幕間「愚者は窮地で追憶する」-1
銃口を向けられた時、俺は自分の人生を思い返していた。
いわゆる『まるで走馬灯のように』というやつだ。
もっとも、俺の人生は走馬灯が見せる影絵のようにきれいなものではない。よく考えてみると、本物の走馬灯というものは見たことがないのだけれど。
殺意を明確なかたちにして俺に向けてきたのは、恐らく目の前のこの男が初めてだろう。だが、これまでにも俺を殺したいと思った人間は何人もいたはずだ。
『殺したい』というほど積極的なものではなく、『消えて欲しい』くらいなら、もっと多いだろう。
なにしろ、俺は生まれた時点で、人を一人殺していて、それによって周囲の人達を不幸にしてきたのだから。
俺の両親の結婚は、祝福されたものではなかった。当人達はともかく、どちらの家の人間も、それを喜ばなかったのだ。
母方の家にとって不満だったのは、父の家の家格とでも言うべきものだった。母の実家はいわゆる古くから続く由緒正しき名家であり、俺にとって祖父母にあたる人達は、娘に自分達と釣り合う家格、あるいは諸々の事情を鑑みて妥協するにしても、少し下くらいの家格の人間と結婚するべきだと考えていた。
しかし俺の父の方は、家格なんてものとは無縁の一般家庭の出身だった。
では、父方の実家はどうかというと、息子が“良い家の御嬢様”を掴まえたことを喜んだなどということはまったくなかった。
彼らの方には家格などというものを重く見るような価値観は無かったし、その一方で、別のことは重要視していた。
つまり、ちゃんと孫ができるのか、という点だ。
母は不妊体質というわけではなかったが、生まれつき病弱で、体力的に出産は無理だろう、と主治医に言われていたのだ。
プライドが高い母の実家が、少しくらい家格が低い相手でも妥協しなければならないと考えなくてはならなくなった諸々の事情とは、つまりそれだった。
結局、両家の反対を押し切り、というよりは半ば無視するようなかたちで、父と母は結婚した。陳腐な表現になるが、それだけ二人の愛は深かったということなのだろう。
もっとも、俺は母が生きていた時の二人の様子を見たことは無いわけだが。
さて、その後のことは、これまでの話の流れからお察しの通りだ。母の主治医は正しかったことが証明された。
いや、部分的には正しかった、というべきかもしれない。俺自身はこうして、生まれてきているのだから。
父は、母の死から十年以上経っても、母の写真が飾られた仏壇の前で魂が抜けたように座り込んでいることがしばしばあった。俺にはできるだけそうした姿を見せないようにしていたようだが、夜中にふと目を覚ましてトイレに行く途中、明かりの漏れる仏間を引き戸の隙間から覗くと、そんな父の姿を見ることがあった。俺が見ていない時も含めれば、父がそうやって過ごした時間は相当な長さになったに違いない。
父母それぞれの実家の互いに対する敵意は、恐らく母の死によって更に増したものと思われる。
母方の親族に俺が直接会った回数はそれほど多くはないが、どうやら俺を父のもとから引き離して、自分達が引き取ろうと画策していたようだ。今にして思えば、幼少時の俺に彼らがかけてきた言葉には、それが目的としか思えないものがいくつもあった。
父方の親族達が話していたのを聞いた限りでは、硬軟織り交ぜた説得にもいっこうに首を縦に振ろうとしなかった父は、母方の親族達から様々な嫌がらせも受けていたようだ。
一方、父方の親族達は、しきりと父に再婚を勧めていた。しかしこれにも父は首肯かなかったらしい。
俺が一連の経緯を知ったのは、そんな父方の親族達の口からだった。
無論、面と向かってそれを教えられたわけではない。当時の俺は中学に上がる少し前くらいで、さすがに彼らにも、子供に向かってお前の母親はお前のせいで死んだのだ、今もこうして諍いが続いているのはお前のせいなのだ、と言ったりはしないだけの良識はあった。
現に俺はそれまで、単に母は俺がまだ赤ん坊だった頃に病気で死んだとしか聞かされていなかった。
だから、俺がそれを耳にしたのは、本当にただの偶然だ。
父の実家でたまたまある部屋の前を通りかかった時、何度目かの再婚の話を父に断られた親族達が話しているのが聞こえてきたのだ。
そうして俺は、母が死んだのは俺のせいであること、そして父の苦労が絶えないのは、母方の親族達が多くのコネを利用して繰り返している種々の嫌がらせのせいであることを知った。
閉じられた扉の向こうから漏れてくる声の一つが、忌々しげにこう言うのが聞こえた。
「いっそのこと、あの女との間の子供など生まれていなければ良かったのだ。そうなっていれば、あいつもさっさと再婚しただろうし、子供も一人と言わずもっと生まれていて、あいつも幸せな家庭を築き、もっと幸せな人生を送れていただろうに」
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