第8話 混血の尋問官

真夜中にリーベンは叩き起こされた。

突然、顔の前に眩しいほどの明かりをかざされ、「デューリェ、イルデューリェ!(急げ)」という、捕虜となった者が必ず最初に覚える言葉をがなり立てられながら、ベッドから引きずり降ろされた。訳も分からないまま兵士に追い立てられ、傷病兵のための病棟から連れ出された。


収容所はひっそりと静まり返っている。踏み出す足元で、雪煙が風に煽られて地面を撫でながらうねっていた。鉄条網の間の監視塔に設置された探照灯が、何棟もの粗末なバラックと、その前の広場をゆっくりと舐めるようにくまなく照らしてゆく。その強く太い光線の中でだけ、真っ暗な夜空から落ちてくる雪が筋のように煌めいて見えた。


どんな理由でこんな夜中に呼び出されるのか――恐らく、日中の尋問に関係のあることだろうと予測はできた。

しかし、今の彼にとっては歩くことが精一杯で、それ以上深く考えることはできなかった。手当てされているとはいえ、少し動かすだけで左足の銃創が抉られるように痛む。何の支えもなく、凹凸の激しい雪道をほぼ片足だけで歩かなければならない。足を滑らせ、よろめいてバランスを崩す度に、苛立った兵士から銃床で小突かれた。

目指す建物は、降りしきる雪と夜闇のために霞んで見えた。そこまでには途方もない距離があるように感じられた。リーベンは歯を食いしばり、脂汗を滲ませながら必死に足を進めた。


ようやく管理棟にたどり着いた時には疲労困憊の状態だった。兵士に導かれて階段を上る。照明を落とした薄暗い廊下を進むと、中ほどのところで止められた。

兵士が扉をノックし、中から短い返事が聞こえると、リーベンは背中を押されて部屋に足を踏み入れた。零下になる雪の中を歩いてきたために、十分に暖められた部屋の空気を吸い込んで一瞬息が詰まる。


天井まで届く本棚に囲まれた部屋の奥の執務机には、若い将校が向かっていた。てっきり、前に自分を呼びつけた初老の将校の尋問を受けるものだと思っていたが、部屋にいたのはリーベンと大して歳が変わらないか、幾つか若く見える別の男だった。

男はリーベンが片足を引きずっているのを認めてさっと立ち上がり、素早くリーベンに歩み寄ると、手を貸して彼を椅子に座らせた。


リーベンは乱れた息を整え、目の前の将校を見つめた。一目見て、何か強烈な違和感を覚えた。そしてその理由はすぐにはっきりした。


捕虜になって初めて、彼は自分達が戦ってきた相手をすぐ間近で見たのだったが、彼らは皆、北の地方特有の弱々しい太陽の光を写し取ったようなごく淡い金色の髪と、白い肌を持っていた。高い頬骨とがっしりした鼻梁が目立つ顔の造作の中にある厚い瞼の下には、長く続く冬の曇天のような薄い灰色がかった目。そんな彼らからは、人間の思うままにはならない自然と大地を相手に辛抱強く日々を営む農夫のような、朴訥とした印象を受けた。


しかし今、リーベンの前にいるこの男は違った。

黒味がかった濃い金髪。彫りの深い細面ほそおもての顔立ち。暗い藍色の瞳。それらがこの男の存在感を際立たせていた。堂々として自信にあふれ、口元に微笑みを浮かべてはいたが、どこか冷然とした雰囲気は鋭利な刃物を思い起こさせた。


「こんな夜中に申し訳ありませんでしたね、リーベン少佐」


男は微笑みを崩さずに言った。


「クルフ大尉です。少しあなたにお話をお聞きしたいと思いまして」


そしてクルフは目でリーベンの左足を示した。


「足を怪我されているようですが、手当てはお済みですか?」

「ああ」

「それなら良かった。まあ、そう固くならずに。煙草でもいかがですか?」


クルフが上着の内ポケットに手をやったので、リーベンはとっさに制した。


「せっかくだが煙草はやらないんだ」

「そうでしたか。ではコーヒーでも」


そう言ってクルフは窓際のサイドテーブルの脇に立って、コーヒーの用意を始めた。そうしながら、リーベンの気持ちをほぐそうとしているのか、最近の天気やこの地方の名所などの取り留めのない話題をまるで世間話をするように投げかけてきた。

リーベンの母国語をクルフは驚くほど流暢に話した。常に丁寧な口調だったが、後天的に修得された言語にありがちな言い回しの固さが時折のぞいた。


細かく挽かれた豆に湯が注がれると、たちまち豊かな香りが部屋に広がった。


「砂糖とクリームはどうされますか」

「いや。そのままで」

「最近はコーヒーも手に入りにくくなりました――さあ、どうぞ」


差し出されたカップを手に取った。薄手の白磁の上に青緑色で花の絵が繊細に描かれた上品な器に、褐色のコーヒーがなみなみと注がれていた。

リーベンは手の中のカップに目を落とした。

つい二日前までは、神経を張り詰めて雪の中に蹲りながら、冷え切ったブリキの水筒から凍りかけた水で喉を潤すような日常だった。それが今は――顔を上げてクルフを見やる。


ゆったりとした動作でカップを口元に運ぶ色白の手や、泥汚れとは無縁のような細い指、丁寧に櫛で梳かれて整えられた髪などを見ていると、同じ軍人とはいえ、この男は銃弾が飛び交う戦線など一度も経験したことはないのだろうと想像できた。

リーベンには、そんな環境に身を置くこの男を妬む気持ちは全くなかった。ただ、この男の日常を想像すると、自分のそれとのあまりの違いに純粋な驚きを感じるのだった。


「どうかされましたか?」


気がつくと、クルフがじっとリーベンを見つめていた。ほの暗い部屋の中で、暖炉の炎の揺らめきがクルフの怜悧な顔立ちに一層深い陰影を与えていた。


「いや……」


リーベンは、自分が一時ぼんやりとクルフを見ていたことに気づき、気まずさを隠すためにコーヒーを一口すすった。

クルフはソーサーを机の端によけると、傍らに置いてある書類を手に取った。


「ズノーシャの戦闘について、幾つかお聞きしたいことがあるのです」


そう言うと、クルフは真っ直ぐに視線を向けてきた。


「まず、リーベン少佐、あなたが戦闘の指揮を執っておられたのですか?」

「その質問には答えられない」

 

のっけから突き放したような回答になった。

だがクルフは軽く頷いただけで質問を変えた。


「あなたと共に捕虜となったのは――バトラム・ダルトン軍曹、衛生兵……。間違いありませんか?」


リーベンは頷いた。


「これは、同じ場所で共に拘束されたということですか?」

「そうだ。彼は負傷した私を助けようとしていたところだった」

「なるほど」


クルフはしばらく書類に目を落としていたが、再びリーベンに向き直ると変わらぬ調子で言った。


「あなた方の兵力は3個中隊ほどだったようですが――結果的には圧倒的に不利な戦いでしたね?」


やはりそのことか――リーベンは気を引き締めた。


「あの場所には少なくない兵力が充てられているであろうことは、あなた方も充分把握していたはずと思いますが」


クルフの目が、発言を促すように向けられる。リーベンは努めて淡々と答えた。


「状況がどうであれ、命令が下されればそれを遂行するのが我々の務めだ」

「模範的な回答ですが――」


苦笑を見せてクルフは言った。


「私たちは、明らかに困難を伴う状況と分かっていながら、あなた方がその危険を冒してまで達成しようとしたことが何なのかを知りたいのです」

「ズノーシャ丘陵の突破。命令はそれだけだ」

「丘陵地帯の北側には、私たちにとって重要な都市があります。ミルトホフ、そしてアーナウ。そのどちらを攻略するつもりなのか、あなたに教えていただきたいのです」


リーベンは即座に答えた。


「私は知らない。知る立場にない」

「そうは思えませんが」

「それなら逆に、君がそこまで確信を持って私が知っていると言える理由を教えてもらいたい」


リーベンが切り返すと、クルフはそんな質問をされるのは心外だとでもいうように形の良い眉を引き上げた。


「さまざまな要素を繋ぎ合わせた結果の判断です。ズノーシャの地理的な位置付け、戦闘の規模と状況、あなたの階級、それに今の戦況――主なものはそんなところでしょうか」


リーベンは心底意外に思った。


――たったそれだけのことで、俺が最終的な目的地を知っているはずだと決めつけているのか。


「その程度の理由では、根拠の基盤が不確かで脆弱すぎると思うが」

「尋問官として、それだけの要素があれば十分です」


幾分の揺らぎもないその言葉に、リーベンはクルフとの対話が長期戦になることを悟った。


つまり、この男は何としても俺から情報を取るつもりなのだ。下手な誤魔化しは効かないだろう――。


リーベンは端然として答えた。


「残念だが私は知らない。知らないことは答えようがない」


その言葉を聞くと、クルフはまた微笑みを浮かべた。だが、ひたとリーベンの上に据えられたその目からは、不気味に思えるほど何の感情も読み取ることはできなかった。


「まあ、そうおっしゃるのも当然です。あなたのような階級の将校が簡単に情報を晒すようであれば、私たちは逆にその信憑性を疑います」


クルフは鷹揚にそう言い、心持ち体を起こすと、諭すように続けた。


「これからしばらくお付き合いいただくことになりそうですね、リーベン少佐」


黙したまま、リーベンは強い眼差しをクルフに注いでいた。

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