3ページ目 ちょっといいこと

 うだるような暑さの中、僕は自転車で市立図書館へ向かった。こんなに持って行っても絶対勉強しないだろ、というくらいの勉強道具をカバンに詰めたことをちょっと後悔する。無駄だと知っているのに、なぜか無いと不安になる。しかし、そのかばんの重さは坂の上にある目的地を遠くさせる。

 ようやく到着したころには、僕は汗びっしょりになっていた。自動ドアを超えると、冷たい風が僕を迎えた。このまま汗が引いたらうっかり風邪をひきそうだ。

 家を出る時に、零に声をかけてきたが、その時姉は「いいことあるかもよー」と扇風機を通して僕に伝えてきた。ちなみに姉には超能力の類の設定はない。ただでさえ、個性的すぎる姉にそんな付加要素があってたまるか。なのでその言葉は零の単なる思い付きの物であるとは思うのだが、なんだか僕自身もなんだか今日はいいことがある気がしていた。

 根拠は全くない。しかし、我が家ナンバーワンの運の持ち主である零にそんなこと言われたら、ご利益があるような気がしてきた。


 カウンターで利用カードと座席札を交換した。この市立図書館は、学習スペースが少ない為、学生はカウンターで学生用の座席を申請しなければならなかった。少々面倒くさいが、最近では駅近くにできた県立図書館のおかげでここの図書館は比較的空いていて使いやすくなったし、学習スペースが満席で使えないということもなくなった。

 並んだ座席には、中学生から高校生までと、夏休みの課題をしている人たちがちらほら見えた。まぁ僕はそんなもの終わらせているけど。僕がここに来たのは受験勉強のためだ。

 ちょっと優越感に浸ってしまった。油断は禁物だ。見落としがないか帰ったら確かめよう。

 僕の番号はちょうど十番。二つならんだ学習机が縦にずらっと並んでいる。

 十番は窓際の席で、前後と横に人が座っていることから、どうやら誰か帰った後の席に座るようだ。新しい図書館が出来たから空いてるなんて考えは甘かったらしい。もう少しタイミングがずれていたら、僕は座れなかったようだ。よかった。ちょっといいことあった。


「失礼しま……」


 一応隣に居る人に挨拶しようと小声で話しかけた。が……


「小川さん!」


 紗代ちゃんだぁぁぁ。やべぇ、姉に感謝!

 なんと隣に座っていたのは小川紗代だった。僕の天使紗代ちゃん。

 どうしよう、僕、汗臭くないかなぁ。座って大丈夫かな。そのまま立っていると、驚いていた紗代ちゃんはにっこりと笑った。

 パッチリとした目、長いまつげ、透き通るような肌、小さな口、ぷっくりした唇。今日もとってもかわいい。後ろに天使の羽が見える。僕だけの天使。 

 紗代ちゃんに会えたことに感謝していると、にっこりと笑った紗代ちゃんはひとさし指を立ててそのまま口に当てた。つまり、静かにしましょうの合図。つまり、僕を注意する合図。

 注意されちゃったけど、僕の気持ちはうっきうき。今なら何でもできる気がした。

 ものすごいスピードで単語帳をめくる。めくる。めくる。傍から見たら、ただ単語帳をめくってる男にしか見えないだろうが、今の僕は無双状態だ。単語を一瞬見ただけでもうその日本語が同時に浮かんでくる。わぁ僕すごい。

 そうやっていると、小さな紙が僕の机に振ってきた。

『休憩しませんか?』

 紗代ちゃんからのお誘いだった。

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