳もできたというのに。

 そうしてから、なるほど確かにこんな悲惨な状況でも笑えるものなんだな、と隣で息絶えた男に目をやった。もっとも、さっき笑った時のこいつは、今の俺よりもよほど酷い状態だったが。

 そういえば、俺の転落に巻き込まれたせいで死んだのだとしたら、こいつを殺したのもやはり俺ということになるのだろうか。俺が階段から転落していながら、撃たれた脚以外はさほどダメージを受けていないのが、こいつがクッション代わりになったためだとしたら、俺はまたも他人を犠牲にして自分だけが生き残ったというわけだ。

 

 やはり、こんな害悪にしかならない人間は早く消えた方が良いな。


 改めて、そう思う。

 だが、まだ駄目だ。

 さっきはここで撃たれて死ぬことを受け入れてしまったが、やはり最後の最後くらいは人の役に立たなくてはいけない。まだ俺は、自分の役目を終えていないのだ。

 隣の男は、己の役目を果たして満足して死んだのかもしれない。俺如きを撃つことのどこにそれだけの意味があるのかはともかくとして。

 だが、俺の方はまだなのだ。

 せめてそれくらいは、ちゃんとやり遂げてから死ななくては。

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