遥かな雲の切れ間に
島村
第1話 冬の到来
低く垂れ込めた厚い雲の下で、身を切るような冷たい北風がうなりを上げて吹きすさんでいる。
まだ午前中だというのに、あたりは夕刻のように暗く沈んで見える。視界の彼方まで続く平原のそこここには鬱蒼とした森が一群の黒い塊となって点在し、朽ち葉色に変わった大地は寒々しい冬枯れの様子を呈していた。
もうすぐ本格的な冬が始まる――。
空を見上げて、デイヴィット・リーベン少佐はそう思った。
異国のこの地で幾度目の冬を迎えるのだろう……。
記憶をたどり始めたがすぐにやめた。そんなことをしても気分が滅入るだけだ。
足を踏み出すたびに靴の下で枯れ枝が折れる乾いた音を聞きながら、リーベンは辺りをゆっくりと見渡した。
堅い枝葉を強風に弄られている針葉樹の森の中で、厚手の戦闘服を着込み大きな背嚢を背負った兵士200人あまりが一時の休息をとっていた。冷たい強風を少しでも避けようと身を寄せ合い、誰もが口数少なく座り込んでいる。体の芯まで冷え切ってしまうような寒さの中、戦闘後から数日間に亘る行軍でどの顔にも疲労の影が色濃く浮かんでいた。
リーベンは祈るような気持ちで、木々の間から覗く灰色の空を再び見上げた。
どうかあと少し、このまま天気が持ってくれ。雪が降り始める前に、部隊が宿営地に戻れるように……。
「中隊長」
呼ばれて彼は振り向いた。
左腕に巻いた腕章とヘルメットに赤十字の印をつけた大柄な兵士が駆け寄ってきた。中隊付き衛生兵のバトラム・ダルトン軍曹だった。
「体調不良の者の手当てはすべて終わりました」
吐き出した白い息は、すぐさま風にさらわれ掻き消える。
「皆の状態は?」
「たいしたことはありません。軽い凍傷、冷えによる下痢、靴擦れ……そんな程度です」
リーベンは頷くと、近くにいた4人の小隊長に出発の命令を伝えた。
それぞれの小隊長の号令に、部隊がゆっくりと動き出す。小銃や機銃の金具がぶつかり合う音がざわめきとなって風のうなりに混じる。
再び隊列を組んで歩き出した兵士達の傍らに立って、リーベンは声を掛け続けた。
「このまま行けば、昼は駐屯地で温かい食事がとれるぞ。あと少しだ、頑張れ!」
それを聞いた兵士達は寒さと疲労に強張った表情を緩めて、互いに励ましの言葉を掛け合うのだった。
もう何年この戦争が続いているのか、今となっては正確に思い出すことのできる者は少ないだろう。
リーベンが学校で使った歴史の教科書の末尾に近いページには既に、この戦争の発端に関する記述が載っていた。
『――高緯度地帯に位置するこの国は、国土も狭く、周囲を大国に囲まれながら、牧畜や農耕などの第一次産業を主軸に経済を維持してきた。しかし、約半世紀前にその国土の下に希少な地下資源が確認されると、我が国を含む周辺各国から開発資本が投じられ、急激に工業化が進んだ。
その一方で、次第に民族自決運動が活発化し、近年では先鋭化した民族意識に基づき、外国人・異人種排斥という名目の虐殺が行われている。よって我が国も、自国民の安全を保持するため、また、人道という観点から、軍隊の派遣を決定することとなった』
簡略に書かれた文章を、まだ10代の前半だったリーベンは、他の生徒たちと同じように文面のとおりに受け取り、理解した。
だが、事がそう単純なものでないことは、年齢を重ねて視野が広がるにつれて嫌でも分かるようになってくる。
事実上植民地化されていることに対する、小国の反列強感情の高まり。極端な国粋主義の台頭と、その実践として繰り返される虐殺。
他方、希少資源を巡る列強諸国の主導権争いと、綿密に計算された国益に基づく軍事介入。大国が声高に謳う「人道」という名の建前――。
当初は列強のどの国でも、虐殺が行われている事態を圧倒的に優位な軍事力によって容易に収拾できるという見方が大勢を占めていた。
しかし現実は、時間の経過と共に混迷の度合いを増していった。
小国の国軍は、列強の軍事力に対して予想以上に粘り強く抗戦を続けていた。加えて、資源をめぐる周辺各国の利害と思惑が入り乱れ、一弱小国で生じた戦火はたちまち広範囲に飛び火していった。時と共に戦局は混乱してゆく一方だった。
どの国も長引く戦争に疲弊しながら、今や抜け出すことのできない混沌とした泥沼にはまり込んでいた。
そして今、リーベンはこの北国の最前線にいる。18の時に軍に志願し入隊して以後、今まで10年以上の月日の殆どを、この異国の地で送っていた。
凍てついた風が頬を弄る。
まだ11月。
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