第五章:琴家ルルからヒュドラに再見-3

 その運命の一発を放とうとしたその刹那、有馬は闇に包まれた。


 いや、これは闇じゃない。

 だ。


 タコが吹いた墨が、有馬とその周囲を覆い、そしてその黒く染まった空間の中心を目指してタコの足が突っ込んでいった。

 墨が漂う領域からスピアが撃ち出され、海底に突き刺さるのが見えた。だが、海底には何の変化も起きない。海底に擬態したタコではなく、本物の海底を撃ってしまったのだ。墨で視界を奪われたせいで外したのか、それともタコの攻撃を受けたせいで狙いがずれてしまったのかは分からない。

 それと同時に、有馬がいるはずのあたりから弾き飛ばされた何かが、私の方に飛んできた。咄嗟に音響兵器を持っていない方の手で掴まえると、それは有馬のスピアガンだった。

 スピアガンにはあと一発分だけスピアが残っている。だが私には、何を目標にして撃てば良いのか分からない。そしてそれが分かっている有馬は今、丸腰だ。もはや勝敗は決したように見えた。

 どうする?逃げるか?幸いにして、タコの注意は今のところ、私の方には向いていないようだ。有馬を見殺しにすることになるわけだが、それもまた良いだろう。どうせ既に実の弟を見殺しにしている身だ。


 ――あの時のことをずっと後悔してきた、だからもう二度と誰かを見捨てたりはしない。

 これが小説とかの主人公なら、きっとそんな風に考えるのだろう。

 だが、生憎と私はそんな殊勝な考え方をする人間ではない。

 なるほど有馬には先刻の一件で確かに多少の恩は感じている。だが、私が冷血無情にして冷酷無慈悲であるその所以は、私がどんな人間のこともどうだって良いと思っているから

 どうだって良いとは思っていない人間であっても、いざとなれば見限れるからだ。養父とうさん、養母かあさん、螺々や璃々、それに麗奈だって好きだし、大切だ。でも、見捨てることはできる。

 恩人親友恋人家族、誰であろうと見限り見捨てて見殺せるのだ。まして、今日出会ったばかりの有馬に至っては言うまでもない。


 しかし、そもそも私は、何のために危険を冒してまたここへ来たのだ?散々この私に馬鹿を見させたこのタコに意地を見せるためではなかったのか。

 今日の経験は、私の本質をこれっぽちも変えやしないだろう。

 冷血無情にして冷酷無慈悲、人を見殺し人を喰い、それに罪悪感一つ覚えない。今もそうだし、たとえあの時に戻ってやり直せたとしても、きっと同じだろう。

 だが…… 

 だが、慈悲は無くとも意地はあり、情は無くとも矜持はある!

 私は、決心した。

 有馬がタコの目を引きつけているうちに、私が倒す。


 しかし意気込みだけがいくら立派でも、相手の本体が見つけられないのではどうにもならない。

 だいたいの位置だけなら分かるのだ。

 ついさっきタコは、墨を吹き出すことで有馬の目を眩ませた。だが、それは同時に、墨を吹くのに使う漏斗ろうとという器官のおおよその位置を私に教えてしまう行為でもあった。そして、漏斗はタコの胴体と頭の境目あたりにあるのだという。つまり、さっき有馬に向かって墨が吹き出されたあのあたりに、胴体や頭があるはずだ。

 だが、それでは、飽くまでもだいたいの位置しか分からない。少しずれて足の付け根近くを撃ってしまってはまた自切で対処されるし、ただの海底を撃ってしまっては目も当てられない。

 せめて何か目印でもあれば……。

 さっきタコが墨を吹く直前、有馬は確かに、どこかに狙いを定めていた。いったい有馬は、何を目印にして撃とうとしていたのだろう?私には見当もつかない。有馬と私では、目の付け所が違うのか。『このUMA探偵・有馬勇真の目は誤魔化せない』とか豪語していたのは伊達ではないということか。


 ちょっと待て。


 目は誤魔化せない?

 何かがひっかかった。

 前に有馬は、タコの擬態について何と言っていた?

『皮膚にある色素胞を筋肉を使って拡げたり縮めたりすることで体色を変化させる』

 そうか。

 そこだったのか。

 目から鱗が落ちた。


 私は、墨が吹き出たあたりの海底を目指して泳いだ。墨は拡散してもうだいぶ薄くなってきている。

 さすがにタコも私の動向に気がついたのか、途中で有馬と戦っているのとは別の足が一本、こちらへ向かってきた。すかさず、墨が吹き出たあたりの海底に向けて音響兵器を撃つ。タコの足の動きが止まった。さっき闇雲に撃った時と違って、なかなか再度動きだそうとしない。

 漏斗があるあたりに向けて撃ったのだから、その近くに頭もあり、脳に直接ダメージがあったのかもしれない。

 その間に私は、目当てのものを探し……そして見つけた。

「目標確認」

 私は、口の中で呟きながら、にやりと笑った。

な、タコ」

 タコは、体色を変えるのに、皮膚にある色素胞を使っている。だから顔色を変えて敵の目を誤魔化せるが、しかし目の色までは変えられない。

 そう、自分自身の

 つまり、目こそが目印だ。


 普通の大きさのタコなら、目なんて海底の砂粒に紛れてしまって見つけられないかもしれない。だが、これほど巨大なタコとなれば話は別だ。目だけでも、十分に目立つ。

「今こそ、目に物見せてやる!」

 私は、音響兵器を放り出してスピアガンを両手で構え、タコの眼球目がけて撃った。

 スピアは見事に、目標に突き刺さった。

 これが地上悽の怪獣だったら、断末魔の悲鳴をあげていたところだろう。地震のように海底が波打った。いや、海底に擬態していたタコが身悶えしたのだ。

 そうしている間にも、スピアが刺さった目の周囲から体色が、どんどんタコ本来のものへと戻っていく。やがてその姿がすっかりさらされた時、既にタコは動かなくなっていた。

 擬態は生きる術。なればこそ、それが見破られたその時は、もはや生きることも能わないのだ。


再見じゃあな

 私は海底に横たわるタコを一瞥いちべつして、別れの言葉を告げた。

 一つのきっかけで全てが見破られ、そしてそれによって全てが終わる。あるいは、私の最期もこんな感じになるのかもしれないな……と、ふと思った。

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