第五章:琴家ルルからヒュドラに再見-1

 話はテント内での会話にさかのぼる。


 巨大タコを必ず殺せと命じたカクコに対し、有馬は渋い顔をした。

「気が進まないな。あのタコは、あの位置に近づかない限りは恐らく襲ってこない。しばらくの間、この海域を立ち入り禁止にすれば被害は出ないだろうさ」

「何でそんなことが言えるッスか?」

「それじゃあまず聞くけど、あのタコはなぜ船を襲ったんだと思う?」

「そりゃ、私達を食べようと思ったんじゃないの?」

 有馬は首を左右に振った。

「海蛇だと勘違いしていた時から、あれの行動は捕食を目的としていたにしては何かおかしいと思っていたんだ。最初の目撃証言と、私達の一回目、二回目の遭遇地点が全て同一だった上に、一回目も二回目も、こちらが逃げ出した時には追ってこなかっただろう?狩りが目的なら、もっと動きまわるはずなんだ。もちろん、肉食生物の中にはハンミョウの幼虫やアリジゴクのように一箇所に留まって待ち構え続けるタイプのものもいるが、タコにしろ海蛇にしろそういう生物じゃあない」

「じゃあ何のために襲ってきたっていうのさ?」

「あれは、あの場所を守っていたんだ」

「縄張りから侵入者を追い払おうとしていたってこと?」

「いや、縄張りを守るというなら、あんな風に一点に留まるのはやはりおかしい。あれほど大きい生物なら縄張りの範囲も広くなるはずで、それならその広い縄張りを巡回するはずだ」

「さっきからあれも違うこれも違うって……。だったら何を守ってたっていうの」

「そう、海蛇だと思っていた時にはそれが分からなかった。蛇の中にはニシキヘビのように自分の卵を守る種類もいるが、エラブウミヘビが産卵するのは陸上だし、セグロウミヘビのように上陸しないタイプの海蛇は卵胎生で子蛇を産む。どちらにしろ、海中に卵は無い。がしかし、あれがタコとなると話は別だ。タコの親は、餌もとらずに卵を守り、新鮮な水を噴きつけ続ける。そして卵が孵化した直後、その一生を終える。船ごと転覆させようとせずに、見えてもいないのに船上の人間だけ攻撃しようとしてきたのも、船を破壊した際のオイル漏れで海が汚染され、卵に悪影響が出るのを恐れたのかもしれない」

「何か健気けなげだなぁ。ちょっと殺すのは気が引けるような」

 それを聞いて、有馬は肩をすくめた。

「子供を守るのは立派で、放置するのは悪だというのは人間の道徳だ。その道徳は人間社会を維持するのには有用だから人間に対してそれを当てはめるのは構わないが、他の生物までそういう尺度で評価するのはいただけないな。苛酷な猛吹雪の中で餌も食べずに卵を守り続けるコウテイペンギンは、環境が悪くて餌不足の時は弱い雛を見捨てるカラスより立派というわけじゃあない。コウテイペンギンの住む南極は常に苛酷な環境で、猛吹雪でも餌が無くても卵を守らないと子孫が残せなかったのに対し、カラスの生息する環境では餌が不足した年は弱い雛を見捨てて親鳥と強い雛の命を保全し、餌が豊富な年は全ての雛を育て上げる方がより多くの子孫を残せたからで、それぞれの環境に合った生き方をしているだけだ。あるのは生態の違いであって、貴賎や善悪の差じゃあない。死ぬまで卵を守り続けるタコだからといって、卵を産みっぱなしにしていっさい守ろうとしないマンボウよりも上等な存在として扱うべきということにはならないさ。……まあ、それはそれとして、防衛に徹している上に、じきに死ぬであろうUMAをわざわざ殺しに行く必要性は低いと私は思うわけだけど、何故にカクコさんは必ず殺せとまで言うんだい?」

「それは……」

 カクコは言い淀んだ。

「答えられないようなことなのかな?さてはあのタコは、カクコさんの所属している政府の極秘組織で生物兵器として開発したものが逃げ出した、とかかな?」

「いや、あのタコはけっしてそんなものではない。そうではないのだが……」

「まあちょっとよく考えてみてください、師匠」

 意外なことに、ここで口を挟んだのはイトウだった。

「確かに、今、あのタコが船を襲ってるのは単に卵を守るためで、あのあたりに船を近づけなければ大丈夫かもしれないッスね。でも、それは卵を守っている今の時期だから、とも言えるんスよ?タコは元々肉食の生物ッス。卵を守る時期以外は、普通に他の動物を襲って食べるわけッスよね?並みのタコなら食べるのはカニや魚ッスけど、あのサイズなら……いや、あそこまで大きくならなくても人間を襲って食べるには十分ですし、しかもあの擬態能力じゃ少々人間を襲ったところで気づかれないッスよ?そんなタコが大量に卵からかえってそこら中にばら撒かれても、本当に危険じゃないと言えるッスか?」


 私は想像した。

 海水浴に興じる家族。

 海底には、一見何もいないように見える。しかし実は、海底に擬態した何かが、少しづつ、浅瀬で遊ぶ子供の足に近づいていく。子供は何も気づかない。人間の目には、本物の海底と見分けがつかないのだ。突如、子供の足が引っ張られ、海に引きずり込まれる。海辺に響く悲鳴。足を滑らせたのかと思った母親が、慌てて駆け寄る。しかし、子供の姿はどこにも見当たらない。海底に擬態したタコが、子供の体に覆い被さり、母親の目を欺いているのだ。子供の名を呼ぶ母親のすぐ足元で、子供は身動きも取れず、窒息に苦しみながら、タコに貪り食われていく。やがて食事を終えたタコは、次に、未だ子供を探し続ける母親の足へと触手を伸ばし……。

 ぞっとした。

 有馬も同じような想像をしたのか、顔をしかめた。


「……だが、そんなのは想像に過ぎない。サイズ的に人間を捕食できる肉食動物だからといって必ずしも人間を襲うわけじゃあない。シャチは通常、人を食べたりはしないし、ホホジロザメだって人間を襲ったケースの大半はアザラシやオットセイと勘違いしてのものだ」

「でも師匠のさっきの話だと、あのタコが船ごと壊そうとしてこなかったのは、そんなことをすればオイル漏れで海が汚染されると知っていたからだって話だったッスよね?それって、実際に船を襲って壊した経験があるってことじゃないッスか?」

「いや、それも飽くまで想像であってだね……」 

 有馬はまだゴネるかと思われたが、大きく溜息をついたものの、やや意外なことにここで引き下がった。

「まあ、良いさ。何やら本当の理由は言えないみたいだが、そこまで食い下がるからには、よほどの理由があるんだろう。ここはカクコさん達の言う通りにしようじゃあないか。で、親ダコの方だけでなく、卵も処分しなくてはいけないのかい?」

「ああ」

「大量の卵を全て殺傷するとなると、スピアガンでは不向きだね。もっと広範囲に影響を与えるものでないと。かといって毒を撒くというわけにもいかない。となると、これかな」

 有馬は積んであったトランクの中から、また新しいものを引っ張り出した。トランクの中には妙なものが入っていた。武器というよりは、盾のように見える厚めの円盤だ。ただし、銃のようなグリップと引き金がついている。

「何それ?」

「指向性音響兵器だ。頭足類は低周波音に弱い。船のソナーはダイオウイカの死亡を引き起こすと報告されているし、マッコウクジラがダイオウイカを狩る際にも音波による攻撃を加えているという説もある。あの親ダコサイズとなると、さすがにこの程度の音響兵器では最大出力で攻撃しても怯ませるくらいの効果しかないだろうが、卵の中の子ダコを殺すには十分なはずだ。攻撃範囲も広いから、大量の卵を殺傷するのにも適している」

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