第14話 衛生兵

執務室の外に足音が聞こえ、ドアがノックされた。

先導の兵士に促され、上背のあるがっしりとした体格の男が硬い面持ちで部屋に入ってきた。


男はクルフを見るとはっとしたような表情になり、無遠慮な眼差しで上から下まで眺めまわした。

構わずクルフは男に座るように促し、口を開いた。


「バトラム・ダルトン軍曹ですね」

「あんたか、混血の将校っていうのは」


ぞんざいな口調だ。それでもクルフは平静を保ったまま穏やかに続けた。


「リーベン少佐から話がありましたか」

「ずっとあんたに一言言いたいと思ってた。何を聞き出したいのか知らんが、怪我人を無理矢理歩かせるようなことはやめろ。捕虜虐待だ」

「ダルトン軍曹」


クルフはやんわりと制した。


「あなたとお話しする前に、ひとつだけ注意しておきましょう。あなたは自分の階級と立場をわきまえたほうがいい。その態度と口の利き方では、将校に対する不敬罪で懲罰房に放り込まれても文句は言えませんよ」


微笑みこそ作っていたが、普通の人間が聞けば思わずぞっとなるような声音でそう告げた。


だが、目の前の男はよほど豪胆なのか、それとも単に鈍いのか、まったく堪える様子がなかった。

胸を反らせてわざとらしく姿勢を正すと、敵愾心に満ちた目でクルフを睨み、慇懃無礼に言い放った。


「これは失礼いたしました、大尉殿」


クルフは表情を消して大柄な捕虜を見つめた。

直情的で猛進型の人間。うまく焚きつければ簡単に情報が手に入る。

相手の挑発的な態度にこれ以上関わることはやめ、本題を切り出す。


「先日の戦闘は何を目的としたものか、あなたは知っていましたか?」


ダルトンは少し考えてから、話しても問題がなさそうだと判断したのか、ぶっきらぼうながらも素直に応じた。


「ズノーシャ丘陵に布陣する部隊の撃破だ」

「では、ズノーシャを攻略できたとして、その後の目標については知っていますか」

「それは知らない」


即答したダルトンを、クルフは黙ったまま疑うような眼差しで見やった。

ダルトンは肩をすくめて声を大きくした。


「本当に知らないんだ。一つの任務が終わってから、次の目標が示される。いつもそうだ。それに俺は衛生兵だ。先のことより、目の前の負傷者のことで精いっぱいさ」

「今回はリーベン少佐も負傷しましたね。負傷者は他にも大勢いたでしょうのに、捕虜になったのはあなたと彼の二人のみ。この状況がよく分からないのですが――彼は自分自身に対して、よほど酷い失策を犯したということですか」

「失策をしたかって?」


予想すらしなかった見解を耳にしたとばかりに、ダルトンが声を上げた。


「そんなことある訳ない。彼はいつも細心の注意を払って状況判断して決心する。今回も最後まで留まって指揮を執り、包囲される前に部隊を撤退させた。だが彼自身は足をやられて動けなかった。だから俺は助けに戻った。そういうことさ」

「あなたはわざわざ戻ったのですか? 包囲されようとしている正にその時に?」


クルフが驚きを見せて聞き返すと、ダルトンは当然のことのように大きく頷いた。


「そうだ。あいつを置いては戻れない」


ごく自然に発せられた「あいつ」という言葉に、クルフは強く注意を引かれた。だが今は、あえてそこには触れずに話を促す。


「それは、衛生兵としての矜持ですか?」

「もちろんそれもある。だが、それだけじゃない」


ダルトンはしばらく考えているようだったが、言葉を選ぶように呟いた。


「どう言ったらいいか分からないが――。彼はいつだって俺たち部下を何より大切に思ってくれてる。そんな上官をひとり置き去りにして逃げ帰るわけにはいかない」

「あなたはずいぶん少佐のことを慕っているようですね」

「俺だけじゃない。彼の部下はみんなそうだ」


ダルトンの言葉に、クルフは大きく頷いて同意を示した。


「ええ、きっとそうだろうとは想像できます。ここ数日、幾度か少佐と話す機会を持って、彼が真面目で誠実な人柄であろうことは窺えました」


リーベンについて好意的な発言が敵国の尋問官から出たことを、ダルトンは意外に思ったようだった。その目に漲っていた敵対心と警戒感がふと和らいだ。


それを見て取ったクルフはすかさず、さりげないそぶりで席を立つと胸ポケットから煙草を取り出しダルトンに勧めた。

一本抜き取ってクルフの手から火を借りたダルトンは、美味そうに一息大きく吸い込んでからゆっくりと煙を吐き出した。


「あなたは――」


クルフは自分の煙草にも火を点けると、椅子には戻らずにダルトンの向かいの机の縁に寄りかかったまま立ち話でもするような調子で訊ねた。


「彼の元にもう長いのですか?」

「ああ――6年くらいになるかな。でも、知り合ったのはもっとずっと前だ。俺たちは入隊した時の同期なんだ」

「そうでしたか。同期というのは特別な結びつきがあると聞いたことがあります」

「まあ、そうだな。親兄弟とも友人とも違う。特別な何かだよな」

「だからあなたは彼を助けに戻ったのですね」


ダルトンは軽く頷いた。


「あいつには散々世話になってるし――放っておくと、どこまでも無理しちまうから……」


そう呟くように言ったダルトンは指に挟んだ煙草を口元に持っていったまま、何事かを考え込むように黙り込んだ。

クルフはしばらくダルトンの様子を窺っていたが、話を促すために水を向けた。


「しかし残念ですね。あなたから今ここで回答をもらえさえすれば、これ以上リーベン少佐を呼び出す必要もないのですが。私としても、足を怪我している少佐に何度もここまで来ていただくのは心苦しいことですから」


クルフの言葉に、ダルトンは苛立ちの混じった不満そうな表情を浮かべた。


「俺だって知ってるなら話してる。それであいつの負担が軽くなるならな。だが実際には知らないし、あいつには適当なことを言うなと釘を刺されたよ」


『適当なことを言うな』――その発言はリーベンの気質を窺わせた。嘘や欺瞞を善しとせず、愚直なまでに真正直に物事に対処しなければ気の済まない、もしくは、そうせざるを得ない性格の人間。そういった者は、往々にして「0か10か」の価値基準で行動する。つまり、尋問においてはぐずぐずと中途半端な駆け引きをするそぶりさえなく、完全に黙秘するか、それとも潔く降参の意思を示して全てを自白するか。クルフの経験上、そのどちらかの結果になることが多い。


「なあ、せっかくの機会だからあんたに頼みがある」


ダルトンが真剣な面持ちでクルフを見ている。


「もしまだデイヴの尋問を続けるなら、ここへの行き帰りだけでも俺に付き添わせてくれ。あいつが機銃のぶっと銃弾たまで太腿を撃ち抜かれたのはほんの数日前だ。そんな怪我の状態で歩き回れるか、あんたがもしそうだったらどうだ? 彼は傷病者なんだ。それなりの待遇を受けさせて欲しい」


クルフは身を乗り出して訴えるダルトンをいなすように、頷いて見せた。


「私の権限でそれを確約することはできませんが、善処できるよう努めてみましょう」


実際のところ、今回の尋問に関することは全てクルフの一存でどうともできるのだ。

リーベンを歩かせることは尋問の効果を上げるための一手段であって、自分がたった今口にした「善処」をするつもりは全くなかった。だが、口約束の結果がどうであれ、言葉の使い方ひとつで受け取り手の心証は大きく変わるものだ。


クルフが請け負うと、案の定、ダルトンは初めて笑顔を見せて言った。


「よろしく頼む」


ここでクルフはダルトンの尋問を切り上げた。

リーベンと共に捕虜になった下士官について大した期待はしていなかったが、リーベンと特に親しい間柄のようであり献身的に親友の身を案じるこの男、何かの役に立つに違いない。

執務室を後にするダルトンの姿に目を当てながら、クルフは手持ちの札が一枚増えたことを頭の隅に記し、煙草の煙を大きく吸い込んだ。

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