エデン
村崎瑠璃
僕たち、出会わなければよかったね
そこは地上の楽園と称されるにふさわしい場所であった。
空を映したようなエメラルドブルーの海、白いサンゴ礁と色とりどりの魚の群れ。
広大な海にぽつんと浮かぶその島は周囲を白い砂浜と手付かずの自然に覆われていた。
島へ辿り着くには飛行機を乗り継いで十時間、船で三時間の丸半日かかる。
下船した二人は誰もいない島の片隅で小さく驚嘆の声を上げる。
夢にまで見た無人島生活。手を繋いで砂浜に足跡を残しながら小高い丘にひっそりと佇むコテージを目指し歩いた。
二人は恋人同士だった。
インターネットを通じて出会い離れた土地で暮らす彼らは互いの仕事もあり中々二人でゆっくり会うこともままならかった。
それでも何度か連絡を取り合い、二人の国を行き来しながら共に愛を育んできた。
次はいつ会えるのだろう、このまま時間が止まってしまえばいいのに。
別れの際はいつも辛い思いを強いられていた。
そんなある日、知人からこの無人島の話を持ちかけられた。
知人は若い頃貿易会社を経営し成功を納め、今は稼業を引退して一人インドで悠々自適の隠居暮らしをしている。
そしてこの美しい太平洋に浮かぶ無人島の別荘を格安で買い老後妻と二人で住もうと考えていた。
しかし家を購入してまもなく妻に先立たれてしまい子供もいなかった彼が持っていても仕方がないと判断しちょうどこの別荘の引き取り手を探していたところだった。
その話を聞いて二人は迷わず彼の別荘を買うことに決めた。
ずっと前から仕事も何もかも忘れて、二人で何処か南の島でのんびりしたいと思っていた矢先のことだった。
そうして誰にも邪魔することのできない二人だけの楽園を手に入れたのだ。
コテージへ辿り着いた二人は早速トランクを置いて家の中を探検した。
広々としたリビングにダイニングキッチン、奥にはクイーンサイズのベッドが入った寝室。
海一面を見渡せるテラスにはジャグジー付きのバスタブがついていた。
この一帯にも幾つか島がありどれも海外セレブの避暑地だったり島一個分が観光地用のホテルになっている。
食料の買出しや病院、レストラン等はここから船で三時間くらいの距離にあるが既に冷蔵庫には一週間分の食料で満杯になっていた。
二人ははやる気持ちを抑えきれずそのまま寝室へ直行した。
今まで会えなかった時間を埋めるように二人は唇を重ねた。
それから朝も昼も晩も忘れ愛欲に溺れる日々を送った。
したくなったらして、腹が減ったら何かを食べ、眠たくなったら二人抱き合って眠る。
そんな単純なことを当たり前にできることが二人は嬉しかった。
ベッドにねっころがったまま裸で無邪気に笑い合うその姿はまるで生まれて間もないアダムとイヴのようだった。
二人は苦しみも痛みも知らない。知らなくていいのだ。ここはそういう場所なのだから。
あるとき二人で森を散歩中に片方が蛇に噛まれてしまった。少量だが毒を持つ種類の蛇だった。
急いでコテージに戻ろうと海岸を走っていたときにそれを発見してしまう。船だ。観光用の船じゃない。政府直属の軍艦だ。
見つかってしまった。
二人は帰宅を諦め近くにあった洞窟に避難する。
それと同時に雷が鳴り大規模なスコールが始まった。
まるで世界に責められているようだ。
毒が全身に回るまであと数時間。だけど家に戻るわけにはいかなかった。彼らに捕まってしまう。捕まったその後は…。
きっと罰が下ったのだろう。
彼らは世界を敵に回したのだから。
そこは同性同士の恋愛が許されない世界であった。
同性愛は聖書に出てくるソドムとゴモラのように世界に災厄をもたらすと考えられていた。
だから見つかれば死刑だった。今まで何万人も処刑されてきた。
それを恐れて同性愛者たちは異性と結婚する道を選ぶか孤独死するしかなかった。
彼らにはお互いに親に決められた相手がいた。そして結婚して子供もいる。
インターネットで彼と出会ったのは偶然だった。 いつしか画面越しじゃ物足りなくて日に日に募っていく思いに耐えきれず隠れて逢瀬を重ねた。
彼が好きだ。でももう彼に会ってはいけない。何度も諦めようと思った。
だけど互いの気持ちに嘘はつけなかった。
七日間、二人は楽園と呼ばれる島で過ごすことを決めた。
その間だけ家族も世間の目も何もかも忘れて愛し合い、その後二人は別れようと決めていた。
そして七日目の今日、帰る予定だった。それなのに見つかってしまった。おそらく妻が通報したのだろう。
毒が回って来たのか恐怖からかどんどん体は寒気が増し震えが止まらない。
世界を裏切って家族を裏切って彼らに残ったのは胸ポケットに入った一本のタバコとライター。
二人は身を寄せ合い互いの体をあたためるように抱きしめあった。そしてライターで火をともし暗い洞窟のなかで一本のタバコを分け合った。
嵐はいつのまにか止んだ。そんなちっぽけな二人を海に溶けた星空が見つめていた。
絶望の中で彼らが手にしたのは幸福だった。
こんなにも愛しいと思える人と巡り会えたこと。
そして短い時間だけれど共に時間を過ごせたこと。
それで十分だった。
翌朝二人は洞窟を出て島の一番高い丘へと登った。
その下は波が激しく岩に打ち付ける断崖絶壁だった。
地平線上から覗く太陽が反射してキラキラと水面が輝いている。
二人でその絶景を目に焼き付けていた。
「僕たち、出会わなければよかったね」
「そうだね」
その通りだと思った。
自分たちのせいで周りの人間を不幸にしてしまっている。二人が出会わなければきっと平凡だけど人並の幸せな暮らしが待っていたに違いない。
なのに出会ってしまったのだから運命とは残酷だ。だからこそ彼らは願う。
来世も二人で一緒になりたい。
それも嘘偽りのない本当の気持ちだった。
例えまた同性同士でも彼を愛してしまうのだろう。
死が二人を分かつことはできないのだ。
彼らは手を繋いだまま朝日輝く海へ身を投げた。
誰も彼らを咎めることの出来ない自由な世界へと旅立った。
そしてまたこの島に迷える子羊が辿り着いた。
今現在この島には男も女も関係なく、愛を誓った恋人同士が一生添い遂げることが出来るという伝説が残っている。
そんな噂を耳にしてやってくるカップルが後を絶えなかった。
法も神も裁くことの出来ないこの美しい島を人々はこう呼んだ。
「エデン」と。
エデン 村崎瑠璃 @totsukitouka
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